星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト
1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
平成政治の興亡 私が見た権力者たち(6)
1994(平成6)年4月8日の細川護熙首相の退陣表明を受けて、政局は連立与党と野党・自民党が入り乱れての混戦状態となる。連立与党内では、新生党代表で外相の羽田孜氏が後継首相に就くのが順当とみられていた。
しかし、新生党の代表幹事で連立政権を牛耳っていた小沢一郎氏の判断は違った。小沢氏は、自民党に手を突っ込んで、渡辺美智雄元外相を後継首相に担ぎ出そうとしたのだ。
小沢、羽田両氏は、ともに自民党の田中、竹下派と歩み、93年には自民党を離党した。金丸信氏が二人を「平時の羽田、乱世の小沢」と評していたように、羽田氏は「常識人、穏健派」だった。小沢氏からすれば、自民党と全面対決となっている「大乱世」に「羽田首相」は向かないと判断したのだろう。
派閥領袖でもある渡辺氏が引き抜かれるのではないか。自民党は大騒ぎとなった。渡辺氏自身も「政策を実現できる政党、グループと連携するのが、原理・原則にかなう」と発言。小沢氏との連携に意欲を見せた。河野洋平総裁は、渡辺氏の対応を批判、首相指名選挙に手を挙げると宣言した。