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[118]さらば2018年、さらば精神の退却よ

金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

Chim↑Pomの卯城竜太さんChim↑Pomの卯城竜太さん=筆者提供

12月25日(火) 朝8時半にホテルをチェックアウトして、西予市野村町へ。以前の取材でお世話になったNさん宅を訪ねると、今日の仮設住宅の餅つき大会に手伝いに行くという。それに加えて、野村町の仮設保育所が今日まさに仮オープンするとのことだった。僕らは、高台にある仮設住宅に住む林千幸さんの元を訪ねるために移動。ちょうど開所したばかりの仮設野村保育所に多くの地元メディアが取材に来ていた。林さんの元のお宅のすぐ近くに野村保育所があって、あそこもダムの一斉放流の結果、水没した。危険地帯に指定され、そこでの再開は無理と判断され、この高台に仮の施設としてオープンしたのだった。今日はクリスマス行事も一緒に行われていて賑やかな様子だ。せっかくなので取材に入った。地元のテレビ局は全社取材に来ていた。

 みると、すでに仮設住宅の支援ボランティアの人々が餅つきの準備を終えたところだ。ボランティアの中心になっているのは、地元の曹洞宗安楽寺の若手僧侶たち。一生懸命に餅つきをして、つきあがった餅を、食べやすいサイズに小分けにこねているのが住民たちだ。高齢者が多いが、若者たちもいた。ここの仮設住宅は、木の材料が多く使われていて何だか気が休まる。久しぶりにお会いした林さんはお元気だった。奥様は病院に通っていて不在。林さんは9月6日にこの仮設に入居した。「狭いながらも落ち着きました」と語る林さんだが、九死に一生を得たあの水没当時のことは忘れられない記憶として残っているようだった。今月行われたダム放流についての住民説明会には全く納得していないようだった。餅つき大会の場所に仮設保育所の園児たちがやってきた。仮設住宅の入居者たちの表情が一斉に緩む。その後、松山空港から羽田へと戻る。

12月26日(水) 朝早起きしてプールで泳ぐ。今日発売の週刊誌に広河隆一氏のスキャンダルが出ているようだ。驚いた。『DAYS JAPAN』終刊号に寄稿を依頼されていたので複雑な気持ちになる。世の中はきわめて緩慢に、しかしきわめて確実に、気持ちが悪い方向に進んでいる。そんな午後、今年2番目に不愉快な出来事に遭遇する。

 17時からワシントン在住のIさんと歓談後、「創」「日本ビジュアル・ジャーナリスト協会」「新聞労連」等主催で、シンポジウム『安田純平さん解放とジャーナリズムを考える~戦場取材の意義と「自己責任」論~』(文京区民センター)に参加。470人キャパの会場が満席になった。その後、安田さんを囲む懇親会にも参加。安田さんはかなり痩せていた。3年4か月の拘留生活。想像を絶する。ただシンポジウムは仲間内の議論に終わったので、次回は「自己責任論」支持者を含めた話し合いにした方がいい、とはIさんのご指摘。

卯城竜太さんが語る「美術の力」

12月27日(木) 朝早い便で富山市へ。チューリップテレビのHさん。Hさんたちチューリップテレビの報道部は実によく健闘している。その後、94歳の老母と実弟に会う。

12月28日(金) 今年最強の寒波が襲来、帰りの朝の飛行機便が天候調査中というメールが入った。あらら。まいったなあ。万一にそなえて北陸新幹線に切り替える。

 午後6時半から恒例の港合同法律事務所の「来年会」。去年の今頃はシリアのクルド人支配地域を取材中だったので欠席だった。駆けつけてみるとすでに事務所は満杯状態。知った顔が多数。午後9時からCSの収録があるのでアルコールは飲めない。拷問のごとし。みると東海テレビの阿武野勝彦さんと土方宏史ディレクターが来ているではないか。こないだの『調査情報』に『さよならテレビ』のことを書き、写真を提供していただいた経緯があるので挨拶を交わし話をした。他人事じゃなくて、僕らみんなが『さよならテレビ』をつくるべきなんだ、と。

 午後9時から打ち合わせの後、CS『カタストロフと美術のちから展をみる』の収録。よくまとめられていた。特に畠山直哉さんとChim↑Pomの卯城竜太さんのインタビューはもったいないくらい。テレビは時間が限られているので。畠山さんの発言は別の媒体できちんとお伝えできればと思うが、Chim↑Pomの発言は稀有なので、以下に一部をほとんどそのままで紹介しておこう。

金平 (森美術館の)開館記念で『カタストロフと美術のちから』という、アイロニカルというか、美術の力を問いかけるような、とても刺激的な展覧会だとは思うんですけど、その中でも、報道は真実を伝えているかと、東日本大震災の後の福島第一原発付近で防護服に身を包み撮影した映像作品があります。実は私、かなり早い段階でこれを見たんです。僕らの仕事ってこういう所に行くのが仕事だったし。同じように防護服を着て行った。正直言って、あの時これをみて反発を感じました。

卯城 そうなんですか。

金平 なんでこんなことするんだ、みたいな。僕はある種の世間の常識みたいなものを背負いながら仕事をしているので。この間、この展示会で見た時は全く考えが変わって印象が変わった。これは「よくこういうことを残してくれたな」というような気持ちの方が、よくあの時こういうことをやったアーティストがいたなって。だってあの時は、アーティストはみんな身をかがめて逃げた人だっていた、正直。その時にあそこに突っ込んでいった。福島第一原発の現場を見たいと思った気持ちはどういう気持ちだったんですか、当時。
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