個人を尊重しつつ、みんなが納得できる結論に至るプロセスから見えてくるもの
2019年02月15日
先日、突然、ジャニーズの5人組人気アイドルグループ「嵐」が活動休止するというニュースが飛び込んできました。嵐ファンの方はものすごいショックを受けているようです。知り合いの嵐ファンに聞くと、嵐の出ている番組を見たり、嵐の話題を耳にしたりするのがツラい、と言います。
もちろん、嵐なんか興味ないよという方もいらっしゃるとは思います。ただ、ファンでなくても、このところ毎年暮れには嵐メンバーの誰かが紅白歌合戦の司会をしていますし、多くの番組やCMに出演し、認知度の高いグループの活動休止ということ自体には、驚かれた方も少なくないと思います。
私も、身近に嵐ファンがいるため、ここ数年、嵐の「冠番組」は欠かさず見ていたので最初は驚きましたが、記者会見を見て、メンバーたちが語るその理由を聞いて、ちょっと納得しました。
きっかけは、リーダーの大野智さんが、自由な生活をしてみたい、芸能界を一度離れてみて、今まで見たことのない景色を見て見たい、普通の生活をしてみたいと思い始めたこと。大野さんは2017年6月中旬、他のメンバーに集まってもらい、自らの思いを打ち明けます。そこから何度も話し合いを重ねて、2018年6月頃に、2020年末で活動を休止するという方針が決まったそうです。
大野さんといえば、圧倒的な歌唱力とダンステクニックで嵐のパフォーマンスの中心である一方、絵の才能があり、個展も開く芸術家肌で知られています。釣りも好きなようで、好きなことに孤独に打ち込むタイプに感じられます。嵐が結成された当初は、辞めたいと思っていたこともあるようです。
そんな大野さんが、結成20年の節目を迎えるにあたり、一度、自由になってみたいと思ったのも、無理はないと思います。
記者会見の中で印象的だったのは、「誰か一人の思いで嵐の将来を決めるのは難しい」という一方で、「他の何人かの思いで一人の人生を縛ることもできない」という言葉でした。
これとの関連で思い出すのは、以前、嵐のメンバーの二宮和也さんが、「嵐は民主主義。Aと Bの選択肢があった時に、A2人対B3人になったら、Aを選んだ2人もBに乗っかる」と言っていたことです。誰か権力者がこうしろと言って、他のメンバーが従うのではなく、話し合いをしたうえで、多数になった意見にみんなが従っていくのですから、まさに民主主義ですね。
さきほど述べたように、会見では「他の何人かの思いで一人の人生を縛ることもできない」という言葉も出ました。二宮さんも以前、「一人がやりたくないことは絶対にやらない。一人がやりたくないって言ったものは、いまだにやっていない」と話していました。民主主義だからと言っても、誰かがツラくなるような選択はしない。すなわち、大野さんが嵐をやりたくない気持ちになっているのに、無理やり続けさせるという選択はしない。そういうことなのでしょう。
もし、大野さんの気持ちを押しつぶして、嵐を続けたい他の4人が大野さんを従わせていたら、いつか大野さんの気持ちが擦り切れて脱退したり、けんか別れになって分裂したりしていたかもしれません。そうならず、4人が大野さんの気持ちと向き合って、共通の結論を出したことは良かったと思います。このような進め方と結論は、嵐の魅力の一つである仲の良さをアピールすることにもなり、ある意味、ファンの期待を裏切らない形となりました。
一方、大野さんが抜けて4人で嵐を続ける選択をしなかった理由は、これも記者会見で語られた、「5人じゃなきゃ嵐じゃない」「5人でなきゃ100%のパフォーマンスはできない」という言葉から分かります。
このように、今回、嵐の5人のメンバーは、個人の気持ちを尊重しながら、みんなの納得できる結論を一年かけて探していったという点で、実に成熟した民主主義を実践したと思います。
このように見てくると、民主主義というのは単純なものじゃないということがわかりますが、実は民主主義というのは、多数の側がなんでも決めていいということではないのです。それはなぜでしょうか?
そして、もし多数派の意思に従って国会で作られた法律で、人権が侵害され憲法違反が生じていたら、立法府の違憲な立法に対して司法府が違憲判決を出し、人権を救済する仕組みになっています(違憲立法審査権)。いわゆる三権分立。昔、勉強しましたよね。
このように、民主主義と自由というのは、とかく対立しがちです。多数派は、少数派の批判を無視して、コトを進めたがるものなので。そう考えると、「自由」と「民主」を合体させた自由民主党という党名は実に深淵です。名が体を表しているかどうかは分かりませんが。
このような民主主義を採用する理由には、もうひとつ多数派が決めた結論が必ず正しいとは限らないということがあります。だからこそ、手続きを踏んできちんと議論することが大事であり、きちんと議論したときには、最終的な多数派にとりあえずは少数派が従うことにするのです。
当初の議論の時に少数派が多数派の案の問題点を指摘したり、対案を出したりして民主的に話し合っていれば、後で多数派の意見の間違いが判明したときに、少数派の意見を踏まえて素早く修正できます。場合によっては、最初から、少数派の指摘を受け入れて多数派の案の問題点を修正し、よりよい結論に到達することもあります。その方が、失敗が少なく、よりよい結果につながるはずです。
今日の少数派は、明日の多数派かもしれないのです。だから、民主的な議論の際には、少数派の意見はちゃんと聞いて、きちんと議論して、修正すべきは修正すべきだし、修正したからといって多数派が負けたということではないのです。どうせ最後は多数決で勝てるんだから、適当にごまかし答弁をしておけばいいやということではいけないのです。
これを今回の嵐の場合で見ると、大野さんは最初、嵐を脱退し、ジャニーズ事務所もやめるしかないと思っていたそうです。ところが、活動休止でもいいんじゃないかという提案があって、それが許されるのであればということで方向性を修正しました。
逆に、多数派である他の4人が何が何でも嵐存続ということで決めたら、大野さんだけ脱退することになっていたかもしれません。そうしたら、「5人で嵐」という「嵐像」に致命的なダメージを与えた可能性があります。話し合いが決裂して解散という事態になっていたかもしれません。しかし、そうならなかったのは、見方によっては、多数派が少数派の大野さんの意見をしっかり聞いて方向性を修正したということもできるのです。そうして、最終的には5人全員が共通の結論にたどり着いたということのようです。
嵐ファンの皆さんは、大野さんの気持ちを受け止めつつ、悲しい思いをしているかと思います。ただその一方で、最悪の結論ではなかったし、将来の復活への希望も残っています。これは、5人のメンバーによる民主的な話し合いの末、より良い結論に到達したのだとみることもできるのです。
でも、今回の嵐のような話し合いの進め方は、なかなかできることではありません。
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