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禁じ手「自社さ」村山政権の意義と限界

平成政治の興亡 私が見た権力者たち(7)

星浩 政治ジャーナリスト

危機管理に奔走した野中広務氏 

野中広務自治相・国家公安委員長=1994年10月21日拡大野中広務自治相・国家公安委員長=1994年10月21日
 阪神・淡路大震災とオウム事件を通じて村山政権の危機管理に奔走したのが野中広務自治相・国家公安委員長だった。1925年生まれの戦中派。京都市園部町出身で、園部町議、町長を経て京都府議、京都府副知事を歴任した「たたき上げ」である。

 自民党の田中・竹下派では小沢一郎氏を支持した時期もあったが、その後、決別し、小渕恵三氏を支えた。野中氏を東京・高輪の衆院議員宿舎で夜中に取材することが多かった。リクライニングチェアに座って、にこやかな表情をうかべつつ、時ににらみつけて質問に答える姿が思い出される。

 野中氏は、村山政権の誕生によって社会党が安保政策を転換したと同時に、自民党も変わることができたという。著書にこう記している。

 「(村山首相の)このリーダーシップは、社会党が冷戦後もそのしっぽをひきずって棚卸しができないでいた問題を解決することになったが、一方で、鏡に映したようにその逆の問題、つまり、自民党が冷戦後もそのしっぽをひきずって棚卸しができないでいた問題を解決することにもなったのである」(注2

「自民党の棚卸し」 戦後50年の国会決議

  野中氏が「自民党の棚卸し」と指摘したのが、戦後50年の国会決議だ。自民党内には強い異論があったものの、村山首相の意向もあり、自社さで決議の文案を合意した。

 「世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する」

 植民地支配や侵略的行為を明確に認めて反省する内容で、過去の自民党政権では考えられなかった内容だ。決議は1995年6月9日の衆院本会議で採択された。ただ、野党の新進党は全員が欠席。自民党でも奥野誠亮、安倍晋三、中川昭一各氏らタカ派の50人が欠席した。

注2 野中広務『私は闘う』(文芸春秋)P132-133

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筆者

星浩

星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト

1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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