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中曽根・レーガン極秘書簡から⾒える核抑⽌の虚実

「日米同盟の根幹に影響」 101歳で逝去の元首相が発していた警告(再掲)

藤田直央 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

1986年2月10日付で中曽根首相がレーガン大統領に宛てた、中距離核戦力(INF)交渉に関する書簡の最終稿。右上に「極秘」とある。外務省が2018年に開示した=朝日新聞社

米大統領に核政策で異例の警告

 「日米同盟の根幹に影響が及ぶ」。101歳で逝去した中曽根康弘氏は30数年前の首相当時、盟友・レーガン大統領に米国の核政策について異例の警告を発していた。米国の行動が日本への配慮を欠けば世論を刺激し、「核抑止力の信頼性が損なわれる」と訴えていたのだ。

 唯一の戦争被爆国ながら米国の「核の傘」の下にあり続ける日本では、そもそも核抑止力とは何かを国民が考えるための情報が政府から示されないまま、今も同じ悩みを抱える。両首脳間の極秘書簡を読み解き、なお混沌とする核の世界での日本のこれからを考えたい。

(※2018年12月公開の記事を、19年11月29日の中曽根元首相逝去をふまえて加筆、再掲しました)

「核抑止力の信頼を損なう」

 外務省は作成から30年たった文書を原則として開示する。この極秘書簡が含まれるのは、2018年12月公開の「日米要人間書簡(中曽根・レーガン等)」というファイルだ。「ロン、ヤス」とファーストネームで呼び合う関係を築いた両首脳が1985~87年にやり取りした書簡を中心に、秘密扱いにされた一連の文書が綴じられている。(2018年12月の外交文書公開について、外務省HP)

1986年5月、首相官邸での日米首脳会談を前に握手するレーガン大統領と中曽根康弘首相=朝日新聞1986年5月、首相官邸での日米首脳会談を前に握手するレーガン大統領と中曽根康弘首相=朝日新聞

 発端は、レーガン大統領が中曽根首相に1986年2月6日に送った書簡だった。冷戦下の当時、レーガン氏とソ連のゴルバチョフ共産党書記長は、地上配備型の中距離核戦力(INF=Intermediate-range Nuclear Forces)を全廃する条約の締結に向け交渉していた。

 レーガン氏は中曽根氏にこう打ち明けた。

 「世界中のINFを即座になくすことをソ連が拒み続けており、私はこう提案したいと考えています。欧州では米ソともゼロにする。アジアにあるSS20(ソ連のINF)についてはまず少なくとも50%に減らし、最後にはゼロにするというものです」

 中曽根氏が「日米同盟の根幹に影響が及ぶ」とレーガン氏に再考を求めたのは、その4日後の「返簡」だった。

 「欧州ゼロ、アジア50%という考え方は、アジアにおける核問題を独立した問題として惹起し、その結果これまでアジアにおいて静かに、かつ有効に機能してきた米国の核抑止力の信頼性の政治的安定度が損なわれる可能性が懸念されます」

 戦後の日米安保体制の下、米国が核兵器によって日本を守る姿勢を示すことで、敵に日本への攻撃を思いとどまらせる。米国はその核抑止力を、1960年代の中国の核実験を機に日本への「核の傘」として鮮明にしていた。それをレーガン提案は揺るがしかねないと中曽根氏は訴えたのだ。

「アジアに不公平との印象」

 中曽根氏の「懸念」は、同じファイルにある別の極秘指定文書に詳しい。上記の中曽根書簡と同じ1986年2月10日付で、今の安倍晋三首相の父・安倍晋太郎外相から松永信雄駐米大使に発した「INF交渉訓令」だ。レーガン提案の「深刻な問題点」を「米政府ハイレベルに至急伝達」するよう求めている。

 その訓令は、中曽根書簡にある「懸念」を生々しく敷衍(ふえん)し、レーガン提案を日本国民がいかに否定的に受け止めかねないかが縷々(るる)説いている。

 「欧州ゼロ、アジア5割削減という米案は、アジアが不公平に扱われたとの印象を一般国民に与えることはまず不可避である」

 「米国が(西欧の同盟国と構成する)NATOを優先したという議論に、国民世論が納得するような形で効果的に反論することは不可能に近い」

駐米大使への極秘訓令

1986年にINF交渉について訓令を発した頃の安倍晋太郎外相と、受けた松永信雄駐米大使=朝日新聞1986年にINF交渉について訓令を発した頃の安倍晋太郎外相と、受けた松永信雄駐米大使=朝日新聞
 安倍外相から松永大使への訓令は核心に踏み込む。日本政府が国民に「守り神」のように説明してきた「核の傘」を支えるのは、「漠然とした信頼感」に過ぎないという趣旨を、米政府に伝えろというのだ。

