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統計の不正が起きた理由と罪の深さ・下

毎月勤労統計の問題を考える

舟岡史雄 信州大学名誉教授

参院厚労委閉会中審査の冒頭、「毎月勤労統計」をめぐる不正調査について陳謝する根本匠厚労相=2019年1月24日、国会内参院厚労委閉会中審査の冒頭、「毎月勤労統計」をめぐる不正調査について陳謝する根本匠厚労相=2019年1月24日、国会内

国民と政府に多大な損害を与えた統計不正

 2004年以降の毎月勤労統計の調査結果は、東京都において常用雇用者500人以上の事業所の調査方法を全数調査から抽出調査に変更し、さらに母集団の計数に復元すべきところを復元しなかったことによって、大きな偏りをもつものとなった。また、2009年~2017年において、東京都の常用雇用者30人以上500人未満の階層で、一部の産業について他道府県とは異なる抽出率で調査していたにも拘わらず、これを反映した母集団への適切な復元が行われないまま集計したことも、偏りを大きくした。

 復元の統計的処理方法の適否はともかくとして、厚生労働省は抽出率の逆数を復元乗率として標本データを機械的に母集団に復元して再集計した「きまって支給する給与」の結果を1月11日に公表した。これまでの公表値と再集計値、ならびに両者の乖離率を下図に示す。2012年以降に限られているのは、それ以前は復元に必要なデータなどが存在していないとのことによる。(これも統計法および公文書管理法に定める規定に違反している)

図

 その結果、2012年~2017年の「きまって支給する給与」等の公表された金額が平均で0.6%低かったことが明らかとなった。「きまって支給する給与」は雇用保険、労災保険、船員保険の給付や雇用調整助成金などの算定の基礎となる計数である。そこにこれだけ大きな乖離が発生していたことは、労働行政を根底から揺るがせる事件であり、国民ならびに政府に多大な損失を与えることとなった。

 毎月勤労統計は「きまって支給する給与」のほかに、就業形態(一般・パート)別に毎月の「現金給与総額」、「所定外給与」、「実労働時間数」、「所定外労働時間数」、「常用雇用者数」なども調査している。いわば、雇用と賃金の動向に関する情報の根幹を成す統計であり、労働政策の企画立案、実施、評価に欠かせぬものである。今回の統計の不正がこれらの指標にどれだけの影響を生じさせたかは現段階では判然としないが、早急な結果の公表が求められる。

GDPや株式市場に影響も

William Potter/Shutterstock.comWilliam Potter/Shutterstock.com
 毎月勤労統計の調査結果の偏りは、労働行政に対する影響にとどまらない。その結果は景気関連の指標として、国内総生産(GDP)、景気動向指数、月例経済報告に利用されるほか、金融政策の判断資料として活用されている。

 また、あまり詳らかになっていないが、2008年7月に総務省「サービス産業動向調査」が開始されるまでは、GDPの約7割を占めるサービス業で月次・四半期のデータが利用できない産業について、GDPの四半期計数は毎月勤労統計のデータを使用して推計していた。その対象は少なくないので、GDP速報値の公表に反応する株式・為替市場の動向にも多少は悪戯(いたずら)していた可能性は否めない。

代替指標を活用した再推計が必要

 2004年~2011年の再集計値を算出するためには、2007年1月調査における対象事業所の入替えに伴って生じる断層の修正、07年の日本標準産業分類の改定を受けて、10年に産業分類の変更を行った際の抽出率の調整、母集団を構成する雇用保険適用事業所に関する新設と消滅の調整が必要である。だが、今のところ、これらの作業を行うための資料は廃棄処分等によっていずれも見当たらないとされており、再推計を行えない状況にある。

 しかしながら、政策の効果を判断するときには過去との比較が必要であり、それは保存された正確な統計を有効に活用することによって可能となる。動向を把握する動態統計は時系列で継続して利用することに価値があり、何らかの代替指標などを活用して再推計を行う努力が強く求められる。

 また、2012年~2017年の再推計値についても、復元に際して、あらためて母集団の分布に関する情報の手がかりを入手し、それをもとに、より有効な推定手法の適用を検討し、誤差の評価を行うことが望まれる。そのためには、毎月勤労統計調査の実務に精通している者と標本設計の理論に詳しい統計専門家との共同作業が必須である。

深刻な政府統計に対する信頼の喪失

 毎月勤労統計の不正の発覚を契機として、総務省がすべての基幹統計を点検した結果、56の基幹統計のうち22で不備が見つかった。その後、厚生労働省から賃金構造基本統計においても誤りがあったとの報告を含めると、約4割の基幹統計で不備があったことになる。

AnemStyle/Shutterstock.comAnemStyle/Shutterstock.com
 しかしながら、賃金構造基本統計の不正を除けば、大半は単純なミスによるものであり、毎月勤労統計のように、承認を得ず調査方法を変更したり、集計手順に問題があるものは無かった。近年、統計は国民にとっての公共財であるとの意識が徹底し、利便性を高めるために統計データに加えて多くの周辺データ(メタデータ)の公表が求められるようになっている。また、公表期日や公表方法をインターネットなどによってあらかじめ公表することを義務づけられたり、オーダーメード集計によるデータを提供したりで、統計行政に従事する担当者の負担は増大している。

