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統計の不正が起きた理由と罪の深さ・上

毎月勤労統計の問題を考える

舟岡史雄 信州大学名誉教授

2004年から不正な調査が続く「毎月勤労統計」を報じる朝日新聞2004年から不正な調査が続く「毎月勤労統計」を報じる朝日新聞

国家の存するところに統計あり、だが……

 昨年12月に厚生労働省の毎月勤労統計の不適切な調査の実施が判明して以降、この問題はマスメディアで連日のように報道されている。

 統計データを見直して推計すると、雇用保険や労災保険などが564億円の過少給付で、その対象者は約2000万人に達し、影響が広範囲に及ぶことが明らかになったことによる。また、追加給付に必要なプログラム改修などの関連事務費が約200億円かかり、そのために予算案を修正し閣議決定をやり直すという異例の事態も起きた。

 その後も、国の重要な統計である基幹統計の約4割で誤りが判明し、賃金構造基本統計においても調査の不正が発覚するなど、政府統計に対する信頼は大きく揺らいでいる。19世紀フランスの統計学者モーリス・ブロックの「国家の存するところに統計あり」に象徴されるように、統計は国家の基盤を成す情報であり、国の政策の企画立案の根拠となるだけでなく、国民が国の運営の実情を知り、政策を評価し、意思決定に利用するために不可欠の社会的インフラである。

 その統計で起きた不祥事だけに、事は極めて重大であろう。そこで今回の事案について、どのように受け止めるべきか、その背景は何か、どのような影響が出て、それにどのように対応すべきか。2回にわけて、考えてみたい。

「不適切」ではなく「不正」

 1月22日に公表された特別監察委員会の報告書を一読し、私は多少の違和感を持った。報告書の文中の「不適切な……」「一部齟齬(そご)が生じる」などの表記から伺えるように、「対処の仕方が適切でなかった」、あるいは「ちょっとした不適当な処理であった」という認識が全体を通じて流れていたからである。

 ほどなくして、報告書の原案が厚生労働省内部で作成されていたことが明らかになった。むべなるかなと妙に納得した。

 報告書を受け、新聞やテレビなどマスメディアも、当初は「不適切調査」、「不適切な対応」といった表現を使用していた。だが、その後、隠されていた事実が明らかになるにつれ、朝日、毎日、産経、NHKなどは「不正」な調査と断じるに至っている。

 今後、統計に関して真摯(しんし)な改革を目指すなら、その第一歩は、起こしてしまった問題に真正面から向き合うことに尽きる。「不適切」というどこか及び腰の姿勢ではなく、「不正」と認めることがまずは肝要であろう。

特別監察委員会の奇妙な論理

 2007年に改正された統計法は、第9条第1項で「行政機関の長は、基幹統計調査を行おうとするときは、あらかじめ、総務大臣の承認を受けなければならない」と規定し、第2項で申請書の内容として「報告を求めるための方法」を示している。

 また、第11条第1項で「第9条第1項の承認を受けた基幹統計調査を変更しようとするときは、あらかじめ、総務大臣の承認を受けなければならない」と規定し、第10条でこれを満たしていれば承認しなければならないとされる三つの要件の一つに、「統計技術的に合理的かつ妥当なものであること」を挙げている。

 今回の事案の主要な問題は、2004年1月調査以降、東京都にある常用雇用者500人以上の事業所について、本来は「全数調査」とされていた方法を、承認手続きを取ることなく、「抽出調査」に変更したことに端を発している。

特別監察委員会であいさつする根本匠厚生労働相=2019年1月17日、東京・霞が関 特別監察委員会であいさつする根本匠厚生労働相=2019年1月17日、東京・霞が関

 特別監察委員会の報告書は、2011年8月に統計委員会に諮問され、承認を受けた調査計画と実際の調査方法が異なることについて、調査方法の変更の承認手続きを取らなかったことを根拠に、「統計法違反であると考えられる」と記述し、2018年1月の承認についても同様としている。

 しかしながら、実際には調査方法は2011年には変更されておらず、変更承認の手続きを取ることは必要ない。あまりに奇妙な論理である。

 前述の統計法第9条と第11条の規定は、改正前の統計法の規定を引き継いだものであり、その逐条解説において、申請書の具体的な内容として、それを取り纏めた調査計画(調査要領等)について承認されることを求めている。さらに、「方法とは①自計方式・他計方式、②調査員調査・郵送調査・他の方法③全数調査・標本調査などの具体の調査方式に加え、どのような調査組織(都道府県等)によって行うかである」という解説がなされている。

 報告書によれば、2004年1月以降の調査変更は事務取扱要領に明記されており、当然、調査計画の変更に該当する。したがって、2004年時点で統計法違反行為があったと考えるのが妥当であろう。

適切な復元処理があれば問題なかったか

 報告書は「今般の事案でも、適正な手続きを踏んだ上で抽出を行い、集計に当たってこれに適切に復元処理を加え、それをきちんと調査手法として明らかにしていれば、何ら問題はなかったと言える」とも記している。他の箇所でも、適正な手続きを取らなかったことと、調査方法の正確な開示が行われなかったことが大きな問題であると繰り返し記している。だが、問題は本当にそれだけであろうか。

特別監察委員会がまとめた報告書 特別監察委員会がまとめた報告書
 標本の抽出率が1/1の調査計画(全数調査)に対し、実際は1/3を抽出して調査(標本調査)している。したがって、標本調査の結果を3倍すればなんら問題はなかったという考えは、識者の意見でも述べられている。確かに、毎月勤労統計で行われてきた単純に集計した計数に比べると、全体の集計結果の偏りは小さくなるであろう。ただし、調査対象を全数から一部の標本に切り替えることの妥当性については、その実証的な根拠が必要である。

 分かりやすい実例を示そう。法人企業統計は毎月勤労統計と同じく、産業別・規模別に層化して、それぞれ異なる抽出率で無作為に抽出して調査している。たとえば資本金10億円以上の階層は、全数を調査対象としている。では、この最上位階層を1/3の抽出調査に変更すると、どのような結果がもたらされるだろうか?

