知らないではすまされない。「食への意識」を国民は高めよ
2019年01月20日
2018年は、アメリカを除く11カ国の「TPP11(環太平洋連携協定)」発効と共に幕を下ろした。 WTOより強制力のあるTPP、ウォール街の元同僚達が「グローバル企業の夢」と呼んだこの協定が、トランプ大統領によるアメリカ離脱後に、日本政府の旗振りで、ついに実現することになる。
この協定の誕生に期待を寄せる日本国内のテレビ・新聞は、今も「関税」分野を中心に、「自由で公正なルール構築」「巨大な経済効果」などと肯定的な論調だ。実際、マレーシアのコンビニへの外資規制緩和や海外における知財保護強化など、TPP11が財界にもたらす恩恵は少なくない。
だが本当にそれだけだろうか?
トランプ大統領によるアメリカの離脱以降、このテーマに関する報道自体が激減し、国民の関心は一気に薄れていった。まるで一枚のすりガラスに隔てられているかのように、この協定の発効に伴う銀行や投資家、グローバル企業の熱狂は、一般国民の住む世界には決して伝わってこない。そして、この協定の主目的である「非関税部門」については、もはや話題にすら上がらないのだ。
この協定について、官邸ホームページの説明を見てみよう。
関税だけでなく、サービスや投資自由化を進め、知的財産、金融サービス、電子商取引、国有企業の規律など、幅広い分野で21世紀型ルールを構築するもの
実は今後、長期に渡り、社会や暮らし、国民の命や健康、子供たちの未来や社会のあり方に大きく影響するのは、ここに記されている「非関税分野」の方だ。
国民が目を向けるべき重要なことは、しばしばニュースが取りこぼした残骸の中にある。
たとえば「食の主権」は、豊かな食文化を持つ私たち日本人が、最も変化をを想像しにくい分野の一つだろう。
四季に恵まれた日本では、国内で300種以上の米が育成され、どこへ行ってもご当地の美味しい米や野菜、果物が食べられる。だがTPPの発効を受け、今後は国民の食の安全と供給を守るという国家の主権がじわじわと変えられてゆく。
TPPはバイオ企業の悲願であった。条文にはBIO(世界のバイオ企業1200社からなる団体)の要望を受け、参加国に種子開発者の「知的財産」を保護するUPOV条約(日本、アメリカ、EUなど51カ国が署名)の批准義務などが盛りこまれた。これによってTPP11参加国には、農家による種子採種や交換を禁止する国内法導入が促されることになる。
TPP11の下準備を進めていた日本(UPOV条約も批准済み)は、すでに率先して国内法改正に着手していた。
「自家採種禁止リスト」は段階的に増やされ、今月4日に締め切ったパブリックコメント後にも新たな禁止品目が追加される。もともと「原則OK」だったのが、禁止品目の数が増やされることで逆転。現在規制対象は386種で、今後はUPOV条約に沿った「原則禁止」に向かってゆくだろう。実は日本はITPGR条約(自家採種を農民の権利として認めている)も批准しているが、明らかに「農民」より「開発企業」の権利の方が優先されているのだ。
また、2017年春には都道府県が主食(米・麦・大豆)の種子開発に予算をつける種子法を廃止。地元で開発した公共品種の種子データの企業への無料提供や、生産性の低い稲の銘柄を減らす法律を導入するなど、日本国民の大半が気付ぬうちに、世界のバイオ企業の望みが、TPP発効前に次々とかなえられていった。
こうした法改正が要求される理由の一つは、熾烈(しれつ)な食い合いが起きている世界の食品産業界で拡大する、種子から農薬、科学肥料に食の流通まで一企業の傘下に収め効率化する「垂直統合モデル」に適応させるためだ。
種子・農薬・化学肥料メーカーなどがグローバルな市場展開を進める際、各国の地元種苗会社や種子開発のための公共予算、公共品種や種子の多様性は、ビジネスの障害になる。
