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厳罰化と警察の介入は児童虐待防止の切り札?

野田市の児童虐待事件で国会議員から上がる児童虐待罪の新設など強硬論を検証する

米山隆一 衆議院議員・弁護士・医学博士

野田市の児童虐待事件。亡くなった栗原心愛さんが書いたアンケートのコピー。黒塗りの部分は虐待と関係ない部分。担任が本人から聞き取ったメモも書いてある=2019年2月1日、千葉県野田市役所野田市の児童虐待事件。亡くなった栗原心愛さんが書いたアンケートのコピー。黒塗りの部分は虐待と関係ない部分。担任が本人から聞き取ったメモも書いてある=2019年2月1日、千葉県野田市役所

児童虐待をめぐる議論が活発化

 野田市での悲惨な児童虐待事件の報道を受け、児童虐待についての議論が活発に行われています。

 そのなかで自民党若手議員が、「現在の罰則はなまぬるい」として「児童虐待罪」の新設による「児童虐待の厳罰化」などを厚労相に申し入れました。また、むしろフェイクニュースとして有名になりましたが、タレントのフィフィさんが警察の積極的介入を定めた改正児童虐待防止法に蓮舫議員が反対した(実際は、蓮舫氏は当時議員ではなく、そもそもこの法律は全会一致で成立し反対した議員はいなかった)と批判し、これがフェイクだと判明すると、今度は同改正案が当初は令状なしの警察の介入を可能としていたのが、令状主義の維持に改められたことに批判の矛先が向けられるなど、警察の介入と厳罰化が児童虐待防止の切り札であるかのような議論が見られます。

 果たしてそうでしょうか? 本稿ではその是非について検討したいと思います。

児相への相談件数と検挙件数の推移

 さて、議論の前提として、児童相談所への児童虐待の相談件数と、検挙件数の推移を見てみましょう。厚労省発表のデータ(平成29年度 児童相談所での児童虐待相談対応件数)によると、児童虐待相談件数の推移は以下の様(図1)になります。

図1図1

 これを見ると、平成2年から平成29年の27年間で、1101件から13万3778件と、なんと27年間で133倍にも増えている事が分かります。また比較的最近の、平成11年から平成28年の17年間を見ても、相談件数は1万1631件から12万2575件と11倍に増えています。

 児童虐待で「検挙」された件数はどうでしょうか?こちらは警察庁発表の平成29年度犯罪白書で公表されています(図2)。

図2 児童虐待に係る事件検挙件数・検挙人員の推移

 これによると、検挙件数は平成11年から平成28年の17年間で、120件から1041件と17年間でおよそ9倍に増えているのですが、殺人+傷害致死の児童死亡事案は34件から50件と1.5倍の増加に留まっています。

死亡事案と相談件数の増加率の差が示すもの

2018年上半期(1~6月)に全国の警察が虐待を受けているとして児童相談所に通告した18歳未満の子どもは3万7113人で過去最多だったことを伝える新聞2018年上半期(1~6月)に全国の警察が虐待を受けているとして児童相談所に通告した18歳未満の子どもは3万7113人で過去最多だったことを伝える新聞
 では、この30年弱で児童相談所への相談件数が133倍に増加し、それには及ばないものの児童の死亡事案も20年弱で1.5倍に増加している“事実”は、相談されたり検挙されたりする以前の「生の事実」としての「児童虐待」が、年々増加していることを示しているでしょうか?「生の事実」としての児童虐待の件数それ自体を知りえない以上、推測によるしかないのですが、私には到底そうは思えません。

 私の少年時代は30年どころか、もう40年以上も前になりますが、当時子供たちに大人気だったのは「巨人の星」であり、「あしたのジョー」でした。

 「巨人の星」に登場する“父ちゃん”、星一徹のちゃぶ台返しは、どう見ても飛雄馬のお姉さん、明子さんに対するDVでしたし、大リーグボール養成ギブス(強力なバネで身体を締め付ける器具です)を身につけて練習させる姿は、飛雄馬に対する児童虐待に他なりませんでした。

 あるいは、「あしたのジョー」の矢吹丈は、山谷のドヤ外で、ほぼ完全にネグレクトされた子供たちの一団と伴に少年時代を過ごした後、少年院に送られ、いくら刑事罰とはいえ明らかに児童虐待に当たる扱いを受けています。

 しかし、当時それを問題視する人はほとんどいませんでした。「星一徹的父親」は巷(ちまた)にあふれていましたし、ドヤ街といわず、ごく普通の街の普通の家庭でも、今ならばネグレクトとされる状況の子供は珍しくありませんでした。そして、今なら体罰と見なされる行為は、日常生活からスポーツ指導の場まで、ありふれた光景でした。それが問題にならなかったのは、ただ単に、多くの人がそれを児童虐待だとは思っていなかったからです。

 平成11年から平成27年の間に、死亡事案の増加が1.5倍に留まりながら、児童相談所への相談が11倍にも増えた原因は、おそらく生の事実としての児童虐待の件数が増えたからではなく、児童虐待が広く認知され、今までは児童虐待として認識されなかったものが児童虐待と認識される様になったためだと思います。

 実際、上記の厚生労働省のデータにおいても、近年の相談件数の大幅な増加の要因は、今まではあまり児童虐待として認識されていなかった、児童の面前でDVがなされる面前DVに対して、心理的虐待として警察が児童相談所に通告する事案が増えたことである、とされています。

警察の積極的介入は児童虐待を減らすか?

