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官僚冬の時代~平成の官僚を振り返る~

中野雅至 神戸学院大学現代社会学部教授

官僚の役割が溶けていった時代

 平成2年に旧労働省に入省した頃、新人ながら何となく感じたのは役所で一番偉いのは大臣ではなく事務次官だということだった。上司はみんな事務次官室に行く時に最も緊張していた。やがて時が過ぎ去り筆者が役所を去る平成も半ばになると、リーダーシップをとる大臣が話題になってはいたが、裏で支配するのは官僚だとまだまだ囁かれていた。

 それからさらに年月が経って、これからは政治家の時代だと言われるようになり、政策決定過程の中心が政権中枢部の政治家(特に官邸)に移っていき、やがてそこからさらに時間が経過した今、もはや誰も官僚を語らなくなった。

 今や誰も官僚の存在を意識しなくなったのだ。それは黒衣として舞台裏を回している誇り高き存在だからこそ誰も気付かないというスパイのような話ではなく、本当にどういう役割を果たしているのかわからないというものである。

 それほど重要な存在とも思えない。それゆえにこそ不祥事が続発したとしても、かつてのように国民は怒らない。怒って奮起を促すほどの存在でもない。そんなとらえ方をしているのではないか。これこそが「官僚冬の時代」の本質であると、筆者は考えている。

官僚激変期だった平成

 官僚が冬の時代を迎えるに至るまで、その立場の激変を余儀なくされたのは平成年間である。バブル経済が90年代後半に崩壊して以来、間もなく平成が終わるが、冒頭で記したようにこの30年間で官僚の立場は激変した。

 官僚主導と言われた時代から、不祥事や経済不調が重なる中で「官僚バッシング」と呼ばれるような強い批判にさらされ、政治の「抵抗勢力」と言われて悪役に祭り上げられた。

 たしかに、国家公務員倫理法が制定されるに至るくらい、中央官庁や官僚に不祥事が続出したことは事実であるが、長期にわたる不況から社会保障制度の不安定さまですべてが官僚の責任であるかのように論じるのはどう考えても行き過ぎだった。

 その間、バッシングと並行するような形で行財政改革や政治改革が次々と実行に移され、ついに官僚主導体制の打破を掲げる民主党政権が誕生したかと思うと間もなく、内閣人事局で官僚を完全にコントロールする第二次安倍内閣が登場した。これによって官邸主導体制が確立され、政官関係は政治優位で決着した。

 依然として官僚優位であるかのような論評をする者もあるが、もはやそれは圧倒的少数派だと言っていいだろう。それほど官僚の地位は激変した。

 それでは、その結果、官僚はどういう存在になったのだろうか。ここでは象徴的事例として、政権と一体化した(せざるを得なかった)揚げ句に、国会で責任を追及された佐川宣寿・元財務省理財局長を事例にして考えてみよう。


筆者

中野雅至

中野雅至(なかの・まさし) 神戸学院大学現代社会学部教授

1964年生まれ。90年に旧労働省に入省。旧厚生省生活衛生局指導課課長補佐、新潟県総合政策部情報政策課長、厚生労働省大臣官房国際課課長補佐などを経て公募により兵庫県立大学大学院助教授、教授。2014年4月から現職。著書に『天下りの研究』『公務員バッシングの研究』『没落する官僚-エリート性に関する研究』(明石書店)など。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです