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天皇と元号と「平成最後」の日本人

象徴としての天皇のあり方を考えるはずが、イベントとして盛り上がる改元。

鈴木洋仁 東洋大学研究助手

意外だった日本人の反応

 元号をめぐるこの2年半の日本人の反応は、正直とても意外でした。元号について、これだけ関心があるとは到底思えませんでしたし、いまもなお意外に思い続けています。

 昨年5月から何に対しても「平成最後」という枕詞が使われています。SNS上では「次の元号予想」が展開されてます。元号についての関心の高さをうかがわせる事象が、随所で目に付きます。

 私たちはいま、普段の生活では元号をほとんど使いません。にもかかわらず、あるいは、だからこそ、何か特別のイベントのように、元号を使ったり、話題にしたりします。

 それが意外だったのです。

 そもそも、元号はきわめてマイナーなテーマです。実際、元号の専門家としては、『元号』(文春新書)の著者たち3人(所功、久禮旦雄、吉野健の各氏)や、山本博文氏の名が挙がる程度です。エコノミストのように、大学からシンクタンクまでよりどりみどり、という状態とはまったく違います。

 もっと言えば、筆者のように、元号の社会における位置づけについて考えている人間なんぞは、物珍しいというか物好きというか、少なくともマジョリティではありえません。だからこそ、原稿執筆やコメントのご依頼をいただく機会が少なくなかったわけです。本稿もまた、そのひとつにほかなりません。

なぜ元号を使うのかに興味

新元号「平成」を発表する小渕恵三官房長官(当時)=1989年1月7日、首相官邸 拡大新元号「平成」を発表する小渕恵三官房長官(当時)=1989年1月7日、首相官邸
 では筆者はなぜ、元号を研究しているのか?

 私はいろいろなめぐりあわせの末、8年前に大学院の修士課程に進み、以来、元号を研究テーマとしています。とはいえ、元号を研究したい、と思って大学院に「入院」したわけではありません。

 当初、私は「1995年」や「90年代」について、社会学を通して考えたいと漠然と考えていました。そのなかで、指導教員からのアドバイスなどもあり、元号と西暦の関係を考えるようになりました。具体的に言うと、「昭和50年代」よりも「1970年代」や「1980年代」の方が流通している、その理由や背景をめぐる考察です。近いところでは、「平成ゼロ年代」という言い方を、ほとんどしないのはなぜなのか、を解明しようと狙いました。

 もうお分かりでしょう。私は「元号ありき」で考えているのではなく、逆に、なぜ元号を使うのか(もしくは、使わないのか)という点にこそ興味があるのです。

 「なぜ、元号を研究するのか?」と聞かれれば、「なぜ、元号を使ったり、使わなかったりするのか、不思議ではないですか?」と答えるべきなのだと、最近になって、ようやく気づきつつあります。

 元号は、ひとたび話題にのぼれば、「バズワード」となったり、次の予測が飛び交ったりするほど身近なものです。でも、そうであるがゆえに、かえって「研究」する対象としてはみなされなかったのではないかと思わざるを得ません。

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筆者

鈴木洋仁

鈴木洋仁(すずき・ひろひと) 東洋大学研究助手

1980年東京都生まれ。2004年京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送入社。その後、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学特任助教を経て現職。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。専門は社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)がある。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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