星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト
1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。
平成政治の興亡 私が見た権力者たち(10)
内政では衆参の「ねじれ」に苦しんだ小渕政権だが、外交では大きな成果をあげている。まずは首相就任間もない1998年10月の金大中・韓国大統領の日本訪問である。
首脳会談で小渕首相は「わが国が過去の一時期、韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受け止め、これに対し、痛切な反省と心からのおわびを述べる」と「おわび」を明言。金大統領は「韓日両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させるためにお互いに協力することが時代の要請」と述べた。両国首脳が歴史問題に区切りをつけて、未来志向の関係を築くことを確認した歴史的な会談となった。
金大統領は、韓国で禁止されていた日本の映画や歌謡曲などの文化を開放することも約束。日韓の文化交流に弾みをつけた。
日韓関係はその後、今にいたるまで慰安婦や徴用工の問題をめぐって揺れ動くが、小渕、金大中両氏の首脳会談は、国と国とが難しい関係にあっても、政治指導者の決断次第で大きく改善できるという「外交のダイナミズム」を印象づけた。金大統領は国会で演説し、戦後の日本の歩みを評価するとともに、韓国の民主化について「奇跡は奇跡的に訪れるものではない」と強調し、衆参両院の国会議員から大きな拍手を浴びた。
一方、同年11月に訪日した中国の江沢民・国家主席に対しては、小渕首相は厳しい態度で向き合った。日中首脳会談に向けて、中国側が歴史問題での「おわび」を共同宣言で文書化するよう求めたのに対し、日本側は中国との歴史問題は1992年の天皇訪中で区切りをつけたとの認識を示して文書化を拒否。小渕首相が首脳会談の中で、口頭で「おわび」を述べることで決着した。
小渕首相は、韓国が金大中大統領の訪日で歴史問題に区切りをつける姿勢だったのとは対照的に、中国は歴史問題を対日外交のカードとして持ち続けようとしていると判断。中国には譲歩できないと考えていたのだ。
小渕氏は、私にこう語っていた。「中国に妥協すると、梶山君たちがうるさい」。最初の総裁選で争った梶山静六元官房長官は、自民党内の保守派と連携して小渕氏らに対抗していた。そうした「政局的観点」からも中国に譲歩はできなかったというのだ。
それでも、小渕首相は中国との対話を重ねた。その成果は、翌99年11月にマニラで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)主催の首脳会談で実る。この場で小渕首相、朱鎔基・中国首相、金大中・韓国大統領との日中韓サミットが実現。歴史問題を抱える三国の首脳が一同に会し、北東アジアの安全保障や経済問題を話し合う枠組みが整った。この会合は、3カ国の首脳による対話の貴重な場として今も続いている。
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