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柳川喜郎前御嵩町長から玉城デニー知事へ

住民投票に賛成反対と棄権以外の選択などない。ぶれずに進むべきだ

石川智也 朝日新聞記者

国策と地方の自己決定権の衝突

 投票までおよそ1カ月というこの期に及んで、沖縄「辺野古」県民投票は実施そのものをめぐって揺れ続けている。

 普天間基地移設に伴う埋め立ての賛否について県民が直接意思表示する初めての機会なのに、5市が不参加を表明。このままでは3割以上の県民が投票できない事態となる。

 住民投票の歴史を振り返れば、民意を行政に映すための一手段というにとどまらず、地域の利害を無視して推し進められる国策や都道府県の政策に対し、住民が自らの手で地域の将来を決めようと、「主権」を発動して抗する試みでもあった。

 首長や議会が「民意」の表出を止めることは許されるのか。国策と地方の自己決定権との衝突をどう克服するのか。辺野古問題の行方は――。

 国内で先駆けて産業廃棄物処分場建設を問う住民投票を実施した岐阜県御嵩町の柳川喜郎・前町長にインタビューした。

産廃処分場建設の是非を問う岐阜県御嵩町の住民投票の結果について記者会見する柳川喜郎町長=1997年6月22日、岐阜県御嵩町の役場

〈やながわ・よしろう〉 1933年東京生まれ。45年に父の転勤で岐阜県に転居し、御嵩町内の中高、名古屋大法学部を経てNHKに入局。社会部記者、ジャカルタ支局長、解説委員などを歴任した。義父が御嵩町長だった縁で町長選に担がれ95年に初当選。2007年まで3期を務めた。

投票不参加の市の市民は同時に県民でもある

――議会の予算案否決などを受け、宜野湾市や沖縄市など5市の市長が県民投票への不参加を決めました。投票条例制定の直接請求をした市民が全自治体の参加を求めてハンストまで始めましたが、市長らは態度を変えていません。

 自治体が地方自治の本旨にもとる行動をとっているということになる。今回の県民投票条例は県民の直接請求権の行使によって、県議会の議決を経て成立している。県議会には宜野湾市など選出の議員もいる。そこで決めた条例が「市町村の事務」と定めた投票事務を行わないのは、国会の多数決で決めたことに従わないことと同じだ。

 投票に参加しないと宣言した市の市民は同時に県民でもある。投票したくない市民や県民投票に反対の市民もいるだろうが、投票したい市民も当然いる。その権利を首長の一存で奪うなど、憲法が保障する参政権を踏みにじる理不尽であり、許されない。

 投票に反対の人は投票に行かなければよい。辺野古への移設に反対というなら、反対の一票を投じればよいだけだ。それを、自分が反対だからといって首長や議員がその権限で不参加を決めるのは、筋が通らない。

 それともうひとつ。住民投票についてメディアは二言目には「法的拘束力がない」などと言うが、その説明がそもそもおかしい。

 条例は法体系の一部であり、その地域を縛る「掟」だ。政令や省令よりもレジティマシーは高い。議会を通った条例による住民投票は、「法律上の」拘束力はなくても、リーガルな、つまり「法的な」拘束力を持つ。それを破ることは首長にも許されない。そうじゃなかったら、わざわざ条例を通してまで実施する意味はなくなる。

県は直接投票事務を。市民はどんどん提訴を

――このまま一部自治体が参加を拒めば、仮に反対多数となっても投票結果の正統性を損ねることになりかねません。移設推進派は必ず「県民全体の民意とは言えない」と主張するでしょう。

 県は市長への説得を続け、それでもやむを得ない場合は直接投票事務を行う方法を検討した方がよい。すでに動きがあるが、市民としては行政訴訟や損害賠償訴訟をどんどん起こすべきだ。投票日に間に合わせるためには仮処分しかないが、本訴訟も時間はかかっても判例をつくるという意義がある。

