明石市長の暴言問題はどこまで許されるか?
時代とともに変わる理想的な首長像。「星一徹」的リーダーから合理的リーダーへ
米山隆一 衆議院議員・弁護士・医学博士
泉氏の市長辞職はやむを得ない
より良い市政の実現に対する心残りを吐露した泉元市長の会見は、我が身を振り返って、見ているのがつらくなるものでしたが、しかし私は、それが唯一の選択肢だったかどうかは考慮の余地があるにせよ、辞職それ自体は、止むを得ない事であったと思います。
この件で泉元市長が同情を集め、罵倒が正当であると考えられた理由は恐らく、
①動機が「より良い市政を実現する。」という良いものであり、罵倒はその実現に必要だと考えられる
②職務怠慢な職員を働かせるには罵倒が有効だと考えられる
③市長が職務怠慢な職員を罵倒することは適切だと考えられる
の三つだと思われます。
私は、氏の動機・熱意は理解できるとしても、暴言それ自体は、思いを実現するうえで必要でも、有効でも、適切でもなかったと考えます。
以下、その理由を述べます。
命令と人事を使って動かすべし

パワハラ( sayu/shutterstock)
まずもって、報道されている氏の市政への真摯(しんし)な取り組みは頭が下がるものですし、死亡事故が起きた現場を少しでも早く改善し、安全な街を作りたいという熱意も、買収を実行しなかったと思われる職員への怒りの感情も理解できます。
しかしそれは、あくまで氏の「動機」です。その動機、より良い市政、安全な街づくりを実現したいという熱い思いを実現するには、氏は職員に自らの熱意を共有してもらい、自らの熱意を実現する行動をとってもらわなければなりません。
そのために、「暴言」は、必要だったでしょうか? 私にはそうは思えません。
市長は、市の行政の唯一の最終的命令権者にして人事権者です。「より良い市政を実現するために直ちに買収を実行する」という自分の動機を実現するためには、ただ単に「今すぐ買収を実行してください」といえばいいだけです。99%の職員は、即座に実行してくれるでしょうし、出来ない理由があるならその理由を説明してくれるでしょう。
なかには、市長に直に言われても実行も説明もしない強者(つわもの)もいなくはないでしょうが、そう言う人がいたら、人事権を行使して「あなたはこの職にふさわしくありません。担当を変わってください」といって適任者に担当を代えれば話は終わります。暴言は全く必要ではなかったと思います。