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入管法改正が曝した保守・リベラル・政府の先送り

事ここに至ったいまこそ問題を直視しなければ、手の打ちようのない人口減少が生じる

米山隆一 衆議院議員・弁護士・医学博士

 

傍聴席で出入国管理法改正案をめぐる衆院本会議の審議を見守る人たち。技能実習生も傍聴に訪れた=2018年11月13日、国会傍聴席で出入国管理法改正案をめぐる衆院本会議の審議を見守る人たち。技能実習生も傍聴に訪れた=2018年11月13日、国会

外国人労働者の受け入れは不可避

 外国人の受け入れを劇的に拡大する出入国管理法改正案(入管法改正案)が成立しました。すでに報道されている通り、法案が成立したにもかかわらずその具体的中身のほとんどすべては省令にゆだねられており、この法案が実際に日本にどのような変化をもたらすのかは藪(やぶ)の中です。

 その一方で、皮肉なことにこの法案は、保守、リベラル、政府が三者三様に展開してきた「先送り」を、白日の下に曝(さら)したように私には見えます。

 まずもってなのですが、入管法改正=外国人労働者の受け入れ拡大、それ自体は、不可避であると私は思います。

現場、家庭から現役世代が消えていく

 現在日本の生産年齢人口は全国平均で年0.8%弱、地方、例えば新潟県では年1.2%もの割合で減少しています。これは、何もしなくても、労働の現場のみならず、家庭からも地域からも、5年で4~6%、10年で8~11%、30年では21~30%もの現役世代が消えてなくなることを意味します。

 AIやIoTをはじめとする技術進歩に期待を寄せる向きもありますが、いかに技術の進歩が早いとはいえ、現在の技術レベルから考えて、これから5年や10年で、事務やレジ等の比較的デスクワークよりの仕事ならいざしらず、建築、農業、介護といった、そのものずばり「人手」を要する仕事が機械化される見込みは決して高くありません。

 また、仮に労働の現場がどうにかなったとしても、働き盛りの人口は地域からも、そして家庭からも消滅しつつあります。家事についてはそれなりに代替できるとして、「住民」の役割や「家族」の役割をAIやIoTが果たせるはずもなく(「ベビーシッターロボット」とか「神輿(みこし)担ぎロボット」とかというドラえもん的世界が実現したらまた話は別でしょうが…。)、このまま「人」が減っていけば、先ず地方から、そして遠からず日本全体が、わずか10年~30年の間に、崩壊してしまいます。

 もちろん、それを防ぐには出生率を上げるのが一番ですが、今日生まれた子供が生産年齢人口に達するまでには少なくとも15年、実際は20年超を要します。これから5~10年後の働き盛りの「人手」のみならず「人」不足に対応するには、現実的に見て外国人労働者を受け入れる以外の方法はありません。

現実の直視を先送りする「穏健な保守」

衆院本会議で入管法改正案が可決され、拍手する安倍晋三首相(右)=2018年11月27日衆院本会議で入管法改正案が可決され、拍手する安倍晋三首相(右)=2018年11月27日
 こうした現実に対して、最も分かりづらく矛盾した態度を示しているのは、いわゆる「保守」の方々であろうと思います。

 まず「穏健な保守」の方々は、従来の主張と、支持する安倍政権の掲げる入管法改正の整合性を取るために、まさに安倍政権の主張そのままに、「これは移民政策ではない。問題ある外国人技能実習制度等を改めるもので、従来の政策の延長だから問題ない。」と主張されています。

 しかし、上述の通り受け入れ側の日本の人口が急激に減少している状況で、政府の掲げる通りなら5年で30万人超、恐らくはなし崩し的にそれ以上の労働者を受け入れ続けるのですから、入ってきた外国人の方々は、どうしても職場での「人手」としてのみならず、地域や家庭の「人」として減少した日本人を代替することになります。

 これが移民政策でないはずがありません。この方々は、目の前の現実を直視することを先送りしているとしか言いようがありません。

過去の直視を先送りする「強固な保守」

 その点で、もう少し「強固な保守」の方は、今般の入管法の改正が実質的な移民政策であることを直視したうえで、「外国人受け入れには反対だ。AI、IoTの発展や、労働環境の改善で日本人の人口を増やすべきだ」と主張されます。技術の発展や労働環境の改善で人口が増える環境を作ることにはもろ手を挙げて賛成なのですが、それはつまり、いままで滅私奉公で人手に頼ってきた「保守的日本社会」というものが、それ自体持続可能ではなく、様々に変革せざるを得ないことを意味します。

 こういった方々は、今般の入管法の改正が実質的な移民政策であるという現実は直視しながらなお、「保守的日本社会」が現実にそぐわなくなったからこそ、こうした状況になったのだという過去(及び現実)を直視することは、先送りしているのだと思います。

未来像の提示を先送りする「リベラル」

 では、いわゆる「リベラル」はどうでしょうか? 野党は国会審議で入管法改正案の問題点を様々に指摘しました。それ自体は大変意義深いのですが、残念ながらその中に、「ではどうする?」はなかったように思います。もちろんその原因のかなりの部分は、そもそも政府が法案の中で具体的な制度をほとんど示さなかったことにあり、行政機構を有しない野党が具体的代案を示すことが極めて困難なことはよく分かります。

技能実習生ら(左端)も出席した外国人労働者に関する野党合同ヒアリング。右端は発言する立憲民主党の長妻昭代表代行=2018年11月8日、国会内技能実習生ら(左端)も出席した外国人労働者に関する野党合同ヒアリング。右端は発言する立憲民主党の長妻昭代表代行=2018年11月8日、国会内
 とはいえ、具体的制度設計や代替法案の提示が難しくても、そもそも外国人労働者の受け入れ自体には賛成なのか反対なのか、賛成なら原則としてどのように運営するのか、反対ならどうやって職場を回すのか、在留期限のある外国人労働者の労働条件を日本人並みにするなら、それと同時に、正規雇用と非正規雇用と労働条件の均等化にも取り組む必要が生じるがその意思はあるのかなど、大量の外国人労働者の受け入れという新たな状況の中で、どの様な労働者像、どの様な社会像を希求するのか、その新たな未来像を示すことはできるし、示すべきだと思います。

 「リベラル」を自認する私としては極めて残念なことですが、現状においてそれがなされているとは言い難く、リベラルは、現状の問題点を直視できても、未来像の提示を先送りしていると評価されて止むを得ないように思えます。

責任を先送りする政府

 保守が過去と現実を直視することを先送りし、リベラルが未来像の提示を先送りしている中で、では政府は、その役割を十分に果たしているでしょうか?

 残念ながら私にはそうは思えません。冒頭に述べた通り、私は今般の入管法改正、すなわち外国人労働者の受け入れそれ自体には賛成です。この法案を出したということは、政府は少なくとも、従前の「保守的日本社会」は維持出来ず、現実として外国人労働者という名の移民政策を進めざるを得ないという過去と現在は直視しているのだと思われます。

 そしてそれを「如何に運営するのか」という点についても、明言はしていないものの、恐らくは、「行政指導を駆使して、可能な限り現在の制度を維持しつつ、その場その場でアドホック(付け焼き刃的)に問題を解決する」という、現実的未来像(それを「未来像」というなら)は有しているように見えます。

 しかし、そもそも、多くの問題点を含みながら日本が外国人労働者の受け入れに踏み切らざるを得ないのは、

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