――賛成反対の二択では民意をすくい取れないとして、「どちらとも言えない」「やむを得ない」を選択肢に入れるべきだという主張があります。投票不参加を決めたうるま市長があらためて提案したほか、いわゆる「リベラル」側からも、行き詰まりを招いたのは二択方式を知事と与党が強引に進めたからだという声が出ています。

 「やむを得ない」は明らかに賛成でしょう。「どちらとも言えない」は棄権と同じ。判断できないなら棄権するか白票を投じてもらい、それもその人の意思と見なすしかない。

 条例に基づいた住民投票はただの意識調査や人気投票とは違う。何度も言うが、法的な拘束力を持つ地域の決断だ。二択がおかしいという議論は、明らかに住民投票を議会より一段格下に見る思想からきている。議決で賛成反対と棄権以外の選択などない。

 曖昧な選択肢を入れないことで投票率が下がってしまったとしたら、それはそれでひとつの結果だ。

 そういう意味では、通常の選挙で設けられていない最低投票率を住民投票にだけ採り入れるのもおかしい。人を選ぶ選挙ではそんな設定はない。投票率20%台で当選した首長は全国にごろごろいる。それでも、その地位に正統性がないなどという者はいない。住民投票にだけどっちつかずの選択肢を入れたり厳しい要件を課したりするのは、民主主義という観点からは理屈にあわない。

 御嵩の住民投票も、産廃計画への賛否を二択で明確に問うた。投票前から、僕は「町民が出した結果に従う」と明言していた。「どちらとも言えないという人はどうすればいいのか」と聞かれたが、「そんな選択肢はない。申し訳ないが棄権して下さい」と言った。

 沖縄で二択だ四択だとまた蒸し返すのは、住民投票を否定するためのイチャモンに近い。

 玉城知事はぶれるべきではない。

記者の質問にこたえる沖縄県の玉城デニー知事=2018年12月27日、沖縄県庁

〈御嵩町の産廃処分場問題〉 岐阜県内の産廃業者が御嵩町の木曽川沿いに「東洋一の規模」という87万立法メートルの最終処分場を計画。町は1995年2月、業者から協力金35億円を受け取る秘密協定を交わしたが、同年4月に町長に初当選した柳川氏は、計画地が水源に近いことや協定締結の経緯への不審から県に許可手続きの一時凍結を要望した。翌96年10月、柳川氏は自宅前で2人組に襲撃され意識不明の重傷を負った。町は97年6月、処分場建設を問う全国初の住民投票を実施。反対が79・6%を占めた。業者は2008年に計画取り下げを表明し、予定地は県に寄付された。町長襲撃事件後、岐阜県警は柳川氏の電話を盗聴した容疑で右翼団体幹部ら計11人を逮捕。うち一人は公判で「町長の失脚を狙った」と証言したが、襲撃への関与は全員が否定し、事件は2011年に公訴時効となった。

僕は防弾チョッキを着込んで説明会を回った

――沖縄では今回、市町村議会が投票執行のための予算を審議する前に、自民党の衆院議員が議員向けの勉強会で「予算案を否決することに全力を尽くすべき」などとする資料を配布していました。

 住民投票は政争の具にしてはならない。これは大原則だ。そのためには、情報公開と説明責任という民主政治の原則を、住民投票でも貫かなければならない。

 御嵩の住民投票では、条例告示から投票日までの半年間、僕は町内で41回、産廃計画への説明会を開いた。400人の会場のこともあったし、参加者が10人しか来ない日もあった。町長襲撃事件からまだ数カ月で、県警の警備担当も「危険だ」と反対したけど、僕は防弾チョッキを着込んで、産廃を受け入れるメリットとデメリットを自ら説明してまわった。

