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橋本治の『よくない文章ドク本』が好きだった

文章術を指南する前に、新聞記者にはやるべきことがある

石川智也 朝日新聞記者

文章読本で幅を利かせた「大物」記者たち

 橋本治が『よくない文章ドク本』を書いたのは1980年代初頭で、軽薄体や饒舌体、パンク体、新言文一致体など様々な文学テクストが繚乱し「なんでもあり」かのようになった時代だったが、一方でまだまだ規範主義者は残っており、だからこその文体の挑戦だったのだろう。

 「一体なんだってまた文章読本なんてもんがあるんでありましょうか? なんだってそんなものを一般人が必要とするんでありましょうか? というのが私の一般人だったときからの疑問でありました」「要するに、文章書いて他人に取り入りたいわけネ」

 橋本は当時読まれていた文章読本の数々を俎上に載せ、こき下ろした。

 「この威張り方って、ちょっと尋常じゃないと思わない?」「あのネ、僕たちはネ、あなた達とはコミュニケーションを拒否しているわけ。だから、あなた達のいう分かりやすい文章は無内容な文章なわけ。僕達の文章は、あなた達にとっては文章作法や作文技術が必要だと思えるような文章に見えるわけ。それだけなの」「困ったもんだよ中年は」

 文章読本はかつては谷崎潤一郎や三島由紀夫、丸谷才一など作家が書いたものが権威をもっていたが、昭和末期以降に幅を利かせたのは新聞記者系だ。それもほとんどが朝日新聞の記者もしくはOBで、天声人語を担当した論説委員か編集委員クラスの「大物」ばかり。文章読本を著すというのは記者として栄達を究めた証しであり、たいへん名誉なことと受け止められていたのだろう。

 そして、彼らは、新聞界のお家芸として培われてきた文章の作法を、伝達を目的とする文章一般に敷衍し、新聞記事をその模範か鏡鑑かのように取り扱う。

「文章というものは、必ずや読者を選ぶんだよッ!」

 新聞界には固有の用字用語体系があり、特に事件や裁判、経済記事などでは制度的文体、いわば文法がある。

 新聞記事には「毅然」も「破綻」も「蠢動」も「韜晦」も「惻隠」も居場所はない。「饒舌」は「冗舌」、「逍遥」は「散歩」あるいは「散策」と言い換えねばならない。現政権になってあれほど人口に膾炙した「忖度」も「隠蔽」も「改竄」も「噓」もルビなしでは使えない(む、膾炙もダメだ)。間の抜けたことに、かつては蛇行も「だ行」、暗闇も「暗やみ」と書かねばならなかった。「姦淫」も「放屁」も新聞では棲息を、もとい生息を許されていない。

 こういう軛は恐ろしい。私も記者になってしばらくの間は、自分の言葉がどんどん細り思考法まで束縛されていくような不安に常に駆られたものだ。いまでも記事を書いていると「熟語は大和言葉に開け」「センテンスは短く」という強迫観念に襲われる。読点がやたら多くなる悪癖からもなかなか抜け出せない。

 さらにやっかいなのは、デスクやキャップ役になって他人の原稿を直すうちに、検閲官のように文章表現に狭量になり、新聞的でない文を腐し、やがて自分たちの言語圏を至上と錯覚し始めることだ。その自意識肥大の一例が、記者あがりの文章読本なるものではないか。

 斎藤美奈子はキッパリという。「文は服なり」。衣装が身体の包み紙なら文章は思想の包み紙であり、女も男も見てくれのよさにこだわってきた、と。いわく、どうりで新聞記者系の文章には色気がないはずだ。彼らの念頭には人前に出ても恥ずかしくない服(文)のことしかない。だから彼らの教えに従ってしまうと、文章はどれもドブネズミ色した吊しのスーツみたいになる。記者系の文章作法は「正しいドブネズミ・ルックのすすめ」。そういう人がたまに気張って軽い文章を書こうとすると、カジュアルフライデーに妙な格好で現れるお父さんみたいな感じになる――。ホントにその通りだ。

拡大斎藤美奈子さん

 橋本治の言葉をさらに引けば、「この世には、分かりやすい文章なんてありはしない」「文章というものは、必ずや読者を選ぶんだよッ!」。

 おそらく、文章読本の類いをすすんで書く人たちには、この「文章は必ず読者を選ぶ」という視点が決定的に欠けている。だから、万人に受け入れられる文章が存在しそれが良きものだという、ある意味傲慢な勘違いをする(彼らからすれば、読者を選ぶ文章という発想こそが不遜だということになるのだろう)。

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筆者

石川智也

石川智也(いしかわ・ともや) 朝日新聞記者

1998年、朝日新聞社入社。社会部でメディアや教育、原発など担当した後、特別報道部を経て2021年4月からオピニオン編集部記者、論座編集部員。慶応義塾大学SFC研究所上席所員を経て明治大学ソーシャル・コミュニケーション研究所客員研究員。著書に『さよなら朝日』(柏書房)、共著に『それでも日本人は原発を選んだ』(朝日新聞出版)、『住民投票の総て』(「国民投票/住民投票」情報室)等。ツイッターは@Ishikawa_Tomoya

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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