 「他の二国間に例を見ない緊密な日米友好関係は、核の傘を含む米国の抑止力が平時から日本の安全を確保してくれているとの心理的安心感の上に成り立っている。その背景には、日本国民の米国に対する一般的信頼感に加え、これまでアジアにおける核戦力バランスの問題が公に議論されたことがほとんどないという事実の上に立った、米国の核抑止力に対する漠然とした信頼感がある」

 そして、レーガン提案がもたらす、日米両政府にとって忌まわしい事態を警告する。

 「アジアにおける米ソの核戦力が独立して詳細に論ぜられることは、本来理論的に説明することの難しい同盟国をカバーする米国の核抑止力(extended deterrence)の信頼性を(日本)国民に納得させなければならないという、極めて困難な政治的課題に日米両政府が直面せざるを得ない状況を招くことになると懸念される」

 中曽根書簡で松永大使から米政府に示させるとして触れられた「具体的提案」も、訓令に記されている。「ソ連に認めようとしているSS20基数Xをグローバル枠としてソ連側に提案し、対外的にも説明する」「(配備先を)ソ連中央部と呼称することも考えられよう。そうすることにより、このSS20が西欧向けか、アジアの同盟国向けか、中国向けかのいずれとも考えられる」

 とにかく国内世論を刺激するから、ソ連がアジアに核兵器であるINFを残すことを露骨に認めるような妥協はやめてくれ――。そんな中曽根書簡と松永大使の要請に、レーガン氏は12日後の1986年2月22日、中曽根氏への書簡で理解を示した。

 米ソは曲折を経た交渉の末、1987年に双方のINFを地域に関係なく全廃する条約に調印、88年に発効した。

「核抑止力は心理ゲーム」

 この一連の極秘文書、特に中曽根書簡と松永大使への訓令に示された日本政府の主張は、米国の「核の傘」をめぐる重い問いを投げかけている。

 アジアに絞って核の問題が議論されると、「本来理論的に説明することの難しい米国の核抑止力の信頼性を(日本)国民に納得させなければならないという、極めて困難な政治的課題に日米両政府が直面せざるを得ない」と、30数年前の訓令は強調している。

 では、日本国民に「アジアの核」について深く考えさせないことで信頼が保たれるという米国の核抑止力とは、一体何だったのか。そして、今の世界ではどうなっているのか。

外務省で軍縮課長だった1986年に核問題で中曽根首相からレーガン大統領への書簡を起案した当時を語る、宮本雄二・元中国大使=2018年12月、藤田直央撮影外務省で軍縮課長だった1986年に核問題で中曽根首相からレーガン大統領への書簡を起案した当時を語る、宮本雄二・元中国大使=2018年12月、藤田直央撮影
 中曽根書簡と訓令を作ったのは、外務省の中堅官僚「四人組」だった。岡本行夫安全保障課長(現外交評論家)、宮本雄二軍縮課長(元中国大使)、加藤良三条約課長(元米国大使)、佐藤行雄官房総務課長(元国連大使)、である。

 経緯は佐藤氏の著書に詳しいが、そこでは「核抑止力を国民に納得させる困難さ」には踏み込んでいない。そこで2018年、宮本氏を東京・三田の事務所に訪ね、当時のことを聞いてみた。

 「米国の核抑止力への信頼性というのは、心理ゲームなんです。米国が核ミサイルを何発持てば日本は安心という数式が成り立たない世界だ。いざという時に守ってくれるかどうか」

 「だから、米ソのINF交渉でアジアが欧州より不平等に扱われて、米国はこの程度しか守ってくれないと日本国民が思えば、米国の核を信頼できなくなる。するとソ連の脅しが効いて世論がぐちゃぐちゃになり、労せずして日本を丸裸にする。それを僕は心配したんだ」

戦争被爆国としての反核感情

 宮本氏はさらに、国民に説明しようがなかったという別の理由を語った。それは、唯一の戦争被爆国としての反核感情だ。

 「当時は西ドイツでも、西ドイツには届くが米国には届かないソ連のSS20から米国は守ってくれるのかと大問題になったが、西ドイツで米国の核を共有していることで何とかなった。だが日本はもっと平和主義ですから。武器を持たない方がいいんだという人すらたくさんいた時代ですから」

