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反転攻勢!マクロンは元祖「黄色いベスト」?

過激化、政党化したデモを尻目に、市民との直接対話を目指す「大討論会」をスタート

山口 昌子 在仏ジャーナリスト

地方の首長らに語りかけるマクロン仏大統領(中央)=2019年1月15日、フランス・グランブルテルルド地方の首長らに語りかけるマクロン仏大統領(中央)=2019年1月15日、フランス・グランブルテルルド

マクロンに復活の兆し

 年が明けると同時に、支持率の低下にあえいでいたマクロン仏大統領に復活の兆しが見える。「黄色いベスト」運動の過激化に嫌気がさしたフランス市民が、市民との「大討論会」を開始したマクロンに、多少の期待を寄せ始めたからだ。

 もともとはマクロンの政策に対する批判が発端だった「黄色いベスト」運動。だが、今や運動の過激化と政党色のおかげで、マクロンの支持率が回復するという“皮肉な結果”になっている点に、この運動の複雑さがありそうだ。

タブーなき討論を呼びかけ

 マクロンは新年から、市民との直接対話を目指す「大討論会」を開始した。まず、全所帯に書簡を送り、批判の的となっている「高速道路の時速80㌔制限」をはじめ、富裕税(ISF)の廃止問題や20%と高率な付加価値税(VAT,物品サービス税)など身近な問題から、民主主義、国家の在り方など形而上学的問題まで、「タブーなし」の討論を呼び掛けた。

 具体的には、主要県を中心に市長との集会を開き、これらの問題に関して忌憚(きたん)ない討論を闘わすが、大統領は「聞き役」に徹する趣向だ。

 第1回は1月15日にフランス北部ノルマンディー地方リューロ県の約400人の市長たちとの「大討論会」を開催。市長の大半は三色旗のタスキ掛けという市長の“正装”で出席し、聞き役のはずの大統領もワイシャツ姿になって丁々発止の大討論を展開した。

 なにしろ議論好きの国民である。深夜まで6時間に及んだ討論の最後には、大統領へのスタンディングオベーションが起こり、さながら大統領選のマクロン支持集会のようだった。

「市民主導による国民投票」は否定

フランスの右翼・国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン党首=2018年3月10フランスの右翼・国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン党首=2018年3月10
 1月24日にフランス南西部アルプスに近いドローム県近くの小都市ブールジ・ド・ページェで開かれた「大討論会」では、「黄色いベスト」数十人を含めた市民と市長ら約200人が参加した。同市の場合は、無党派の女性市長(49)の要請に応じて同市に出向いたマクロンが冒頭、「自分は、この(「黄色いベスト」による)危機の息子である」と反省の弁を述べた。出鼻をくじかれたせいか、「黄色いベスト」の反撃もあまりなく、2時間の討論を終えた。

 この時は、「黄色いベスト」が叫ぶ「市民主導による国民投票(RIC)」、すなわち「国民議会の解散」や「マクロン辞任」の要求を、「参加の民主主義」とはまったく異なる考えと否定。極右政党・国民連合(RN)のルペン党首らがRIC支持を表明していることもあり、ポピュリスム(大衆迎合主義)の一端として退けた。

マクロンは「金持ち大統領」

 マクロンが「金持ち大統領」「銀行家大統領」と批判されるゆえんは、政界入り前まで、金持ちの代名詞のような「ロッシルド(英語読みはロスチャイルド)」の名を冠する商業銀行のナンバーツーで、高額所得者だったからだ。それが、2012年のオランド左派政権誕生と同時に、オランド大統領に“見初められて”政権の中核、エリゼ宮(大統領府)の事務局次長に就任し、さらに15年には議員経験なしで経済相に抜擢(ばってき)された。この時は社会党内に「左派政権がロッシルド銀行マンを登用するとは」と激震が走った。

 マクロンは大統領に就任するや景気回復策の一環として、富裕層対象の「富裕税」の廃止を決定した。そのため、「やっぱり金持ち大統領」との批判と落胆、怒りが広がり、それが「黄色いベスト」運動拡大の起爆剤の一つになったことは否めない。

 特別背任などで起訴されたカルロス・ゴーンが2012年以降、所得税の申告をオランダに移していたのも、フランスには「富裕税」があるからだ。ゴーンは早手回しに、日産・ルノーの提携組織「アライアンス」の本拠地を02年にアムステルダムに設置した。

