アベノミクスの本丸GDP統計を標的にしたいと国対委員長に訴え、私は質問に立った
2019年02月06日
2月4日、衆議院の予算委員会で質疑に立ちました。不正統計問題についてです。
数年前、「統計の手法を変えただけで、日本のGDPが跳ね上がった」という報道に触れ、いかにも怪しいと感じ、いつか国会で取り上げたいと思っていました。
そこへ来て、昨年からの統計不正です。
入口は勤労統計不正の問題です。しかし、出口は日本の統計そのもの、さらに言えば本質的な問題として、安倍政権による隠然たる影響力や政治的圧力がなかったのか。この点をひもづけながら、質疑に立ちました。
おかげさまで多くの反響を頂き、是非このエネルギーを、これからにつなげていきたいと思っています。
統計は可能な限り経済や雇用の実態を表すものでなければなりません。AIやICチップが人間や社会の隅々にまで行き届く未来の世界は別として、どうしても現在は、抽出調査、サンプル調査にならざるを得ず、その「確からしさ」については、常に緊張感をもって数字を眺めなければなりません。
ましてやこれが、政府、政権、大本営の発表となればなおさらです。
そこに政治的意図はないのか。メリットを拡大誇張したり、デメリットを隠蔽、過小評価したりしていることはないか。
こうした点に盲目、従順であれば、最終的に我々はどこに連れて行かれるかわかりません。
戦前この国に、内外の情勢を正しく分析する、正確な統計があればこんな戦禍を招くことはなかった――。戦後言われたことです。その意味でも、統計手法や統計数値には、もしかして政治が関与したのではないかと、疑われる事態すらあってはなりません。
今回の契機は、勤労統計調査の長年の不正が明るみに出たことでした。東京都の調査標本が本来あるべき数より少なかったものを、元に戻したことで 2018年6月の賃金上昇率が3.3%という、21年5ヶ月ぶりの高水準になったのです。
さすがにこれをおかしいと思った総務省が、不正に気づき今回の発覚につながりました。
まず官僚サイドで何があったのか、これを徹底的に究明しなければなりません。
同時に、単にこれを官僚だけの問題であり、隠蔽、不正で済ませて良いのか。森友問題の公文書偽造同様、そこに明確な指示があったか、なかったかは別としても、政治的な思惑や背景が、なにがしかあったのではないか。全くなかったと言い切れるのか。
私自身、元官僚としてその点に最大の関心と疑念を抱きました。
国会で質疑に立つにあたり、勤労統計の問題はもとより、どこまで迫れるかは別としても、やはり最後はアベノミクスの本丸であるGDP統計をめがけて追及させて欲しいと、辻元国対委員長にお願いをしました。
辻元国対委員長からは思い切ってやってみるよう激励をいただき準備に入ったのです。
調べれば調べるほど、やはりこの問題が明るみに出た2018年、そしてさかのぼること3年前の2015年、この時期に、統計に政治の手が相当入ったのではないか、そう疑わせるに十分な経過が存在していました。
最大の争点は、厚生労働省が70年ぶりに勤労統計の調査手法を変更するきっかけとなった、2015年10月の経済財政諮問会議です。
ここで麻生財務大臣が「統計の精度を上げる」ようにという趣旨で発言しています。資料をよく見ると、勤労統計や家計調査など、数値が下振れすることに、あたかも文句をつけているようにとれるのです。
これは「統計の精度を上げろ」という美名のもと、「良い数字を出して来い」と無言の圧力に感じられても仕方ない。元官僚である私はそう感じました。
さらに経緯を調べると、その前の月、2015年9月に、当時自民党総裁に再任された安倍首相が、突如としてGDP600兆円という途方もない数値目標を、アベノミクス新三本の矢として掲げていたのです。
安倍首相はのちの国会答弁で、統計手法が変更されること自体は知っていたことを明らかにしています。統計操作による嵩上げ分を含むとすれば、今となっては納得のいきやすい数字を掲げていたことになります。
翌年、2016年6月の政府の骨太方針には、何と政府の成長戦略の一環として、「統計改革」が掲げられました。技術論に過ぎないはずの「統計の改善」が、オリンピックやTPP、国土強靭化と並んで「成長戦略」のお題目一覧に並べられること自体異常です。感覚を疑います。
さらにその年の暮れには、当時の山本行革担当大臣がわざわざ経済財政諮問会議に出向き、「政治主導の統計改革」を訴え、翌年2月には菅官房長官を議長とする統計改革会議が設置されました。
本来、科学的、技術的、客観的であるべき統計に対し、政治家の、それも一党一派に偏った政治家の発言が相次ぎました。さらには政府全般にわたる強大な権限と人事権を掌握した長期政権の中枢が「統計改革」の旗を振ったのです。霞が関の官僚にとって、その暗黙のプレッシャーは相当大きなものでなかったか、私にはそう思えます。
勤労統計一つを見ても、突如として70年来続けてきた調査手法を変更し、対象事業所の入れ替えを全部から半分に絞った結果、調査対象のうち、数年間継続している比較的優良な会社の占める比率が高まることになりました。当然、賃金も比較的高めに出ることになります。
さらにこの年、調査対象の常用雇用者から、それまで算入していた月に18日以上働く日雇い労働者を外したのです。その分さらに賃金は高く出たはずだと思います。
統計委員会での議論にあたっては、その点に対する懸念が強く示されたにも関わらず、最終的にこれを振り切って統計手法が変更されることになりました。
そして本丸のGDPです。
2015年のGDPは当時史上13番目だったにも関わらず、統計手法の変更により、これが一気に、史上最高水準まで膨れ上がることになりました。
その上昇額はなんと31兆円です。
政府は国際基準に合わせたと言いますが、その部分は最大でも20兆円程度。実は先にヨーロッパ諸国もこの国際基準適合により、3%程度GDPを上昇させていますので、この点に限れば、あやしいとは言え、他国の平均にも見合う数字です。
しかし、問題は国際基準への適合以外の部分で8兆円近くGDPを積み増し、トータルで31兆円、比率にして6%もの名目経済成長を一夜にして成し遂げたことです。
これをもって何の意図もなかったと言い切れるのか。それとも我々はそこから何らかの政治的意図を汲み取るべきではないのか、今後も議論が続きます。
さらに問題は、こうした計算手法の変更でいくらGDPが史上最大になろうとも、国民生活、国民経済には何の影響もないということです。
現在7割を超える国民が景気回復を実感していません。これこそが最も拠り所とすべき実感値です。
今後、日本の統計をどうして行くべきか。
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