不透明極まりない2019年の政治。希望は多様化が進む社会の側にある
2019年01月11日
2019年の日本政治はイベントが目白押しである。4月の統一地方選挙、5月の新天皇の即位と改元、7月の参議院選挙、さらに10月の消費税率引き上げと、政治スケジュールは過密と言ってよい。他方、世界に目を転じると、米中の対立は高まる一方で「新冷戦」さえささやかれ、アメリカ経済の不透明感は増し、イギリスのEU離脱もあり、困難と混乱が予想される状況にある。
まずは目前の課題をこなすことに精一杯にみえる安倍晋三政権に、海外から突発的な事態が降りかかったときにどうなるか? 不安をぬぐえない一年が始まろうとしている。
このように何が起こるか予想がつかない状況ではあるが、それでも安倍政権の今年の方向を見渡そうとするとき、考える手がかりとなるのは、昨年2018年と比較して何が異なるかを確認することである。そこで本稿では、18年を基に不透明きわまりない19年を予測してみたい。
昨年は前年(17年)の10月に衆院選があったため、国政選挙がないことがほぼ確実な一年であった。その意味で、政権としてはゆったりと政策を構想できる一年になるはずであった。
振り返れば17年は、通常国会の会期中に森友・加計学園問題が噴出、国会審議は荒れに荒れた。これをなんとかしのぎ、秋の衆院選で自民、公明の与党は圧勝したのだが、総選挙にあたって「人づくり革命」と「働き方改革」を掲げていた政権は、そこから新しい政策を打ち出していくものと受け止められた。政権は自信を持って新年を迎えたのである。
「満を持した」ともいえる政権の姿勢は、安倍首相の2018年の年頭挨拶にはっきり現れている。
「本年は、明治維新から、150年の節目の年です」と言う首相は、「高い志と熱意を持ち、より多くの人たちの心を動かすことができれば、どんなに弱い立場にある者でも、成し遂げることができる」という津田梅子の言葉を引き、「150年前、明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタートしました。国難とも呼ぶべき危機を克服するため、近代化を一気に推し進める。その原動力となったのは、一人ひとりの日本人です。これまでの身分制を廃し、すべての日本人を従来の制度や慣習から解き放つ。あらゆる日本人の力を結集することで、日本は独立を守り抜きました」と述べた。
語調は強く、高揚感が漂う。ただ、入れ込んでいる分だけ、どこかポエムに近づく調子の文章である。
「昨年は、全国各地で大きな自然災害が相次ぎました。被災者の皆様が一日でも早く心安らぐ生活を取り戻せるよう、政府一丸となって復興を進めてまいります。平成はバブルとともに始まり、経済はその後、長いデフレに突入しました。失われた20年、就職氷河期の到来、未曽有の自然災害。人口が減少する社会は成長できない。『諦め』という名の壁が日本を覆っていました。私たちは、この壁に挑みました。6年が経ち、経済は成長し、若者たちの就職率は過去最高水準です。この春の中小企業の皆さんの賃上げ率は20年間で最高となりました。生産農業所得はこの19年間で最も高くなっています」
要は、災害への対応、経済成長、雇用確保といった通常の政策の成果について触れているに過ぎない。新しさもなければ、ポエムも消えたのが、今年の特徴なのである。
なぜ、そうなったのか?
2018年は、3月1日の朝日新聞のスクープにより、森友学園問題での財務省の公文書改竄(かいざん)が明らかとなり、加計学園問題とともに不祥事が再燃した。17年の国会で参考人として答弁した官邸高官の佐川宣寿氏(財務省)は再度、国会で証人喚問され、柳瀬唯夫氏(経産省)は参考人招致され、答弁の実質上の修正を余儀なくされた。いずれも前後して職を退任せざるをえなくなったのである。
政権は、前年はあった高揚した自信を、保てなくなりつつある。ポエムがなくなった後、政権が繰り返すのは、「一億総活躍社会の本格始動」といった新味のない過去の政策の羅列である。年頭の記者会見で安倍首相は「戦後外交の総決算」を唱えたが、今さら「戦後外交」はないだろうし、「総決算」にしても30年ほど前の中曽根康弘首相の「戦後政治の総決算」の二番煎じの感は否めない。
つまり、政策に新味がなくなっているのである。政策構想力の枯渇が始まっている。そこから浮かぶのは、受け身の政権の姿である。
受け身なのは、官邸だけにとどまらない。官邸を「忖度(そんたく)」する各省は、失態なきよう受動的姿勢に終始し、能動的貢献が期待できないどころか、政権のためにデータの曲解すら無自覚に行っているとも言える。
内閣支持率浮揚の“切り札”とされる外交にしても、北方領土問題をめぐる日ロ交渉しかり、北朝鮮問題しかり、さらにはトランプ米大統領への対応しかり、いずれも相手次第である。今や世界情勢はきわめて流動的である。そのまま成果を期待できるものではない。
まとめると、すべてにおいて受け身と守勢に立たざるを得ないのが、安倍政権の今年の特徴なのである。
だが、これはある意味で当然かもしれない。昨年9月の自民党総裁選で3選を果たした安倍氏の残りの任期は2021年9月までであり、現政権で今から新たな政策を打ち出し、それを仕上げ、国会を通したとしても、その成果を自らのものにするには時間がなさ過ぎる。受け身と守勢は、自らの任期が終了するまでに、これまで蒔(ま)いた政策のシーズを果実として刈り取ろうとしているからでもあるだろう。
このように政権自体がその幕引きを見据えているとすれば、我々が政権を評価する際にも、終わりを先取りする必要が出てくる。そう思って見ると、今年の安倍首相の年頭挨拶は、政権の経済政策アベノミクスの実績を、データとともに誇ろうとしていた。
もちろん、こうした自己評価が果たして正しいのかという厳しい審判は、政権が幕を下ろす際に、多方面からくだされるであろう。少なくとも、すべての人からねぎらわれ、拍手で見送られて退任というシーンは想定しにくい。片やデータによる居直りと強弁、片や犠牲となった人々からの呪詛(じゅそ)と罵詈(ばり)雑言が飛び交うことになりそうな雰囲気が漂う。
こうした事態を回避するためには、政権として次期政権にまたがる課題を大々的に打ち出すしかない。その典型が、民主党政権がその最末期に実現した社会保障と税の一体改革であった。
増税を伴う以上、罵詈雑言を浴び続けるのはやむを得ないが、一体改革が今なお政権を拘束しているのは、本年秋の消費税率引き上げを見ても明かである。安倍政権も、日本の将来を見据えた政策を打ち上げず、守勢に徹するだけでは、ダッチロールになるのは間違いない。
それにいつ政権が気づくか。10月の消費税率引き上げにあたって、何かを打ち出す余裕があるかが、ポイントとなるのではないだろうか。
その結果として、ますます困難になるのは憲法改正である。公明党の山口那津男代表が新年の街頭演説で「数の力で一辺倒に押し切るような運営は厳に慎まないといけない。果断な意思決定が必要な場合もあるが、国会では真摯(しんし)に議論を尽くして幅広い合意形成を作り出していくのも重要な役割だ」と述べて、自民党単独の憲法改正発議を牽制(けんせい)している。
それ以上にもまして注目すべきは、改元をめぐる諸行事である。
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