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軍事政権下で民主化運動に加わる

 タンスエさんが生まれて間もない1962年、ミャンマーではクーデターが起き、軍が実権を握る政権が誕生した。「例えコーヒーショップの何げない会話であっても、政権に反対するようなことを口にすれば、密告の対象になり、逮捕される。そんな時代でした」と当時を振り返る。自由の無い社会を変えたい、憲法を改正し政治体制を刷新したいと、1988年、学生たちが民主化運動のために立ち上がる。その年の8月8日に決行された、僧侶や公務員、そして一般市民たちも加わっての全国的なデモ、ストライキは「8888民主化運動」と呼ばれている。当時、大学で地質学を教えていたタンスエさんも、「日本のような民主主義国家にしたい」とこの運動に加わった一人だった。ところが民主化運動のうねりは、すぐに激しい弾圧にさらされることになる。軍の発砲などによる死傷者は日を追うごとに増えていき、活動家たちは次々と逮捕されていった。そしてタンスエさん自身にも、その危険が迫っていた。

 万が一のために辛うじて手に入れていたパスポートで、まずは隣国のタイへと逃れた。治安当局がタンスエさんの自宅へと踏み込んでくる5日前のことだった。その後、京都の大学に通っていたミャンマー人の友人の「日本に来ることさえできたら何とか助けられる」という声を頼りに、1989年に日本へとたどり着く。「翌年にはミャンマーで選挙が実施されると聞き、2年もすれば帰れるとばかり思っていました」。それから30年間、一度も故郷の地を踏めずに過ごすことになるとは思いもしなかったという。1990年、30年ぶりに実施された総選挙では、アウンサンスーチー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝した。けれども軍事政権は、その結果を無視した。

真冬の日本、不慣れな建設現場で働き続ける

 タンスエさんが来日したのは12月、東京の街は経験したこともないような凍える空気に覆われていた。最初の数日はホテルで過ごしたものの、すぐに資金は尽きてしまった。寒空の下、夜は池袋の公園で過ごし、朝になって人々が動き出せば、ビルの中に入って体を温めるという日々を過ごした。

 そろそろお正月、という時期に差しかかると、工事現場の終わらない仕事を片付けるために、日雇い労働の募集がかかるようになった。高田馬場駅近くで朝5時、仕事を求める人々の列に並んだ。「たまたま最初に働いた会社の社長さんが、英語が少しできる人だったんです。働いて2週間も経つと親交も深まり、この仕事の後も続けて働かないかと声をかけてもらったんです」。大学の先生だったタンスエさんにとっては、もちろん建設現場での作業は不慣れな仕事だった。それでも働き続けなければならなかったのは、自身のためだけではない。

 タンスエさんは、タイに逃れる1カ月前に、大学の後輩だったタンタン・ジャインさんと結婚していた。「どうか自分の後についてきてほしい」という言葉を残したものの、当時パスポートを持っていなかったタンタン・ジャインさんにはなす術もなかった。この時タンスエさんが務めていた会社の手助けがなければ、彼女の来日は叶わなかっただろう。

 日本が難民条約に加入したのは、タンスエさんが来日する8年前の1981年のことだ。制度がようやく整い始めたばかりということもあり、日本に逃れてきた人々の中でも、難民申請という概念自体がない人たちも少なくなかった。インターネットが自由に使えたわけでもない。自ら必要とする情報を手に入れるのは、今よりもさらに困難だったはずだ。辛うじてそういった情報を入手できた人々も、日本語も分からなければ法律の知識もない。

 「入管側もミャンマーの現状を把握していなかったのでしょう。難民認定のためのインタビューでは、労働目的で来ているのではと何度となく疑われ、厳しく質問される。その繰り返しでした」。一時は諦めそうになった難民申請だったが、根気強くインタビューに応じてきたのは、日本で生まれた娘を思ってのことだった。保育園への入園ですら簡単なことではなく、子どものこれからのことを考えれば、難民認定を受けて、現状より少しでも安定して日本にいられる立場を得る必要があった。

 「在日ビルマ人難民申請弁護団(1992年設立)」の支援も受け、1997年、タンスエさん夫婦はようやく難民認定を受けることができた。来日してから、すでに8年の歳月が経とうとしていた。

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筆者

安田菜津紀

安田菜津紀(やすだ・なつき) フォトジャーナリスト

1987年神奈川県生まれ。Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)所属フォトジャーナリスト。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、カンボジアを中心に、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で貧困や災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。写真絵本に『それでも、海へ 陸前高田に生きる』(ポプラ社)、著書に『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』(新潮社)。『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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