 トヨタ自動車はわが国を代表する自動車メーカーで、単独決算ベースの2017年度の年間の売上高は12兆円、経常利益は2.2兆円である。一方、自動車・同付属品製造業に属する資本金10億円以上の企業170社の1社当たりの売上高は2970億円、経常利益は312億円である。調査対象にトヨタ自動車が無作為に抽出され、計数が3倍されて集計される場合と、トヨタ自動車が抽出されない場合とでは、自動車・同付属品製造業の計数は著しく異なる。このような集計結果の信ぴょう性が極めて低いことは言うまでもない。製造業の全ての企業を集計しても、売上高が406兆円、経常利益28兆円であるので、製造業全体の実態すら分からなくなる。

 雇用や賃金の格差はこれほど極端ではないとしても、大規模事業所の間ではかなりの乖離(かいり)があるはずだ。それを十分に分析、検討したうえで、毎月勤労統計調査の当初の設計において、大規模階層を全数調査としたものと想像される。

 日本統計学会が1月28日に出した「厚生労働省毎月勤労統計調査における不適切な方法による調査に関する声明」でも、「標本調査の場合、全数調査と比較して……調査全体の誤差を比較検討するには専門的な知識が要求される。誤差評価のためには、母集団の分布に関する情報、標本の大きさ、標本抽出と推定方法の詳細、回答率および非回答事業所の処理など、調査の設計に関する基本情報が必要であり、最終的にこのような諸条件を勘案して調査方法が選択される」と指摘されている。

 2004年以降の調査変更が、研究会などの検討結果に依拠して行われたのであれば、その検討の詳細が開示されるべきであるし、担当者の独断で行われたのであれば、あまりの専門的知識の欠如に驚くばかりである。いずれ、追加的な調査を通して、事実が明らかにされることを期待したい。

統計の改善に努めた戦後の日本

 今回の不正が起こった背景については、統計行政全般に関わることと、厚生労働省に特徴的なことに分けると、本質が捉えやすいと思われる。

 まず、統計行政全般について言うと、政府の中でもとりわけ統計関連の予算と人員が減少し続けていることが、不正の遠因となっているのは確かである。統計資源が厳しく抑えられてきたことは、私が40年くらい前から、統計審議会の専門委員や委員、各府省庁の研究会委員を務めるなかで年を追って実感してきたことである。

 2007年に設置された統計委員会は基本計画を策定する権限を付与されていたので、第1回基本計画の策定においては、統計委員会委員として、統計職員と統計予算の充実の必要性を盛り込むことに尽力したが、いまだ実現していない。ただし、この点についてはすでに広く指摘されていることでもあるので、ここでは他の要因を提示しよう。

 これまで日本の統計は諸外国に比べて高い精度を持つと言われ、実際にその通りであったと理解している。これには、戦時中の歪(ひず)んだ統計に対する反省から、政府を挙げて統計の改善に努めた歴史がある。

 終戦直後の食料の緊急輸入をめぐるGHQのマッカーサー元帥と吉田茂外相のやり取りは、戦時下と直後の日本の統計のいい加減さを物語る有名な逸話である。首相になった吉田は統計再建のため、自らが会長、大内兵衛を議長とする「統計委員会」を立ち上げる。委員を、当時の第一級の経済・統計学者である有澤廣巳、中山伊知郎、森田優三、高橋正雄が務め、事務局長は美濃部亮吉であった。

 統計委員会のもと、国の復興に統計が不可欠であるとの認識に立ち、政府は精力的に統計の整備を進めた。食料需給、景気動向、雇用状況、物価・賃金水準、商品流通などの把握や、住宅整備、学校建設、産業振興、工場立地などの政策立案に統計が有用であることは、政府において共有されていた。「統計整備は国家的な使命である」という時代の空気の中、統計業務を希望する優秀で志のある人材が広く参集した。

 統計法において、指定統計調査(基幹統計調査の前身)の事務のために、中央の統計機構に統計官、地方の統計機構に統計主事を必ず置くことが義務とされ、統計官など特別な有資格者のみが指定統計調査事務への従事を許されていた。こうした規定は、統計に関する専門性の蓄積を促すことに通じた。

統計人材の枯渇が進んだ90年代

統計不正問題で厚労省から経緯報告を受けるために開かれた総務省統計委員会の冒頭であいさつする西村清彦委員長(中央)=2019年1月17日 
統計不正問題で厚労省から経緯報告を受けるために開かれた総務省統計委員会の冒頭であいさつする西村清彦委員長(中央)=2019年1月17日
 高度経済成長が始まった1960年頃は、統計体系の整備が一段落した時期でもある。
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