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日本を責めなかった3.1独立宣言

ちょうど100年前、1919年の東京、ソウル、上海で起こったこと

徐正敏 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

「世界の平和と人類の文化に貢献し得ることを信じる」

 これらの留学生は、朝鮮留学生学友会を組織して活動したが、その本拠地は東京の朝鮮人YMCAであった。新しい思想への挑戦、キリスト教精神と信仰の融合、同志的連帯と自信、そしてあたかも「台風の目」のような「中心の余白」ともいうべき東京の雰囲気が、2.8独立宣言の土台となったということができる。

 1918年、留学生忘年会で意気投合し、1919年1月6日に開催された留学生弁論大会で、具体的な意見統一がおこなわれた。そしてその年の2月8日、東京のYMCA会館に400人の朝鮮人留学生が集まって、朝鮮の独立を宣言したのである。

 これらの活動の前後には、事前にお互いの意思を確認しあった中国「新韓青年団」の代表張徳秀(チャン・ドクス)などが日本に派遣されてもいる。

私たちの民族は悠久の伝統のなかに高度な文化をもち、五千年以上にわたって国家を営んできた経験を有している。長年の専制政治下の害毒と不幸が私たちの民族に今日の受難をもたらしているとはいえ、正義と自由を基礎とした民主主義先進諸国を模範として新国家を建設したのちは、建国以来ながく文化と正義と平和を愛好する私たちは、世界の平和と人類の文化に貢献し得ることを信じるものである(「東京2.8独立宣言」より 現代的な表現に改めた)

 ここではまず、民族の歴史と伝統、文化と思想への誇りが示されている。そして正義と自由、民主主義への願いが述べられ、新しい独立国家樹立後には世界の平和と人類の文化に貢献する決意が表明されている。極めて肯定的で未来志向的な宣言であるといえようが、これがそのまま3.1運動の精神に受け継がれ、重要な土台となったのである。

 この2.8独立宣言の末尾に収録された決議文には、この宣言の実践的、具体的目標が記されている。血戦などという表現にもかかわらず、あくまでもその最終目標は、平和の希求と非暴力平和思想に基づく独立の実現にあることは一読して了解されるであろう。

1.私たちは、日韓併合が私たちの民族の自由意思によらず、私たちの民族の生存発展を脅かして、東洋の平和を揺るがす原因となっていることを理由として、独立を主張する。
2.私たちは、日本の議会と政府に対して、朝鮮民族大会を招集し、その決議によって私たちの民族の運命を決定する機会を作ることを要求する。
3.私たちは、万国平和会議に対して、民族自決主義を私たちの民族にも適用することを要求する。上記の目的を達成するために、日本に駐在する各国大使に私たちの意思を自国に伝達することを要求し、同時に委員2人を万国平和会議に派遣する。上記委員は、先に派遣された私たちの民族委員と行動を共にする。
4.前のすべての項目の要求が拒絶されるときには、私たちは日本に対して永遠の血戦を宣言する。これにより発生する惨禍の責任を私たちの民族は負わない。
(同上「決議文」より)


筆者

徐正敏

徐正敏(そ・じょんみん) 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

1956年韓国生まれ。韓国延世大学と大学院で修学。日本同志社大学博士学位取得。韓国延世大学と同大学院教授、同神科大学副学長、明治学院大学招聘教授、同客員教授を経て現職。アジア宗教史、日韓キリスト教史、日韓関係史専門。留学時代を含めて10年以上日本で生活しながら東アジアの宗教、文化、社会、政治、特に日韓関係を研究している。主なる和文著書は、『日韓キリスト教関係史研究』(日本キリスト教団出版局、2009)、『韓国キリスト教史概論』(かんよう出版、2012)、『日韓キリスト教関係史論選』(かんよう出版、2013)、『韓国カトリック史概論』(かんよう出版、2015)、『東アジアの平和と和解』(共著、関西学院大学出版会、2017)など、以外日韓語での著書50巻以上。

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