 他方、国の統計職員は削減の一途であり、2009年の3916人から2018年には1940人へと半減している。業務が増加する一方で人員が減少する状況は、業務上の軽微な過失を生じさせてもやむを得ないと、同情の念を抱いてしまう。

 統計の不備の主な内容は、調査計画に含まれていた集計事項であるクロス集計の一部が未公表▼結果数値の一部の誤った公表▼1、2日の公表の遅れ▼手続き上の不都合――などである。法人企業統計において、損害保険業についての配当率、配当性向、内部留保率の3項目がインターネット上では公表されていなかったという不備など、大半が重箱の隅を突いて関係省庁が発見したものである。

 これをとらえて、マスメディアは「政府統計に対する信頼が大きく損なわれている」「広がる政府統計の誤り」など、針小棒大な見出しとともに報じている。国の基盤である統計に必要な人員を充当しないから大変な状況に陥っているとのメッセージを、逆説的に伝えていると“裏読み”もできるが、国民の間に政府統計に対する不信を生み出し、助長する方向に作用していることは確かである。世論調査の結果によれば、政府統計が信頼できないとの回答が8割前後に達するとのことである。由々しい事態と言わざるを得ない。

 今日の情報社会において、国民が統計を信頼しないようになり、勘と経験によって意思決定するような事態になるのは大きな不幸である。企業活動で、いわゆるビッグデータを活用して他社より優位な地位を築き上げようとする動きが活発化しているが、その土台には共通の情報基盤である公的統計がある。その土台が信頼を失い揺らぐことで、雇用や投資の意思決定における確かな根拠が失われるのは望ましくはない。

統計資源の削減で政府統計への信頼が低下したイギリス

 では、どうすればいいのか?

 まず参考になるのがイギリスである。イギリスは現在の日本の状況をより極端に進めた状況を、すでに経験しているからである。

イギリスでは1980年代に統計改革が行われたが、その結果、統計の信頼性が著しく低下した(PHOTOCREO Michal Bednarek/Shutterstock.com)イギリスでは1980年代に統計改革が行われたが、その結果、統計の信頼性が著しく低下した(PHOTOCREO Michal Bednarek/Shutterstock.com)
 サッチャー首相のもと、行政改革が進められたイギリスでは、改革の一環として1980 年代、レイナー氏の調査報告にもとづいて統計改革を実行した。国際的にも有名なこの「レイナー主義」は、政府は行政目的を主として、統計がほんとうに必要かどうか判断したうえで、統計需要に対応すべきであるとの考えに立っていた。

 これに従って、1980 年代半ばまでの5年間に統計予算を3分の1、職員数を4分の1削減した。ところが80 年代後半になると、政府部門や学界から政府統計の信頼性の低下が頻繁に指摘され、国民からも懐疑的に見られるようになった。

 そのため、ピックフォード氏のもとに設置された専門委員会の提言に従って、統計改善のための組織の見直しや予算措置を講じ、以前よりも職員を増加させた。さらに1996年には中央統計局(CSO)と人口センサス局(OPCS)を統合して国家統計局(ONS)を設立し、統計機構の集中度を高めた。同時に、統計専門職の採用など政府全体の統計専門職員を横断的に人事管理できる仕組みを構築し、統計の品質向上を図った。

分散型の統計組織をとるフランスに学ぶこと

 日本と同様に分散型の統計組織をとっているフランスで、各省庁の統計部局の管理者に、中央統計機関である国立統計・経済研究所(INSEE)から職員が派遣され、分散型の下で人的・物的な統計資源を共有する工夫がなされている事例も、参考になるであろう。

 2004年に設置され、私も参加した「経済社会統計整備推進委員会」(通称、第1次吉川委員会)の使命は「農林水産統計などに偏った要員配置等を含めて、既存の統計を抜本的に見直す。一方、真に必要な分野を重点的に整備し、統計制度を充実させる」であった。翌年の第2次吉川委員会「統計制度改革検討委員会」を経て、統計行政は、60年ぶりの統計法の全部改正、および基本計画を建議できる司令塔の役割を有する統計委員会の設置を成し得たが、各省庁間の統計資源の共有や再配分は叶(かな)わなかった。省庁ごとに政策目的のために統計を作成する、極端な分散型の行政組織の壁が背後にあった。

 こうしたフランスの仕組みにならい、統計資源の配分や複数省庁にまたがる統計の作成などに調整権限を持つ司令塔の役割が強化されることも、統計改革の第一歩であると考える。

統計調査への国民の協力を損なう恐れも

 毎月勤労統計をめぐる失態が次々と明らかになり、組織的な隠ぺいの有無さえ取りざたされている。くわえて、賃金構造基本統計においても、調査計画から大きく逸脱している不正行為が露見し、統計調査予算の使途にも疑問がもたれている。他省の統計の誤りもマスメディアによって大きく喧伝(けんでん)された。

 このような状況が続けば、国民は統計に対する信頼を失うとともに、次第にそのような統計が作成される仕組みそのものに対して疑念を抱くであろう。ただ、ここで留意するべきは、統計が作成される仕組み自体に、実は国民自身が組み込まれているということだ。

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