「二階戦略」が奏功、輿石氏おひざ元で細る組織。参院選1人区は闘えるのか
2019年01月29日
現職は選挙に強い。首長選挙となると、現職はさらに強い。
市区町村では山梨県早川町長が連続10期務めている。都道府県では石川県知事が連続7期。地方政治では長期政権は珍しくない。「現職の強み」が大きいからだ。
とりわけ2期目を目指す選挙は多選批判も受けず、現職がもっとも有利といわれる。
ところが、である。1月27日の山梨県知事選で、立憲民主と国民民主の両党が推薦して2期目を目指した現職の後藤斎氏(61)が、自民、公明両党が推薦した新顔の長崎幸太郎氏(50)に敗れた。
今年は、4年に一度の統一地方選と3年に一度の参院選が重なる12年に一度の選挙イヤーだ。この知事選は、「亥年選挙」の初戦として、今後の参院選の行方を占う重要な選挙だった(詳しくは「政局を呼ぶ『選挙の亥年』が始まった」を参照して頂きたい)。
この初戦で野党共闘に土がついたのだ。
山梨県と言えば、古くは金丸信・元自民党副総裁が地盤とし、富士急グループを率いた堀内光雄・元自民党総務会長ら大物議員が輩出した、保守が強い土地柄だ。
一方、山梨県教職員組合出身で、民主党参院議員会長として「参院のドン」とも呼ばれた輿石東・元参院副議長もいて、野党勢力も存在感を示してきた。
だが、今回の知事選の結果を見る限り、野党の存在感はすっかり衰えてしまったようにみえる。
山梨知事選で何が起きたのか。詳しく説明したい。
知事選には、後藤氏や長崎氏のほか、元参院議員の米長晴信氏(53)と共産党県委員会委員長の花田仁氏(57)=共産推薦=の無所属4人が立候補していた。開票結果は以下の通りだ。
長崎幸太郎 198047票(得票率50%)
後藤斎 166666票(得票率42%)
米長晴信 17198票(得票率4%)
花田仁 16467票(得票率4%)
投票総数 401447人(投票率57.93%)
今回の知事選の最大の焦点は、自民党がまとまるか、だった。
長崎氏は、2005年の郵政選挙で郵政民営化法案に反対した堀内光雄氏に対する刺客として出馬し、選挙区では僅差で敗れたものの比例区で復活当選した。以来、堀内氏やその後継で長男の妻の堀内詔子氏と衆院山梨2区で激しい争いを繰り広げてきた。
こうした遺恨を乗り越え、堀内氏を支持してきた有権者、いわば「堀内票」が長崎支持でまとまることができるか――。
選挙戦最終盤の25日。詔子氏が所属する岸田派の岸田文雄政調会長が詔子氏とともに長崎氏の応援で山梨2区の甲州市や山梨市を回って、こう訴えた。
「この選挙には深い思いが込められている。長崎さんと堀内詔子さんは衆院選では競い合った中だが、山梨のためには力を合わせなければいけないということで、がっちり手を組んで選挙に臨んでいる。山梨県知事選では44年ぶりに自民党が結束して知事選に臨んでいる」
演説会の最後には「頑張ろうコール」があった。「頑張ろう」というかけ声に合わせて、長崎氏や岸田氏らが支援者とともに右手の拳を空高く突き上げる。そんななか、詔子氏は力なく右手をそっと前に伸ばしただけだった。「自分が長崎氏を応援するのは、本意ではない」という支援者向けのアピールだったのかもしれない。
とはいえ、である。
衆院山梨2区で議席を争ってきた長崎氏が知事選に鞍替えすることは、詔子氏やその支援者にとってそれほど悪い話ではないはずだ。衆院山梨2区は詔子氏、知事は長崎氏という「棲み分け」が成立することを意味するからだ。
1月27日の投開票日に朝日新聞社が実施した出口調査によると、自民支持層の7割が長崎氏に投票した、と答えた。2割は後藤氏に流れたものの、思ったよりも歩留まりはよかった、とみるのが自然だろう。
長崎氏は、自民党の二階派に所属していた。派閥を率いる二階俊博幹事長にしてみると、自民党衆院議員は280人を超えていて、289小選挙区にほぼ空きはない。だが、2017年の衆院選で落選していた長崎氏に「知事選」という新たな選挙区を用意すると、山梨2区の対立を解消することができる。
そこで、党本部からの大量の応援を送り込んで組織戦を展開し、知事選で勝つことができれば、野党から知事の座を奪い返すことができ、さらに、二階派出身者を据えることまでできる。一石二鳥、いや一石三鳥の戦略なのだ。
この「二階戦略」が功を奏したのは、山梨知事選だけではない。
昨年10月の新潟市長選で当選した中原八一氏も2016年の参院選で落選した二階派の元参院議員だった。選挙戦では二階派丸抱えで今回同様に組織戦を展開し、保守分裂のなかで接戦を制した(新潟市長選については「野党共闘31歳が新潟で敗れ沖縄の連勝は止まった」を参照して頂きたい)。
こうして自民党内の一挙手一投足に注目が集まる一方で、現職の後藤氏は次第に埋没していった。
現職知事の後藤氏は立憲民主と国民民主の推薦を受け、「県民による県民のための政治」を掲げて、「県民党」と称した。
選挙戦後半の1月21日。市川三郷町で開かれた後藤氏の個人演説会で、選対幹部は後藤氏が甲府市で農家の次男として生まれたことに触れ、「山梨で生まれ、山梨で育ち、喜びも悲しみも味わってきた候補は、4人の中で後藤候補をおいていない」とPRした。
これは、昨年9月の沖縄県知事選で、共産党、社民党や労働組合、企業などでつくる「オール沖縄」の支援を受け、「沖縄のアイデンティティ」を掲げた玉城デニー知事と似ているようにみえる。
だが、内実はまったく違った。
「沖縄のアイデンティティ」が米軍基地問題という多くの沖縄県民に共通する問題意識に根ざしていたのに対し、後藤氏の「県民党」は県政運営で一党一派に偏らないという次元にとどまり、県民が結束する旗印にはなっていなかったからだ。そこが後藤氏の支持が広がりを欠いた最大の理由だろう。
後藤氏は立憲、国民両党の推薦を受けながらも、両党党首など幹部の応援は受けなかった。そのことで、後藤氏の主張が伝わりにくくなった面も否めない。
選挙期間中、国会では国民が自由と統一会派を組んで参院第一会派になると、今度は立憲が国民から議員を引き抜いたうえ社民と統一会派を組み第一会派を奪い返す――そんな争いが起きていた。後藤陣営が「そんな野党同士の争いから距離を置いた方がいい」と考えたのは理解できる。
だが、そんなときだからこそ、立憲や国民の幹部を応援演説に招いて、山梨を舞台に両党の「和解」を演出する手はあった。
立憲や国民の党首の発言が山梨から全国ニュースとして発信され、それを通じて有権者の関心を高め、投票率を上げ、自公両党の組織票に対抗する――そんな「したたかさ」がなければ、二階派vs岸田派という派閥間の対立さえもバネにして増殖を続ける「二階戦略」には対抗できない。
選挙戦後半。後藤氏の選挙事務所を、かつての民主党政権で官房副長官を務めた元衆院議員が陣中見舞いに訪れた。するとこの元衆院議員のもとに、輿石元参院副議長から即座にお礼の電話が入った。
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