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火だるま行革に突き進んだ橋本政権の成果と挫折

平成政治の興亡 私が見た権力者たち(8)

星浩 政治ジャーナリスト

 日本の安全保障の変質させた日米安保共同宣言

「日米安全保障共同宣言」に署名したあと握手するクリントン大統領(左)と橋本首相=1996年4月17日、東京・元赤坂の迎賓館拡大「日米安全保障共同宣言」に署名したあと握手するクリントン大統領(左)と橋本首相=1996年4月17日、東京・元赤坂の迎賓館
 1996年4月にはクリントン大統領が訪日。橋本首相との首脳会談で「日米安全保障共同宣言」を発表した。沖縄の米軍基地の整理・統合・縮小をめざす一方で、日本が日本周辺や極東にとどまらず、アジア・太平洋の平和と安全に貢献するため米国との協力を進めるという内容である。

 日米安保体制は従来、日本の防衛について「日本が基地提供というコストを負担し、有事には米国が軍事行動をとるリスクを負う」といった補完関係を維持してきた。しかし、冷戦が終わり、ソ連の脅威がなくなった中で、米国が「共産主義に対する橋頭堡(きょうとうほ)としての日本を守る」意味は薄らいでいた。

 かといって米国が日本を含めた東アジアから撤退すれば、中国の台頭などで東アジアの情勢はむしろ不安定になる。米国を引き留めつつ、安全保障面での日本の役割を拡大する方策は何か――。田中氏や米国のジョセフ・ナイ国防次官補ら日米の外交・安全保障担当者が知恵を絞ったのが、この安保共同宣言だった。

 しかし、安全保障に関する日本の関与が、日本国内や極東にとどまらずアジア・太平洋全体にも及ぶという姿勢は、その後の自衛隊の海外派遣に道を開くことになる。日本の安全保障の変質につながることは、橋本首相さえ覚悟していなかった。

「第3極」民主党の旗揚げ

民主党結党大会を終え、記者会見に臨む(左から)菅直人、鳩山由紀夫両代表=
1996年9月28日、東京都千代田区一ツ橋の日本教育会館 
拡大民主党結党大会を終え、記者会見に臨む(左から)菅直人、鳩山由紀夫両代表= 1996年9月28日、東京都千代田区一ツ橋の日本教育会館
 私はその夏、ワシントン特派員になるための留学で米国へ赴任した。ワシントンのジョージタウン大学で語学などを学び、年明けからは特派員として米国政治や日米関係などを取材した。この間はワシントンから日本政治をながめていた。

 永田町では、前回衆院選(93年7月)から3年が過ぎ、与野党とも小選挙区比例代表並立制という新たな選挙制度の下で初めての選挙の準備に入っていた。橋本首相は、9月27日に召集された臨時国会の冒頭で衆議院を解散。10月8日公示、20 日投票となった。

 自民党対新進党という二大政党の対立構図が定まりつつある中で、「第3極」が動き出した。解散の翌日、東京都内で結党大会を開いた民主党。新党さきがけにいた鳩山由紀夫、菅直人両氏の二人が共同代表となり、自民、新進両党の間に割って入る構図となった。民主党には、社民党(96年1月に社会党から党名変更)やさきがけから、前衆院議員52人と参院議員5人の計57人が参加。ただちに選挙活動に入った。


筆者

星浩

星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト

1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。

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