象徴としての天皇のあり方を考えるはずが、イベントとして盛り上がる改元。
2019年01月23日
元号で食っていけんの?
マツコデラックスらしいツッコミを受けました。
これは、今月9日にフジテレビ系列で放送された「ホンマでっか!?TV」のなかで、「元号評論家」として出演した筆者に対して、マツコデラックスが発した驚きの一言です。
確かに、元号だけでは食えません。
天皇陛下の「お気持ち」が表明されてから2年半、約3ヶ月後に迫った改元に向けて、原稿の執筆や、新聞や雑誌へのコメント、テレビラジオ出演など、いくつかの機会を頂いています。
とはいえ、原稿料や出演料をまとめて、どれだけ多く見積もっても総額で100万円前後のため、元号関連の収入だけでは、扶養控除を外れるかどうかの瀬戸際にいる程度の稼ぎにとどまります。
なにもこの場を借りて、名もない若手学者の惨めな生活を嘆きたいのではありません。そうではなく、この2年半のあいだに、元号について考えたり、感じたりしたことを、ここでまとめてみたいのです。そのまとめを通して、いまの日本社会における元号のポジションが見えてくると思うからです。
元号をめぐるこの2年半の日本人の反応は、正直とても意外でした。元号について、これだけ関心があるとは到底思えませんでしたし、いまもなお意外に思い続けています。
昨年5月から何に対しても「平成最後」という枕詞が使われています。SNS上では「次の元号予想」が展開されてます。元号についての関心の高さをうかがわせる事象が、随所で目に付きます。
私たちはいま、普段の生活では元号をほとんど使いません。にもかかわらず、あるいは、だからこそ、何か特別のイベントのように、元号を使ったり、話題にしたりします。
それが意外だったのです。
そもそも、元号はきわめてマイナーなテーマです。実際、元号の専門家としては、『元号』(文春新書)の著者たち3人(所功、久禮旦雄、吉野健の各氏)や、山本博文氏の名が挙がる程度です。エコノミストのように、大学からシンクタンクまでよりどりみどり、という状態とはまったく違います。
もっと言えば、筆者のように、元号の社会における位置づけについて考えている人間なんぞは、物珍しいというか物好きというか、少なくともマジョリティではありえません。だからこそ、原稿執筆やコメントのご依頼をいただく機会が少なくなかったわけです。本稿もまた、そのひとつにほかなりません。
私はいろいろなめぐりあわせの末、8年前に大学院の修士課程に進み、以来、元号を研究テーマとしています。とはいえ、元号を研究したい、と思って大学院に「入院」したわけではありません。
当初、私は「1995年」や「90年代」について、社会学を通して考えたいと漠然と考えていました。そのなかで、指導教員からのアドバイスなどもあり、元号と西暦の関係を考えるようになりました。具体的に言うと、「昭和50年代」よりも「1970年代」や「1980年代」の方が流通している、その理由や背景をめぐる考察です。近いところでは、「平成ゼロ年代」という言い方を、ほとんどしないのはなぜなのか、を解明しようと狙いました。
もうお分かりでしょう。私は「元号ありき」で考えているのではなく、逆に、なぜ元号を使うのか(もしくは、使わないのか)という点にこそ興味があるのです。
「なぜ、元号を研究するのか?」と聞かれれば、「なぜ、元号を使ったり、使わなかったりするのか、不思議ではないですか?」と答えるべきなのだと、最近になって、ようやく気づきつつあります。
元号は、ひとたび話題にのぼれば、「バズワード」となったり、次の予測が飛び交ったりするほど身近なものです。でも、そうであるがゆえに、かえって「研究」する対象としてはみなされなかったのではないかと思わざるを得ません。
そんな筆者でも、というべきか、あるいは、だからこそ、なのか、「平成」や元号について今、私は飽きつつあります。
正確に言うと、元号についての研究に飽きたわけではありません。そうではなくて、「平成」という元号を語るフリをして、結局は、天皇陛下と、美智子皇后を褒め称えておしまいにしてしまう風潮に対して飽きているし、嫌気がさしているのです。
「平成最後」とか「平成」について語ろうとしたり、考えようとしたりしているにもかかわらず、最終的には、天皇皇后両陛下は素晴らしいですね、などと言って満足げな表情を浮かべる、私の母親のような「小市民」に嫌気がさしているのです。
「今年って平成何年だっけ?」と毎年のように聞いていたり、「いまどき元号を使っているのなんて役所の書類ぐらい」だのと文句を垂れていたりしてきた人たちが、いざ「平成最後」を迎えるとなると、やたらに平成という元号を使ってしまいます。
そこまでは、個人の趣味の範囲だし、とりたてて目くじらをたてるつもりもありませんが、そんな「平成最後」にあたって、「この30年間は天皇皇后両陛下の素晴らしいお人柄のおかげで、日本に平和が保たれてきた」などと、したり顔でまとめてみせる仕草に飽きているのです。
腹立たしいというよりも、「ああ、この国は、今回もまた、天皇にすべてを押し付けるのだな」という既視感を覚えるからです。
現在の元号は、その天皇の在位期間と一致しており、明治から平成にいたる150年間にわたって、その役割を果たしきました。さらに元号は、諡(おくりな)として、「崩御」された先帝の名前として用いられてきました。
このため、天皇と元号、それぞれのイメージを、私たちは重ね合わせてきました。
たとえば偉大な明治大帝、病弱ながら平和な大正天皇、元首と象徴の二つを生きた昭和天皇といった具合にです。そして、象徴を体現した天皇陛下もまた、いずれ「平成天皇」と呼ばれ、元号とイメージを重ね合わせられるに違いありません。
今回の代替わりを前に、「崩御」されていないにもかかわらず、すでに「平成」と天皇陛下を同一視する見方は広まっています。
昨年暮れにあった「平成最後」の天皇陛下による記者会見で、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています」と述べられたこともまた、その見方に拍車をかけています。
だが、本当に、これでいいのでしょうか。
この国の「まとまり」から時代のイメージにいたるまで、天皇にすべてを押し付けて解決してしまっていいのでしょうか。
いや、いいとか悪いとかの話ではありません。元号についてことさら考えるわけでもなく、人権を持たない天皇にすべてを背負わせる現状を不条理と思うわけでもなく、ただただイベントとしての「平成最後」や「次の元号予測」について盛り上がる現状に、私は飽きています。
今回の天皇の代替わりとは、「象徴としての天皇のお務め」とは何か。すなわち、天皇とはいかなる存在なのかについて、根本から考え直して欲しい、という叫びに端を発しています。
人権を持たない天皇陛下による、「既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」(「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」平成28年8月8日、より)という、あくまで人間として自身を捉えてほしいという叫びから始まっています。
それゆえ、今回の退位それに伴う改元は、政治や憲法のテーマであるとともに、天皇=元号=時代という三位一体のイメージのなかで、私たちに国民の象徴としての天皇のあり方について再考を迫る機会になるはずでした。
ですが、現状を見ると、
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