星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト
1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
平成政治の興亡 私が見た権力者たち(6)
隠密行動を続ける小沢氏の狙いが、なかなか読めない。連立与党担当のキャップだった私は、困った末に、小沢氏の盟友で新生党幹部の奥田敬和氏に真相をたずねた。こんな解説が返ってきた。
「小沢はミッチー(渡辺美智雄氏)に派閥の20人程度を連れてこいと言っている。そうしてミッチーを首相にかついだら、自民党は大混乱だ」
ミッチー擁立は、自民党に衝撃を与えただけでなく、連立与党にも波紋を広げた。社会党が反対しただけでなく、日本新党や新党さきがけからも「小沢氏は盟友の羽田氏擁立よりも、渡辺氏を担いで自民党を揺さぶることを優先するのか」といった不満が出てきた。
最終的に、渡辺氏は小沢氏との連携や離党を見合わせる。「ミッチー騒動」は収束した。渡辺氏が「20人」を確保できなかったのが大きな理由だった。ある晩、奥田氏と話した。「ミッチー擁立はつぶれて良かったよ。堂々と羽田を担いで自民党と対決すればいいんだ」と話していた。
渡辺氏はガンとの闘病の末、95年9月に死去した。
小沢氏の自民党分断策は実らず、連立与党は羽田孜外相を首相に推すことで合意。4月25日の衆院本会議で、羽田氏が河野洋平・自民党総裁を抑え、首相に指名された。
朝日新聞の連立与党取材チームには、「政局も一段落したし、今晩は打ち上げでもしようか」という雰囲気が漂っていた。その矢先、新たな騒動が起きる。連立与党内で国会内の統一会派を作るべきだという動きが急浮上したのである。
口火を切ったのは、民社党の大内啓伍委員長だった。当面は社会、新生、公明、民社、日本新、さきがけの各党が国会内で統一会派「改新」をつくり、将来的には自民党に対抗する政党にまとめようという構想だった。新生党の小沢一郎代表幹事、公明党の市川雄一書記長の「一・一ライン」も了承済みだった。
しかし、社会党の村山富市委員長は「新生党などの保守政党とは、理念・政策が相いれない」と反発。社会党は連立離脱を決めた。さきがけの武村正義代表も村山氏に同調した。社会党、さきがけを除けば新生、公明両党などの連立与党は187議席に過ぎず、野党の自民党(206議席)を下回る。羽田政権は少数与党という脆弱な体制でスタートすることになった。
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