厳罰化と警察の介入は児童虐待防止の切り札?
野田市の児童虐待事件で国会議員から上がる児童虐待罪の新設など強硬論を検証する
米山隆一 衆議院議員・弁護士・医学博士
死亡事案と相談件数の増加率の差が示すもの

2018年上半期(1~6月)に全国の警察が虐待を受けているとして児童相談所に通告した18歳未満の子どもは3万7113人で過去最多だったことを伝える新聞
では、この30年弱で児童相談所への相談件数が133倍に増加し、それには及ばないものの児童の死亡事案も20年弱で1.5倍に増加している“事実”は、相談されたり検挙されたりする以前の「生の事実」としての「児童虐待」が、年々増加していることを示しているでしょうか?「生の事実」としての児童虐待の件数それ自体を知りえない以上、推測によるしかないのですが、私には到底そうは思えません。
私の少年時代は30年どころか、もう40年以上も前になりますが、当時子供たちに大人気だったのは「巨人の星」であり、「あしたのジョー」でした。
「巨人の星」に登場する“父ちゃん”、星一徹のちゃぶ台返しは、どう見ても飛雄馬のお姉さん、明子さんに対するDVでしたし、大リーグボール養成ギブス(強力なバネで身体を締め付ける器具です)を身につけて練習させる姿は、飛雄馬に対する児童虐待に他なりませんでした。
あるいは、「あしたのジョー」の矢吹丈は、山谷のドヤ外で、ほぼ完全にネグレクトされた子供たちの一団と伴に少年時代を過ごした後、少年院に送られ、いくら刑事罰とはいえ明らかに児童虐待に当たる扱いを受けています。
しかし、当時それを問題視する人はほとんどいませんでした。「星一徹的父親」は巷(ちまた)にあふれていましたし、ドヤ街といわず、ごく普通の街の普通の家庭でも、今ならばネグレクトとされる状況の子供は珍しくありませんでした。そして、今なら体罰と見なされる行為は、日常生活からスポーツ指導の場まで、ありふれた光景でした。それが問題にならなかったのは、ただ単に、多くの人がそれを児童虐待だとは思っていなかったからです。
平成11年から平成27年の間に、死亡事案の増加が1.5倍に留まりながら、児童相談所への相談が11倍にも増えた原因は、おそらく生の事実としての児童虐待の件数が増えたからではなく、児童虐待が広く認知され、今までは児童虐待として認識されなかったものが児童虐待と認識される様になったためだと思います。
実際、上記の厚生労働省のデータにおいても、近年の相談件数の大幅な増加の要因は、今まではあまり児童虐待として認識されていなかった、児童の面前でDVがなされる面前DVに対して、心理的虐待として警察が児童相談所に通告する事案が増えたことである、とされています。