民主的な手続きを踏んだ県民投票を無効化できることを示したゆゆしき前例
2019年02月07日
沖縄の県民投票が全県で行われることになった。
県民投票は、若者たちが署名活動を行い、それを受けて県議会で条例を制定するという、きちんとした手続きを踏んだうえで実施が決まったはずだ。それなのに、住んでいる地域によって投票できる人とできない人が出るなんてことが許されるのだろうか。しかも署名活動の中心となった「『辺野古』県民投票の会」代表の元山仁士郎さんも、不参加を決めた宜野湾市民であるがゆえに投票できない。そんな理不尽なことがあるのだろうか。
そんな思いに駆られていたから、まずは全県で実施される方向に転じたことを素直に歓迎したい。そして、ハンガーストライキという方法に対しては様々な意見があったとは思うけれど、やむにやまれぬ思いで、全県での県民投票を訴えた元山さんに心から敬意を表したいと思う。
ハンガーストライキ4日目、私が担当するBS-TBS「報道1930」に橋下徹・前大阪市長が出演した。橋下氏は出したばかりの著書で沖縄基地問題の解決策を提言していたこともあって、番組の半分近くを基地問題についやした。ハンガーストライキ中の元山さんと中継をつなぎ、県民投票への思いを尋ねたあと、私はスタジオにいる橋下氏に、「もし聞きたいことがあれば」と元山さんとの対話を促した。
「本当に民主主義を大事にするんだったら」と橋下氏は切り出した。「すぐにハンガーストライキをやめるべきだ。まずは自分の健康のことを考える」
橋下氏は強い口調でそう言ってから「県民投票をやるなら政府に影響を与えるような内容に変えないといけない」と持論を展開した。「中国の公船を沖縄の港につけさせるぞと、中国寄りの拠点化を沖縄は目指していく 沖縄県民がその覚悟を示せば、もう本土のほうは大騒ぎですよ」
中継で出演する前、元山さんは病院でメディカルチェックを受けていた。4日間、何も食べていないのだ。実際、私の問いに答える元山さんの声は、いつもの張りを失っていた。
そうした状況でなかったら、私は橋下氏らしいとも言える挑発的な物言いが生み出す緊張感を楽しんでいたかもしれない。しかしその時は、とてもそんな気持ちにはなれなかった。
空腹が体力も気力も奪っているであろう只中で、その行動を否定するような言動は、あまりに酷に感じられたのだ。サブと呼ばれる副調整室にいる大勢のスタッフも、息を呑んで見つめていたに違いない。
元山さんは「五つの市町村が参加すると決めるまで」と、まず私の質問に答えてから、カメラを凝視した。「橋下さんの意見に対して、自分の意見をのべてよろしいでしょうか?」
予定時間ははるかにオーバーしていた。しかしそのあとのコーナーがすべて飛んだとしても、元山さんの言葉を聞くべきだと思った。
「どうぞ」と私が言うと、元山さんは「4点あります」と前置きして続けた。「民主主義にハンガーストライキが反するということですけど、私たちとしては投票権、自分たちの権利を守るために身体を張って訴えているんです」
元山さんは橋下氏の主張にさらに反論を重ねた。そしてこう言ってのけたのだ。「中国の公船を沖縄の港につけるということをおっしゃってましたが、それなら橋下さんもそういう趣旨で沖縄で県民投票やるということで動いていただいて、たくさんの署名を集めて、沖縄で県民投票をやればいいんじゃないでしょうか」
それでも、しかし、という思いを、私は拭えない。
「賛成、反対」の二択に加えて「どちらでもない」が設問に入ったことが、県民投票の結果をあいまいなものにしてしまうのでは、という懸念。さらに言えば、民主的な手続きで決まった県民投票に対して、不参加という形で拒否権発動できるという前例をつくったことが、今後に禍根を残すように思えるのだ。
一連のプロセスのなかで、管官房長官の発言が繰り返し報じられた。去年11月28日の定例会見で、県民投票の結果が辺野古移設工事に与える影響は「まったくない」と答えたというものだ。どのメディアもその部分だけを取り上げていたのだけれど、去年の末に沖縄のひとりの若者がつぶやくように私に言った。
「まったくない、の前に、どのような形で行われるかわからない、と言っているんですよ。不思議だとは思いませんか?」
私はもう一度、会見の映像を見直した。それはこんなやりとりだった。
「県民投票の結果が、辺野古移設工事に与える影響について、どのようにお考えでしょうか?」
記者の質問に対して、菅官房長官は即座にこう答えている。
「どのような形で行われるか、わかりませんが、それはまったくないと思います」
メディアが飛びついたのは「まったくない」という部分だったのだけれど、若者はその前に口にした「どのような形で行われるかわからない」という言葉に引っかかっていたのだ。
それはこういうことだ。
つまり、県民投票が「どのような形で行われるのかわからない」どころか、すべてが正式に決まっていたのだ。
それなのになぜ、「どのような形で行われるのか、わかりませんが」という前置きを菅官房長官は入れたのだろう。それが若者の疑問だった。
彼からその疑問を聞いたのは、12月の半ばだ。そのころには五つの市町村が県民投票に後ろ向きの姿勢を見せていた。つまり、そうした動き、県民投票が全県で行われないであろうことを、スケジュールが正式に発表された翌日の時点で、すでに菅官房長官が見通していたのではないか。もっと言えば、官邸と連携してことが動いているのではいかという疑いを、若者は抱いていたのだ。