 町の総務課長は万が一に備えて、いつも鉄板入りのカバンを持ち歩いて僕の傍らにいた。でも、民主主義を歪めようとするものは、目に見える「暴力」だけではなかった。

――住民投票が迫った時期に、岐阜県が突然、処分場計画に県みずから関与して安全性に責任を持つという「調整試案」を発表し、町民への説明を始めましたね。

 投票まで2カ月というときに、住民投票をあからさまに攪乱する動きをした。「ここまでやるか」と思った。岐阜県は許可権者でありながら、処分場計画に肩入れし、進めようとしていた。産廃問題は政官業学暴の癒着構造を抱えた闇の深い世界だとあらためて感じた。

 そういう世界に切り込んで住民自治、地域の自己決定を取り戻すのに、住民投票は非常に有効な手段だ。

自宅で暴漢に襲われ負傷、リハビリをする柳川喜郎岐阜県御嵩町長=1997年5月19日、御嵩町内の病院

電子投票の信頼性が高まれば、住民投票はスタンダードになる

――御嵩の住民投票は1996年の新潟県巻町、沖縄県に続いて国内で三例目でしたが、労組などの組織ではなく住民が地道に署名を集め直接請求して実現したという点で、先進事例でした。

 僕は入院中だったから、まったくノータッチだった。完全に町民の意思で署名を集めて、条例案を固めた。首長や議会の発議ではなく住民の直接請求という手法での住民投票は、民意を示すという点で、より意義がある。

 電子投票の信頼性が高まれば、住民投票はいずれスタンダードになっていく。集中的に討議する議会の役割は消えないが、判断に住民が直接関与する直接民主制はこれからもどんどん広がっていく。

 1990年代には「衆愚政治になる」といった否定論がまだ根強かったが、民主制はもともとは直接民主制が主流で、人口増によって便宜的に代表制に変わっていった。

 季節が巡るように平穏で大きな利害対立もなく地域や政治が動いていた時代はとっくに終わっている。家庭内でも社会福祉や教育のあり方をめぐって親子間で世代対立があったりする。細分化した政策それぞれについて意見がまったく分かれ得るのに、1票を投じたから議員にまるごとお任せ、ということでは済まない時代だ。

――住民投票は当初は産廃や原発誘致といったアドホックなものがほとんどでしたが、その後、あらゆるテーマに対応できる常設型の投票条例を制定する自治体も増えました。一定数以上の署名が集まった場合に議会の請求否決を認めず投票実施を義務化した自治体もあります。日本の住民投票の歴史をどうみますか。

 初期のいわゆる迷惑施設を対象にしたものから、2000年代は市町村合併ものが大半で、昨今は庁舎建て替えといった身近なテーマが増えた。抵抗も減り、定着してきた感じがする。

 ただ、住民投票はある意味で非常に切れ味のよい刀のようなもの。使い方を誤ると危うい。

 産廃も原発も基地も、毎日そのことだけを考えて生活を送っている人はいない。いざというときに我がこととして考え、選ぶために悩む。行政が十分に説明や説得をする手間を省いて、政策への信任を得るためだけに住民投票や国民投票を行うのは非常に危険だ。

 そのイッシューについて利点とマイナス面を余すところなく公開して、そのうえで住民が互いに議論するためのフォーラムの場を設けなければならない。住民投票は、投票日までに相当の期間が必ず必要。そういう意味では、これまで400件以上行われた住民投票のなかには、危ういものがなかったとは言えない。

使える法令はたくさんある。たった1行の条文が大きな武器になる

――御嵩の産廃処分場問題では、許可権限を持つ岐阜県に対し、町は計画地内にある町道や町有地の変更・売却の同意権を盾に抵抗しました。辺野古問題でも、沖縄県は埋め立て承認の撤回や取り消しといった権限を使って工事を止めようとしてきました。

 辺野古は国が直接の事業者という点が異なるが、構造的には同じだ。住民投票の結果を尊重しなければならないという条例の義務に従って、僕は慎重論から明確な反対姿勢に転じた。

 でも県にまでは住民投票の効力は及ばない。だから処分場計画を止めるためにあらゆる手段を使った。

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