星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト
1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
平成政治の興亡 私が見た権力者たち(9)
後に明らかになるのだが、小渕氏と大蔵省幹部の動きの背後にいたのは、竹下登元首相だった。竹下氏は独自の情報網を駆使して、経済情勢が悪化し、参院選で自民党は苦戦すると読んでいた。その見通しを、愛弟子の小渕氏と、長年、蔵相を務めて影響力のある大蔵省に伝えていたのだ。小渕氏には「首相への準備」さえ示唆していた。
確かに、経済情勢は深刻だった。97年4月に消費税率が3%から5%に引き上げられたことで、消費は激減。9月に発表された4-6月の国内総生産(GDP)はマイナス2.8%、年率換算ではマイナス11.2%という落ち込みで、その後も回復力は弱かった。
参院選に向けて、政府・自民党内では景気対策のための所得税減税が叫ばれた。橋本首相も当初は「恒久的な減税が必要」と述べていたが、選挙戦終盤で、発言が大きくぶれた。
7月5日、テレビ朝日の『サンデープロジェクト』に出演した橋本首相は、キャスターの田原総一朗氏に減税問題で詰め寄られ、「恒久減税のところもあれば、負担をお願いするところもある」などと曖昧(あいまい)な答えに終始したのである。表情にも余裕がなく、メディアは「目立つ歯切れ悪さ」(7月6日付毎日新聞)と伝えた。
12日の投票日。自民党は改選前の61議席を大きく下回る44議席にとどまった。非改選を合わせた勢力は102議席で、参院の過半数(126議席)は、さらに遠のいた。前年に解党した新進党の勢力が合流したばかりの新・民主党は27議席と健闘。共産党も15議席を獲得し、公明党の9議席を上回った。
自民党の敗因は、低迷する景気に有効な対策が打ち出せなかったこと、橋本首相の発言がぶれたことだった。投票率は3年前の44.5%から55.8%に跳ね上がり、無党派層の多くが橋本自民党への批判に動いたことを示していた。
橋本首相の進退をめぐる自民党内の動きは素早かった。投票日の夕方、村岡兼造官房長官が東京・代沢の竹下登元首相の自宅を訪問。マスコミの出口調査などから自民党の惨敗は避けられないことを報告した。竹下氏にはすでに、橋本氏から「退陣」の意向が伝えられていた。竹下氏は「橋本退陣、後継は小渕」で、得意の根回しを進めた。
加藤紘一幹事長、野中広務幹事長代理ら橋本首相を支えてきた「自民、社民、さきがけ連携派」にとっても、小渕首相は好都合だった。小渕派幹部の梶山静六氏たちは自由党の小沢一郎氏らとの「保・保連合」をめざしていた。参院選の敗北を受け、梶山氏らが橋本・加藤執行部の責任を追及、主導権を奪おうとしていた中で、小渕氏なら「自社さ派」の主導権は維持できるし、梶山氏も押さえ込めるからだ。