その後、自民党の宮崎政久衆議院議員が、保守系の市議たちとの勉強会で、不参加の指南書とも言える文書を配っていたことが明らかになる。そのことが報じられると、宮崎議員は会見を開き、県民投票への反対を説いて回るために開催したわけではないと釈明し、政府や党本部の関与もないと述べた。
しかし12月10日には、その宮崎議員が宜野湾市長をともなって官邸で菅官房長官に会ったと、自らのツイッターに写真とともに記している。宜野湾市長が県民投票への不参加を表明したのは、その2週間後のことだ。若者の疑念が深まるのも無理はない。
振り返れば、沖縄の歴史は、巨大な権力とのせめぎあいの歴史でもあった。
昨夏亡くなった翁長雄志知事が生前、「保守は『生活の戦い』をし、革新は『人権の戦い』をしていたんですよ」と私に語ったように、アメリカ軍の支配下、そして返還後も、保守は時の支配者と協調することで生き抜こうとし、革新は対峙(たいじ)することで生き抜こうとしてきたと言ってもいい。
翁長氏は保守を自認し、かつては自民党本部に忠実なまでに協調してきた。「だからこそ、自民党の怖さは一番よくわかっている」と繰り返し、「彼らは容赦なく手を突っ込んでくる」とも私に語っていた。
これに対して、翁長氏は語気を強めた。亡くなる1年ほど前に行ったインタビューでのことだ。
「いろいろ私たちがやっていることに対しても、そのように強く当たりながらやっていく。やはり、日本という国が変わったなとすごく感じます」
「それにしても個人賠償というのは相当な脅しですね?」と私が尋ねると、翁長氏は続けた。
「これを表で言うような部分っていうのが、やっぱり日本の政治の堕落じゃないかと思いますけどね」
撤回が現実味を帯びてくると、沖縄県にも賠償を求めることを検討していると報じられる。工事が中断された場合の1日の損失額は2千万円と伝えられ、中断の期間を合算すると、とてつもない額になることは容易に想像できた。
自分は政治家だから賠償は受けて立つけれども、県の職員にそんな思いをさせるわけにはいかない。翁長知事はそう考えて、最後まで自分の手で撤回しようとしたのではないかと、妻の樹子さんがメディアの取材に語っている。実際、もし巨額の賠償をされたらどうなってしまうのかと、県の職員の間に動揺が走ったという話は当時、私の耳にも入ってきた。
あげればきりがない。
去年の名護市長選挙、沖縄県知事選挙では、現地で取材しながら、官邸と自民党本部の組織戦のすさまじさを間のあたりにした。県知事選挙期間中に訪ねた地元の建設会社社長は、テーブルの上に名刺をずらりと並べて見せた。
自民党や公明党の議員、あるいは議員秘書が次々と面会したいとやってくるのだという。東京から大挙してやってきた議員だけではない。名刺の中には北海道の議員秘書の名刺もあった。そばには地元の業界団体から送ってきたファックスも置かれている。期日前投票に行った社員全員の名前を書いて送るように求めるものだった。
「いつも締め付けはありますが、これほど多方面から働きかけがあるのは初めてです」と、社長はあきれるように言った。議員たちは決まって、予算獲得をアピールするという。
翁長氏の言う「容赦なく手を突っ込んでくる」のに最も有効なのは、お金だろう。
沖縄振興費の増減は政府が握っているし、普天間基地の移設先となる辺野古などの三つの地区に、ピンポイントで補助金を出す方法も問題視された。さらに政府は来年度予算で、県を通さずに市町村に直接渡すことができる新たな交付金30億円を設けている。県民投票で五つの市町村が不参加を表明した背景には、このお金への色気から政権に忠誠心を見せようとしたのでは、という論調が出てくるのはこのためだ。
この新たな交付金がどこにどう流れるのか。それをメディアはきちんとフォローする必要がある。
もし「賛成」「反対」の二択で行われていたら、おそらく「反対」が大きく上回る結果となっていたのではないか。それは3カ月前に全県で行われた知事選をみれば、容易に想像がつく。官邸主導の選挙戦を繰り広げ、「携帯料金を4割削減する」となりふりかまわぬ選挙戦をしても、移設反対を訴えた玉城デニー候補が過去最多得票での勝利を収めたのだ。
今回、三択になったことで票が分散されれば、移設工事を進める政権にとってはダメージコントロールになる。さらに言えば、「どちらでもない」がそれなりの数に達した場合、民意はどうにでも解釈できるようになるだろう。
同時に今回のプロセスは、県民投票を事実上、無効化する方法があることを示したという意味で、将来にまで影響を与えるのではないかと、私は危惧している。
1999年の地方分権一括法の成立によって、これまで上下関係にあった国と県、県と市町村が対等・協力関係になったため、県民投票の事務を拒否できるという解釈が不参加の根拠だ。まさにそうした法律的な問いに答えたのが、宮崎政久議員が配布した不参加の指南書だった。たとえ訴訟を起こされても門前払いとなるという見通しを示すなど、県民投票の事務を拒否しても、議員の責任は問われないことも指南していたのだ。
しかし、これは本当に法律の解釈として正しいのだろうか。
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