 さらに言えば、ソ連のSS20に西欧が揺れた時、米国が西欧にパーシング2を配備してまず均衡状態を作ることで、米ソのINF削減交渉は動き出していた。もしアジアにソ連のSS20が残るとはっきりした場合、それに対抗した上で軍縮につなげるなら、米国の核をどう配備し、それをどう表明するのか。1967年に佐藤栄作首相が表明し、日本政府が掲げてきた非核三原則の「持ち込ませず」との関係をどうするのか。

 「核に免疫性のない日本で、この問題がどう発展してどう押しつけられるか、日米安保を守るという形で決着がつけられるかさえも自信がなかった」と、宮本氏は振り返った。

「アジアの核」をどうすべきか

INF全廃を記念してワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館に展示された旧ソ連のSS20(左)と米国のパーシング2=2010年、朝日新聞INF全廃を記念してワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館に展示された旧ソ連のSS20(左)と米国のパーシング2=2010年、朝日新聞
 1989年に冷戦が終わり、91年にソ連は崩壊する。宮本氏が危惧したような事態は冷戦下では起こらなかった。だが冷戦後、日本国民が「アジアの核」を意識せざるを得ない別の事態が起きた。

 北朝鮮の核開発と、中国の台頭だ。

 30数年前に宮本氏らが練った訓令では、米国の「核の傘」を支えるのは「アジアにおける核戦力バランスの問題が公に議論されたことがほとんどないという事実の上に立った、米国の核抑止力に対する漠然とした信頼感」と説明された。

 それがもう成り立たない今、どうすべきか。日本政府の前には二筋の道があると私は考える。

 一方は、米国の核抑止力について、北朝鮮や中国の核に対しても働くという説明を国民にきちんとして信頼を保つ道。もう一方は、冷戦下は国民に深く考えさせないという特異な形で漠然とした信頼を保っていた米国の核抑止力の限界を認めた上で、新たな安全保障体系を築く道だ。

 いずれの道を行くにせよ、「アジアの核」を明瞭に意識するようになった国民との共同作業は欠かせない。

 ところが、日本政府はそのどちらでもない隘路を行く。日本を守るための米国の核抑止力について、はしごを外されないよう米国には緊密なやり取りを求めつつ、国民には詳しく語らないままだ。そして、「核の傘」を頂点に据える形で自衛隊と米軍が協力を深める「日米同盟の抑止力」という概念を持ちだしている。

「日米同盟の抑止力」とは

 その経緯については、筆者が2018年に朝日新聞での一連の報道で明らかにした。明確な起点は09年2月、米議会の諮問委員会が、発足間もないオバマ政権のNPR(核戦略見直し)に提言するため非公開で日本政府の意見を聞いた場だ。(「米の『核の傘』、支える日本 『核なき世界』への反動、起点」 朝日新聞2018年6月4日付朝刊) 

 諮問委の関係者によると、秋葉剛男駐米公使(現外務事務次官)ら日本側は「現在の日本周辺の安全保障環境から米国による核を含む抑止が必要」「ロシアとの核削減交渉で中国の核軍備拡張と近代化に常に留意すべきだ」などと強調し、「核なき世界」を唱えるオバマ政権に対して核兵器を維持するよう提言を連ねた。

 さらに日本側は、米国の核戦略をめぐる対話の場を設けるよう強く要請。オバマ政権がその直前に中国との高官対話を経済から安全保障に広げると発表しており、日本側は「中国への関与は理解するが、サプライズは望まない」と述べて、米国が一方的行動に出ないよう「事前に相談を」と繰り返した。

 その結果、2010年に生まれたのが日米の外務・防衛当局幹部による拡大抑止協議(EDD)だ。元米国防次官補代理(核・ミサイル防衛政策担当)でオバマ政権でのNPRを担当したブラッド・ロバーツ氏は、この場での議論の成果が10年に改定された日本政府の防衛政策の大綱に反映したと著書で指摘する。その延長線上で「日米同盟の抑止力」という言葉が13年版の防衛大綱で登場し、18年版の防衛大綱に引き継がれた。

安倍首相「切れ目ない対応」

 今の安倍首相は「日米同盟の抑止力」に関し、2015年に成立した安全保障法制との関係で「脅威への切れ目のない対応が可能となり、日米同盟の抑止力は一層強化される」と語る。15年に改定された日米防衛協力のための指針(ガイドライン)や、それと表裏一体の防衛大綱から浮かび上がる「切れ目のない対応」とは、簡単に言えばこんな姿だ。

 日米は平時から警戒監視情報を共有し、共同訓練による牽制(けんせい)も含めて対応を調整する。離島侵攻やミサイルなどで日本が攻撃されたら、まず自衛隊が対応し、米軍が支援する。敵の攻撃がエスカレートしないよう、米国は核の使用を選択肢から排除しない――。

