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[123]『噂の真相』の岡留安則さん、逝く

金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

岡留安則・元「噂の真相」編集長/2013年岡留安則・元「噂の真相」編集長=2013年

1月29日(火) わき腹の痛みとれず。まいった。一番困るのは泳ぎに行けないことだ。ストレス解消の唯一の手段が断たれた上、なおかつ禁酒なので、こりゃあ地獄だわ。こういう日に限って頭がボーっとしているので、忘れ物が多い。携帯電話を自宅に忘れてきたことに気づいたのは電車の中だった。

 「報道特集」の定例会議。午後、早稲田大学の修士論文の口頭試問。一人はこの1年にわたってTA(ティーチングアシスタント)などでいろいろと手伝ってもらい付き合いの多かったM君。熊本県の満蒙開拓青少年義勇軍に関するルポルタージュ。もうひとりも講義の教え子のFさんで、憲法9条をめぐる社説比較分析。両方ともなかなかの力作で、こちらの方が刺激を受けるような内容だった。こういう人材に接すると、日本のメディア産業のなかで苦闘しながらもこのまま成長していって欲しいと心から願わずにはいられない。

 その後、赤坂に戻り、T弁護士やK議員らとミニ勉強会。集団的自衛権の解釈変更で、現政権がいかに違法なでっち上げを行っていたか。愕然とする資料。安倍首相のスピーチライターの質がどんどん低下していることについて。経産省出身のライターが特にひどいとのこと。

 CSの打ち合わせ。現代史と向き合うアメリカ映画について。『記者たち/フロントランナー/ヴァイス』。ゲストに町山智浩氏でどうか、と話し合う。

1月30日(水) 朝、早起きしてスポーツクラブのお風呂に入りに行ったら、顔見知りの人から「どうしてたんですか、顔を出していませんでしたね?」と言われる。

 今日も午後は早稲田の修士論文口頭試問。一人は「消えゆく町の復興」。過疎に苦しむ愛媛県野村町。そこを西日本豪雨が襲った。修士履修者のH君の祖母の故郷を僕自身も取材で入ったのでとても他人事とは思えない。もう一人Lさんは、中国の一人っ子政策の陰の部分「失独家庭」のドキュメンタリーを制作していた。今、日本の地上波で流れている泡のような過剰装飾のテレビ番組に比べれば、ほとんど飾りのない原石のようなこれらの作品に好感をもった。

 「毎日新聞」のコラム記事。先週末の大坂なおみフィーバーと、嵐活動休止宣言のインパクトに軽く触れる。体調回復せず、今夜のKさんの公演をお断りする。本当に残念だが。

 午後16時32分! 日経新聞が東京拘置所でカルロス・ゴーン日産前会長のインタビューをとったと速報を打ってきた! まいった。やられた。僕らの番組がオファーしていた形跡はない。ちゃんと自分でやっておくべきだった。後悔。

 何だか風邪をひいたか、鼻水が出てきた。後頭部が痛い。咳き込むと肋骨に響いて、これは拷問だ。「調査情報」の原稿を書き始める。状況論と「心の時代」をめぐって。頭が本当に痛い。こりゃあ風邪だなあ。まいった。弱り目にたたり目。どこかで必ず厄除けに行こう。

わき腹痛に風邪、体調すぐれず…

1月31日(木) わき腹痛+風邪の諸症状。W苦痛。ザ・ペニンシュラ東京・ホテルで『記者たち~衝撃と畏怖の真実~』の監督ロブ・ライナー氏にインタビュー。さすがにセレブはペニンシュラなんだろうか。随分以前(僕がTBSの報道局長だったころだから2005年ごろか)CBSニュースのお偉方が来日した時にこのホテルのVIPルームを借り切ってパーティーをしていた記憶があるなあ。インタビュー自体は面白かった。トランプが本当に大嫌いなんだと伝わってきた。

 局に戻って仕事を1件終えて、日本学術会議の定例記者会見へ。体調がますます絶不調に。記者会見どころではなくなった。懇親会で学術会議の山極寿一会長らにご挨拶をしてから早々に引き上げた。会場にM記者のドキュメンタリーを撮っているとかで森達也氏が来ていた。帰宅して「調査情報」の原稿仕上げ。

2月1日(金) 午前の便で沖縄・那覇へ。体調すぐれず、ホテル近くの食堂で、ふーちばーそばを食べてからベッドで横になる。まいった。その後M氏と面談。県民投票をめぐる動き。事態はここに来て収束の方向に向かい、2月24日に実施しないとしていた5市も含めて「全県実施」の方向にまとまった、と。那覇に来た理由はそのことだったが、公明党の県本部代表の金城勉氏がいろいろと動いたようだ。二択から三択への変更は苦肉の妥協策だという。

 18時からDJ氏。渦中の人物だけあって、さすがに疲れているようだった。政権の出方は「暴走」モードに近く、工法の変更についても一方的な発表を東京で行うだけで、県への報告、話し合いの打診などは一切ないという。その後、OさんやMさんが連続で開催している制作者勉強会に顔を出す。石川真生さんが来ていた。何しろ石川真生さんである。NHK沖縄のNディレクターがつくった作品を全員でみて品評。Nさんはおよそ2か月間、辺野古に住み込んでそこに暮らしている住民から基地建設という最もセンシティブな問題を聞き出そうとした。この会は、なかなか厳しい会である。だが、褒め合うことしかやらない昨今の品評会が多い中で、こういう会は本当に貴重だと思う。厳しい意見も飛び交うなかで、僕は頭がボーっとしてしまい、それ以上その場にいることが不可能と判断して辞去し、二次会は失礼させていただく。

『噂の真相』の抗う精神は引き継がれるのか

岡留安則さんと大田昌秀・元沖縄県知事=遺族提供岡留安則さんと大田昌秀・元沖縄県知事=遺族提供

2月2日(土) 朝一番の飛行機で羽田に戻る。早くこの体調から脱することだ。「報道特集」の生放送。前半はインフルエンザの猛威特集。後半はMBS(毎日放送)の異才・津村建夫ディレクターの冤罪再審をもとめる元被告のストーリー。津村さんと言えば、かつて2008年に「京大熊取六人衆」をテーマにしたドキュメンタリーをつくった人物として僕の記憶にゴチック文字で刻まれている。<3・11>以前にこういう視点を提示していたことの重さはいくら強調してもしすぎることはない。こういう作り手がまだテレビの世界には生き残っているのだ。そう言えば、同じくMBSには、斉加尚代さんもいた。体調悪し。容態は熱がないのでインフルエンザではないが、インフルエンザの放送をみていて何だかこわくなってきた。

 14時すぎのことだ。ちょうど特集のプレビューをしている最中に、Kさんから電話が入った。「岡留さんが亡くなりました」。「えっ!」。一瞬絶句した。スキャンダル雑誌『噂の真相』の編集長・岡留安則さんがかねて

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