そこで、これまでバイオ企業は世界のあちこちでその国の政府に働きかけ、地域で開発された公共種子を守る法律や農家の自家採種・交換を禁止させてきた。その後その国が開発した種子データを手に入れて自社の研究所で遺伝子を組み換え、新しく特許をとった新製品を農薬とセットで売り、巨額の利益を上げるビジネスモデルだ。
ところが、農薬グリホサートでガンを発症したとして米国で訴えられた大手バイオ企業(旧モンサント社・現バイエル社)が2018年8月に敗訴したことをきっかけに、関連企業株価の大幅な下落や、同社への訴訟件数急増を受け、世界の潮流が大きく変わり始めた。今や遺伝子組み換え食品や農薬に対する消費者の目は各国で厳しさを増し、本家本元のアメリカでも、大手スーパーや食品メーカーが非遺伝子組み換え・減農薬商品に重点を移し出している。
業界にとって想定外だったこの変化は、UPOV条約批准や遺伝子組み換え食品の規制と表示撤廃、食品添加物や農薬の安全規制緩和などの要求を盛り込んだTPP11発効に、二重、三重の意味を持たせる結果となった。
では、TPP11は一体、食の安全にどんな影響を与えるのだろう?
まず、未承認食品流入のチェック体制が、今より緩くなる。
現在92時間かけている輸入食品の検疫が、TPPによって48時間に短縮される。食品が遺伝子組み換えであるかどうかを検査するには丸一日かかるため、48時間ですべての検査を終えるのは、物理的にかなり厳しくなってしまう。
とすれば、今後、輸入食品の検査時間を短縮するか、検査項目を減らさなければならなくなるだろう。
また、たとえ規制されている遺伝子組み換え食品流入を見つけても、今までのようにすぐに輸出国に返送できなくなる。安全かどうかの決定自体を、まず企業も含めた関係者で協議し、返品に合意するステップを踏まなければならないからだ。食品表示に関しても、彼らの同意なしにはできなくなる。
これからさらに多くの輸入食品が流れ込んでくる状況で、日本人の食の安全を守るには、現在約400人の食品安全検査員の緊急増員と、わずか7%しかない検査率の拡大が急務だろう。だがマスコミがこうした問題を大きく取り上げず、国民の関心も薄いため、政府も動こうとしないのが現状だ。
さらに、たとえ検閲に引っかかったとしても、その安全評価基準は今より緩めなければならない。TPP11のルールでは、企業に不利になる「予防原則」が主張できないからだ。他国で危険だとされている農薬や化学肥料、遺伝子組み換えやゲノム編集のような未知の食品でも、一定レベルの被害が出るまでは政府は規制できなくなる。
ちなみに、従来の遺伝子組み換えよりさらに進化した、遺伝子そのものを編集する「ゲノム編集食品」については、日本政府はアメリカと足並みを揃え、「DNAを人工的に切断したもの」や 「DNA操作後に遺伝子除去したもの」なら安全審査不要という方針を進めている。
EUを筆頭に世界の国々は予防原則を重視する方向に進んでいるが、日本やアメリカは逆方向に向かっており、TPP11は明らかに後者の意図を汲んでいるのだ。
科学技術が進化するスピードが人間の想像を超える時代に生きる私たちにとって、「選択肢」を持ち続けることは身を守ることと同義語になる。だからこそ、情報を遮断するような法改正には、厳重な注意が必要だ。
2018年3月、消費者庁の「遺伝子組み換え食品表示に関する検討会」は、すでにザル法の「遺伝子組み換え食品表示」ルールを温存し、「非遺伝子組み換え表示」の基準を厳格化した。今後、店頭から「遺伝子組み換えでない」表示は消え、消費者が遺伝子組み換えかそうでないかを見分けることは、今よりずっと困難になるだろう。
大半の国民はこうした一連の動きを知らず、ある日スーパーの棚の前で、初めて自分たちの食に関する選択肢が消えたことに気づくのだ。
TPP11 は序章に過ぎない。
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