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県民投票から見えてくる沖縄の理想と現実

一転して全県実施の見通しとなった辺野古移設めぐる県民投票。結果はどうなる?

山本章子 琉球大学准教授

医師の診察を受け、ハンガーストライキを中止した「『辺野古』県民投票の会」の元山仁士郎代表(左)=2019年1月19日、沖縄県宜野湾市  
医師の診察を受け、ハンガーストライキを中止した「『辺野古』県民投票の会」の元山仁士郎代表(左)=2019年1月19日、沖縄県宜野湾市

「3択質問」で全県投票の見込み

 米海兵隊普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設に伴う辺野古沿岸の埋め立て工事の賛否を問う、県民投票が、沖縄全県で実施されることになりそうだ。県議会の全会派が24日、賛否2択の選択肢から「どちらでもない」を加えた3択にすることで合意、不参加を表明していた5市の首長も3択案に前向きで、態度を見直すとみられるからだ。

 基地建設に向け、辺野古沿岸ではすでに土砂投入が始まっているが、こうした現状に沖縄県民が直接投票によってどんな判断を示すのか。その結果を政治がどう受け止めるのか。まさしく民主主義のあり方が問われる局面となる。

 実は、沖縄はこれまでも基地問題をめぐり、幾度か県民投票や住民投票を実施している。今回の県民投票を前に過去の投票を検証し、沖縄が抱える問題についてあらためて考えてみたい。

5市のボイコットに抗議してハンガーストライキ

 2019年1月15日から5日間、「『辺野古』県民投票の会」代表の元山仁士郎氏は、住民票をおく宜野湾市の市役所前でハンガーストライキを行った。

 26歳だった元山氏が、同会を設立したのは2018年4月。以来、2カ月間で県民投票の実施を求める10万950人の署名を集め(うち有効署名9万2848人)、玉城デニー新知事のもと、沖縄県議会は10月末、県民投票条例を制定した。ところが、それから程なく石垣市、宜野湾市、うるま市、宮古島市、沖縄市の5市が投開票のボイコットを決定。県民投票の全県実施が危ぶまれる事態となった。

 ハンガーストライキは5市に抗議するために始められた。元山氏は5市の首長に翻意させるまで続ける覚悟だったが、ドクターストップがかかり、周囲の説得もあってやむなく中止に至った。

 今回の県民投票をめぐっては当初、移設賛成派よりもむしろ、反対派からの批判の方が目立った。「選挙ですでに何度も民意を示しているではないか」「工事を止める方法として悠長に過ぎる」というのである。

 批判する人たちの念頭にあったのは、1996年の県民投票と翌年の名護市住民投票の結末だった。

 民意がいかされなかった90年代の住民投票

基地整理・縮小、日米地位協定見直しを問で沖縄県民投票。「賛成に○で投票しょう」のたすきをかけた「平和のたすきリレー」の出発式もあった=1996年8月15日、沖縄県糸満市
基地整理・縮小、日米地位協定見直しを問で沖縄県民投票。「賛成に○で投票しょう」のたすきをかけた「平和のたすきリレー」の出発式もあった=1996年8月15日、沖縄県糸満市
 1996年9月8日に行われた県民投票は、大田昌秀県政の支持基盤だった県内最大の労働組合である連合沖縄が、県民投票条例の制定に必要な署名数を集めて実現した。問われたのは、日米地位協定の見直しと県内の米軍基地の整理・縮小についてであった。

 投票率59.53%。結果は、見直し・基地縮小に「賛成」が89.09%だった。ところが大田知事は、県民投票の告示前日にあった代理署名訴訟の最高裁判決で、県が全面敗訴したのを受け、県民投票の5日後に軍用地の代理署名に応じる。

 いったい何のための県民投票だったのか……。尽力した人々は茫然とした。

 翌97年の12月21日には名護市住民投票が実施される。名護市辺野古沖の海上ヘリ基地建設の賛否を問う住民投票を求めて、21の市民団体が有権者の46%に相当する数の署名を集めたのだ。

米海兵隊普天間基地の代替海上基地建設の是非を問う名護市の住民投票で反対が多数を占め、大喜びする市民=1997年12月21日、沖縄県名護市 米海兵隊普天間基地の代替海上基地建設の是非を問う名護市の住民投票で反対が多数を占め、大喜びする市民=1997年12月21日、沖縄県名護市

 これを受け、比嘉鉄也名護市長は、①賛成②環境対策や経済効果が期待できるので賛成(条件付賛成)③反対④環境対策や経済効果に期待できないので反対(条件付反対)――四択を問う形に修正した上で、条例を制定する。

 当時、防衛庁の事務次官だった秋山昌廣氏は「やって、負けたらどうするの」と名護市住民投票の実施に反対したという。秋山氏の回顧によれば、比嘉市長は「勝てる」〔=賛成多数になる〕と思っていたようだ。