燃料費値上げは撤回、時速制限でも譲歩

 そもそも「黄色いベスト」運動の発端は、排気ガス削減策として打ち出したガソリンやディーゼルなど燃料費の値上げだ。さらに排気ガス削減とともに、交通事故死の主要因であるスピード防止策として打ち出した「高速道路での時速80㌔制限」にも反発をした。

 マクロン政権はデモに屈する形で、燃料費値上げを早々に撤回し、「時速80㌔制限」も譲歩の方向だ。こうしたマクロン政権の後退ぶりには、「譲歩しすぎ」の声も上がっている。

参加者も支持も減る「黄色いベスト」のデモ

昨年12月初めの「黄色いベスト」デモでシャンゼリゼ通りを埋め尽くした参加者。デモは続いているが、参加者は減りつつある=2018年12月8日、パリ昨年12月初めの「黄色いベスト」デモでシャンゼリゼ通りを埋め尽くした参加者。デモは続いているが、参加者は減りつつある=2018年12月8日、パリ

 昨年11月17日から毎週土曜日に実施された「黄色いベスト」のデモは、クリスマス休暇中、減少したものの、新年に入っても続行中で、2月2日で12回目。ある参加者は、「苔(こけ)が石にへばりついているように、絶対に止めない」と宣言する。

 ただ、当初は全国で20万近くいた参加者は徐々に減少。1月26日の参加者は全国で6万9000人(内務省発表)、2月2日の参加者は全国で5万8600人(警察発表)、パリ市内で1万3800人(参加者側発表、警察発表は1万500人)と激減した。

 デモに参加する人が減るのに反比例して、「破壊屋」まがいのデモ参加者や暴力行為が増大中だ。高速道路のスピード違反の監視カメラは全国で約60%が破壊され、料金所の破壊とともに国庫の減収につながっている。車や店舗を破壊され、商品を略奪された市民の巨額の補償問題や、精神的後遺症の問題も浮上している。

 デモ隊の道路封鎖などに伴う事故による死者は12人に上り、警官隊とデモ隊との衝突では、双方に多数の負傷者が出ている。警官隊が使用した強力防弾投(LDB)で、デモ参加者には失明などの顔面重傷者も出ている。

 当初、政党色がなかった「黄色いベスト」の参加者の中から、5月の欧州議会選挙(比例代表制)への出馬の動きが出ていることにくわえ、国民連合や極左政党「服従しないフランス」との関係も指摘され、政治色も強まっている。

 暴力と政治色が増大した結果、デモを支持する国民は当初の約70%から、今や50%台まで減少した。

市民運動を基盤に大統領に駆け上がったマクロン

仏大統領選を制し、勝利宣言のため、壇上に上がるマクロン氏=2017年5月7日、パリ仏大統領選を制し、勝利宣言のため、壇上に上がるマクロン氏=2017年5月7日、パリ
 一方、20%まで下がっていたマクロンの支持率は、1月初旬に発表された各種の世論調査によると、約3%ではあるが上昇した。「大討論会」によって、国民との直接対話という新しいスタイルの統治の「かたち」を模索すると同時に、「闘う大統領」(閣僚の一人)という本来の姿も取り戻しつつある。

 ところで、マクロンが議員経験なし、一般的にほとんど無名の状態から一気に大統領に駆け上ったのは、「右でも左でもなく、政党でもない」というグループ「前進!」を立ち上げたからだ。それが、この20年、高失業率も治安悪化も購買力低迷も解決できないまま、交代で政権を担った左右の政党に対する国民の愛想つかしと重なり、一気に支持を広げた。

 つまり、マクロンこそ、「政党とも労組とも無関係」な市民運動が基盤という点で、元祖「黄色いベスト」ともいえそうだ。

「弱者に餌を与えるような方法」との批判も

 「大討論」は3月15日まで毎週約1回のペースで開催され、マクロンは海外県も含めたフランス全土を文字どおり東奔西走し、そこでの議論結果をまとめて、政策の見直しなどを行うと公約している。

 とはいえ、「大討論」開始直後の世論調査では、「大討論で危機を脱出できる」が34%と低く、効果を疑問視する声も少なくない。「弱者に餌を投げ与えるような方法」(野党社会党のオリビエ・フォル第一書記)と、マクロンの高圧的な態度への批判も根強い。

 5月の欧州議会選挙(比例代表制)で、極右の国民連合をはじめ野党が、どこまで票を伸ばすのか。「黄色いベスト」運動が、どんな影響を与えるのか――。「黄色いベスト」と、元祖「黄色いベスト」のマクロンとの死闘が注目される。(敬称略)