 冷戦下の米国には「拡大抑止で北東アジアの同盟国と協力する仕組みがなかった」(ロバーツ氏の著書)。だが、今では日本が敵基地攻撃に転用しうる長距離巡航ミサイルの導入や護衛艦の空母化などで、自衛隊の通常兵器を強化して平時から敵を牽制しつつ、その頂点に米国の「核の傘」を据える体系が生まれつつある。

INF条約失効で混沌の恐れ

 ここに至っても、日本政府から「日米同盟の抑止力」について体系的な説明はない。両政府が米国の核戦略と日米の防衛協力について議論を重ねるEDDも発足から9年になるが、内容は一切非公開で、米国の核抑止力について議論を避ける姿勢は相変わらずだ。

 しかし、もう逃げ場のない事態に追い込まれるかもしれない。

2018年11月、G20サミットの会場で記念撮影に臨むトランプ大統領と安倍首相=ブエノスアイレス、代表撮影2018年11月、G20サミットの会場で記念撮影に臨むトランプ大統領と安倍首相=ブエノスアイレス、代表撮影
 レーガン政権時に日本政府を揺さぶったINFをめぐる、米国の一方的行動の再来だ。

 トランプ大統領は2018年10月に脱退を表明。全廃条約をソ連から継承したロシアが違反しており、中国はそもそも条約に入っておらず、米国だけが手を縛られるのはおかしいという主張だ。二大核大国間で30年以上続いた条約は19年8月に失効した。

 英国王立防衛安全保障研究所のチャルマーズ・マルコム事務局次長は、INF全廃条約の崩壊が、米ロが互いを直接攻撃できる核兵器を減らすための新戦略兵器削減条約(新START)をも揺るがしうる、と2018年の論考で指摘。「もし新STARTも消えれば、核兵器へのいかなる抑制も透明性もない世界が訪れる」と警鐘を鳴らす。

 実際、2021年に期限を迎える新STARTについて米ロの延長交渉は停滞している。二大核大国による軍縮の後退により、日本政府内には「中国も含めた軍拡競争がアジアで起きかねない」(防衛省幹部)、「核保有国に軍縮努力を求めた核不拡散条約(NPT)体制に影響しないか」(外務省幹部)といった不安が募る。

核抑止力を国民と考える時

 INF全廃条約失効を機に核をめぐるこうした混沌が世界に広がる時、米国の核抑止力に対する日本国民の信頼は保たれるのか。その混沌を何とか収めようと世界が動く時、唯一の戦争被爆国としての振る舞いを問われる日本は、「核の傘」への依存との折り合いをどうつけるのか。

 そして、その過程での米国の一方的行動が日米関係を揺るがさないよう、安倍・トランプ関係はかつての中曽根・レーガン関係のように機能するのか。

 あまりに変数が多いが、残り時間は少ないかもしれない。だからこそ日本政府は、不測の事態に陥るリスクを少しでも減らすために、米国の核抑止力について国民に深く考えさせないようにと説明を避けてきた姿勢を改めねばならない。国民に丁寧に説明して議論を成熟させ、冷静な合意形成ができる環境を早急に整えるべきなのだ。

 こんな反論があるかもしれない。中曽根書簡を練った宮本氏がかつて悩んだように、反核感情が強い日本国民が核抑止力を冷静に議論できるのか、と。

 だが、日本政府ではかつての民主党政権下で、外務省が日米安保体制をめぐる過去の密約を調べたことがある。調査を担った有識者委員会は2010年、日本政府が米軍の核搭載艦船の寄港を黙認してきたとして、非核三原則の「持ち込ませず」に関して「説明はうそを含む不正直なもの」だったと指摘した。

民主党政権当時の2009年9月、日米密約調査の状況について外務省幹部に聞く岡田克也外相(左)=外務省。代表撮影

 国民の反核感情に正面から向き合わず、うそをついてまで「核の傘」の広がりを隠してきたことがばれたのだ。その結果、中曽根氏が首相当時の30数年前に危惧したように「核抑止力の信頼性の政治的安定度が損なわれ」たのは、歴代政権の自業自得と言うべきだろう。

 その中心にあった自民党政権は、2012年に安倍首相の再登板で復活して以来、中国や北朝鮮に備えるべしとして「日米同盟の抑止力」を軸に安全保障政策を大胆に変えていながら、米国の核抑止力をめぐる議論を国民に開く姿勢はまったく見られないままだ。

 反省も、危機感もないと言わざるを得ない。