 結局、投票率は82.45%と高率に達し、賛成は45.31%(賛成8.13%、条件付賛成37.18%)にとどまり、反対が52.85%(反対51.63%、条件付反対1.22%)と半数を超えた。

 ところが、比嘉市長は住民投票の3日後、政府の北部振興策とひきかえに基地建設を受け入れ、辞任する。民意はまたしても踏みにじられたのだった。

下河辺氏による投票分析

 当時、橋本龍太郎首相のブレーンだった下河辺淳氏は、96年県民投票と97年住民投票の際の名護市有権者の投票行動を比較分析している。「下河辺メモ」と呼ばれる、私文書の一部として、それが残っていた。

 メモによれば、96年よりも97年のほうが地元の問題として関心が強かったせいか、投票者は9724人増えている。下河辺氏は、この増えた投票者がほぼ基地受け入れに回ったと見る。96年の基地整理縮小賛成(=基地反対)と比べ、97年の基地反対は2900人減少している。増えた投票者数とこの票差を足すと、96年の基地整理縮小反対(=基地受入)票が97年の基地建設賛成(=基地受入)票に増えた分とほぼ一致するからだ。

◆1996、97年住民投票での名護市有権者の投票結果◆1996、97年住民投票での名護市有権者の投票結果

 住民投票では、「基地反対票が70%を超えると考えていた」という下河辺氏の予想と異なり45.31%の有権者が賛成に回ったが、それは「国の振興対策への期待」というのが同氏の見立てだった。振興とひきかえに基地受け入れた比嘉市長の決断を、下河辺氏は「過半数を超えるということですまされない複雑で悩み深い市民の判断にしたがったもの」「それだけ北部地区の人々の暮らしが難しいということ」と分析している。

重い基地依存の根深さをつく「言葉」

1996年9月8日投票の日米地位協定見直しと基地の整理縮小を問う沖縄県民投票への参加を呼びかける電光掲示板=1996年8月22日、那覇市内1996年9月8日投票の日米地位協定見直しと基地の整理縮小を問う沖縄県民投票への参加を呼びかける電光掲示板=1996年8月22日、那覇市内
 一方、同氏は96年の県民投票について、「基地市町村は投票率が低く、かつ基地受入れ票が相当数でたことが特色」だと考察。「いつまでも米軍の基地が沖縄に集中していることに賛成する県民はいないと思う」ものの、「基地市町村は基地経済に依存」し、「基地移転後の経済の見込みがたたない」と指摘している。

 実際には、96年県民投票の際の投票率、基地整理縮小の賛成率は、市町村ごとにあまり差がなかった。具体的に見ると、那覇市の投票率59.44%/賛成率94.3%に対し、宜野湾市は59.59%/91.5%、石垣市は54.66%/93%、沖縄市は54.73%/88.1%である。下河辺氏の指摘と合致するのは、現在のうるま市にあたる石川市(57.01%/84%)・具志川市(57.75%/86.3%)程度だ。下河辺氏の得たデータが不正確だったのだろうか。

 だが、私が問題だと考えるのは、こうした数値ではない。市町村の基地経済依存の根深さをつく下河辺氏の「言葉」が、いまだに過去のものではない点である。

県民投票ボイコットは事業費目当て?

 

宜野湾市の市街地に広がる軍普天間飛行場=2018年1月31日、沖縄県宜野湾市宜野湾市の市街地に広がる米軍普天間飛行場=2018年1月31日、沖縄県宜野湾市

 2019年の県民投票へのボイコットを表明した5市は、実は歳入に占める基地関係収入の割合が低い。普天間飛行場のある宜野湾市の基地関係収入は、直近の8年間で3.6%からわずかに増やして5%。嘉手納基地のある沖縄市は、逆に9%から5.8%まで減少している。キャンプ・コートニーとホワイトビーチのあるうるま市も、3.2%から2.6%まで低下した(ちなみに、基地関係収入が歳入に占める割合が高いのは恩納村や宜野座村で、3~4割ある)。

 その一方で、これらの3市は観光収入があまり伸びていない。沖縄を訪れる観光客の訪問先が那覇市、美ら海水族館のある北部西海岸、リゾートホテルが立ち並ぶ恩納村など中部西海岸に集中しているためだ。

 石垣市と宮古島市は観光客数の伸長が目覚ましいが、観光収入は財源として不安定で、インフラ整備など長期の予算が必要な事業計画が難しいという。両市が自衛隊配備を受け入れた理由の一つは、補助金などの「安定的な」財源獲得だとされるが、住民の反対などで自衛隊配備計画は遅れている。

 財源に悩むこれら自治体の目の前に安倍晋三内閣がぶらさげたのが、

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