メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

無料

志半ばで逝った「外交」の小渕首相

平成政治の興亡 私が見た権力者たち(10)

星浩 政治ジャーナリスト

自民党総裁選で大差で再選された小渕恵三首相(中央)と握手する山崎拓(左)、加藤紘一の両氏=1999年9月21日拡大自民党総裁選で大差で再選された小渕恵三首相(中央)と握手する山崎拓(左)、加藤紘一の両氏=1999年9月21日

加藤紘一氏に圧勝し自民党総裁に再選

 1999(平成11)10月の自民、自由、公明の連立政権合意に先がけて、小渕恵三首相は同年9月の自民党総裁選で再選を果たす。相手は加藤紘一、山崎拓両氏。二人はそれぞれ橋本龍太郎政権で幹事長、政調会長を長く務め、党内の実力者になっていた。

 加藤氏は宮沢喜一元首相に代わって宏池会の会長に就き、山崎氏は旧渡辺派を割って独自の派閥、山崎派を率いていた。二人は小泉純一郎氏と共に「YKK」と呼ばれるグループをつくり、小渕派に対抗してきた。

 党内の大勢は小渕氏続投支持だった。加藤派の古賀誠・国会対策委員長は、加藤氏に「ここは小渕氏に恭順の意を示した方がよい」と出馬見合わせを進言していた。だが、加藤氏は「この総裁選は政策討論の場だ」といった軽い気持ちで立候補した。これに対し小渕氏は、周辺に「総裁選は権力闘争の場だ。加藤君たちは俺を追い落とそうとしている」と厳しい反応を見せていた。

 9月21日に行われた総裁選は、党員投票を含めて、小渕氏350票、加藤氏113票、山崎氏51票となり、小渕氏の圧勝に終わった。

官房長官に青木幹雄氏を登用した因縁

 総裁選後の党役員人事で、小渕氏は森喜朗幹事長を続投させ、総務会長には加藤派の池田行彦元外相を起用した。池田氏は加藤氏の派閥の一員だが、互いに反目しあっていた。加藤氏は抗議したものの、小渕氏は受け入れず、人事を押し通した。「人柄の良さ」で知られる小渕氏だが、政局運営では激しい面を持つことを示す出来事だった。

青木幹雄官房長官=1999年10月15日、首相官邸で拡大青木幹雄官房長官=1999年10月15日、首相官邸で
 この時の内閣改造で注目されたのは、官房長官が野中広務氏から青木幹雄・自民党参院幹事長に交代したことだ。青木氏は竹下登元首相の秘書から、島根県議を経て参院議員になった。早稲田大雄弁会では小渕氏の先輩にあたる。

 青木氏から聞いたエピソードがある。

 竹下政権が発足した1987年。官房長官の座をめぐって、竹下派幹部が競い合っていた。候補は、小渕氏、政策通の橋本龍太郎氏、剛腕の小沢一郎、梶山静六の両氏、人格円満の羽田孜氏らである。迷った揚げ句、竹下氏は青木氏に助言を求めた。青木氏は「小渕さんは絶対にあなたを裏切らない」と即答。小渕官房長官が実現した。

 小渕首相が、参院議員の青木氏を官房長官に据える異例の抜擢(ばってき)をしたのは、「竹下内閣の時の人事にこたえる意味もあったのではないか。律義な小渕さんらしい」。そう青木氏は受け止めている。


筆者

星浩

星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト

1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

星浩の記事

もっと見る