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「平成デモクラシー」の起源と福沢諭吉の天皇論

政体論の復権の試み:天皇制と「平成デモクラシー」を考える(後編)

河野有理 首都大学東京法学部教授

初閣議を終えた第4次安倍改造内閣の閣僚。議院内閣制のもと、国会議員は首相、閣僚を目指して切磋琢磨する=2018年10月2日、首相官邸拡大初閣議を終えた第4次安倍改造内閣の閣僚。議院内閣制のもと、国会議員は首相、閣僚を目指して切磋琢磨する=2018年10月2日、首相官邸

 

立法と行政の「融合」が「平成デモクラシー」の特徴

 「平成デモクラシー」の特徴は、議院内閣制の深化、とりわけ立法と行政の機能の「融合」に求められる。これに対し、「55年体制」の特徴の一つは、同じく議院内閣制を採用しながら、本来は大統領制の理解として適切な「三権分立」を、自らの政体の理解に準用することであった。

 アメリカにおけるような厳密な「三権分立」はもとより行われていなかったにもかかわらず、日本国憲法の標準的な理解として「三権分立」が教科書レベルで定着してきたことは周知に属していよう。実態に則していなかったとはいえ、確かにその「分立」イメージは、(行政・立法・司法の間でこそないが)様々な勢力が相互に拒否権を持ち合う多元的な「55年体制」の精神と合致していたのである。

 首相の「立法府の長として」という「言い間違え」は、したがって「55年体制」の精神に則るならば、単なる形式的な間違いにとどまらず、首相としての資質を問われかねない発言ということになろう。だが、「平成デモクラシー」、すなわちウェストミンスター・モデルの精神に照らせば、確かに形式的には誤りであるにしても、鬼の首を取ったように責め立てるには酷ということになる。ウェストミンスター・モデルに則して考えるならば、明らかに首相は「立法府の長」としての機能をも果たしているのだから。

 福沢諭吉にいきつく「融合」の歴史的起源

 この議会制度に関する「融合」モデル。「平成デモクラシー」の歴史的起源を近代日本の中に探れば、福沢諭吉にいきつく。

 「福沢諭吉は、自由民権運動の盛り上がりを受けて、イギリス流の議院内閣制の導入を図った」という記述それ自体は、それこそたとえば日本史教科書レベルの基礎知識であろう。しかし、彼の構想した「議院内閣制」の内実が、実は現在の「平成デモクラシー」と同様の行政と立法の「融合」を強調したウェストミンスター・モデルだったことは、意外と看過されているように思われる。そして他方、福沢に対した同世代の論者たちの多くの議会制度理解が、「三権分立」的なものであったという文脈も、ほとんど知られていない。

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筆者

河野有理

河野有理(こうの・ゆうり) 首都大学東京法学部教授

1979年東京生まれ。東京大学法学部卒業、同大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。首都大学東京都市教養学部准教授を経て2016年より現職。主著に『明六雑誌の政治思想』(東京大学出版会)、『田口卯吉の夢』(慶應義塾大学出版会)、『偽史の政治学』(白水社)などがある。