 では、この現状において、警察の積極的介入は児童虐待を減らすことに繋がるでしょうか?

 私の答えは、「『警察の介入すべき事案』に介入すれば児童虐待の減少に繋がるが、ただ単に警察の積極的介入を定めただけではその効果は薄い」ということです。

 少々禅問答的で分かりづらいので、解説させていただきます。

 まず「警察の介入すべき事案」は何かです。トートロジー的になりますが、検挙されている年間1千件がこれに当たると思います。これらの事案に早期介入することが出来れば、検挙に至るような虐待を減らしたり、殺人や傷害致死による児童の死亡という最悪の結果に至る事案50件を減らしたりすることが出来る可能性はあります。

 問題は、どうやってその1千件を見つけるか、です。

効果が薄いやみくもな介入

 先述したように現在、児童相談所への虐待相談件数は、30年前の133倍の13万件以上に膨れ上がっています。しかも、児童相談所は児童虐待の相談だけを受けているのではなく、児童虐待を含む養護相談、障がい相談、非行相談、育成相談などの相談も受けています。

新潟市児童相談所=新潟市中央区川岸町新潟市児童相談所=新潟市中央区川岸町
 例えば平成29年の新潟市で見ると、全相談件数3313件のうち児童虐待の相談は2割強の697件にとどまります。この比率が、日本全国で同程度だとすれば、児童相談所には現在、ざっと年間65万件程度の相談がよせられているという計算になります。

 この65万件のうち検挙に至ったものは1千件ということは、児童相談所に寄せられる相談650件の中で検挙に至るような事案は1件ということを意味します。つまり、残りの649件は「面前DVによる心理的虐待」など、福祉の専門家が対応したほうがいいと見られる事案なのです。

 こうした状況を勘案すれば、事案を適切に選択することなく、やみくもに警察が早期に介入しても効果は薄いことになります。それ以前に、警察自身が物理的にパンクして対応できなくなってしまうかもしれません。

 そうである以上、児童相談所が警察の介入すべき事案を、適切に選別するしかありませんが、それもまた、それほど簡単ではありません。

適切な選別ができる児相の体制づくりが先決

 俗に「木の葉を隠すなら森の中へ」と言いますが、警察の介入が必要な事案に目印がついているわけではありませんし、当然ながら当事者は、警察の介入が必要のない他の649件の事案と同様であるように装います。そもそも、後から見れば、結果的に警察の介入が必要な事案も、相談の当初は、他の多くの事案と同様、福祉の手で救えるもの、福祉の手で救うべきものである場合も多々あります。

 「幸福な家庭は互いによく似ているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」(トルストイ)ではないですが、児童相談所の職員は、まことに多種多様の問題を抱える家庭からの相談に正面から向き合い、これを把握し、その中から650件に1件生じる重大事例を適切かつタイムリーに見つけ出さなければなりません。これは実際、大変なことです。

 そのために必要なことは、児童相談所の職員に「何をしている!」「頑張れ!」という精神論を述べることではないと思います。活動を支える予算を十分確保し、人員とリソースも、20年前の10倍といわないまでも、2~5倍程度に増やすことが必須だと思われます。

 すなわち、警察の積極的介入は、介入が必要な事案をきちんと見つけ出せる体制があってはじめて機能するものであり、それがなければ児童虐待の減少に対する効果は限定的でしょう。逆に言うなら、介入が必要な事案をきちんと見つけ出せる体制があるなら、警察の介入に令状を求めることは、特段の障害にはならないと思われるのです。

マイナスが大きい児童虐待の厳罰化

 次に、自民党若手が提案している「児童虐待罪」の創設による厳罰化が、児童虐待、とりわけ死亡に繋がるような事案を減らすことができるか考えてみます。

 断定的で恐縮ですが、私はその効果はほぼないどころか、児童福祉の観点からは、むしろマイナスが大きいと思います。

takasu/shutterstock.comtakasu/shutterstock.com
 まず、「厳罰化」と言いますが、現在児童虐待事案に対して適用されている法令には、殺人罪、傷害致死罪、暴行罪、重過失致死傷罪、強制性交等罪、保護責任者遺棄罪、逮捕監禁罪等があり(書くだけで気が滅入りますが)、当たり前ですが、それぞれの罪状に相応の重い刑罰が定められています。

 例として殺人を挙げれば、死刑、無期若しくは5年以上の懲役であり、傷害致死罪であれば3年以上20年以下の懲役、傷害でも1年以上15年以下の懲役もしくは50万円以下の罰金です。つまり現在の法律でも、最も重い上限としては、死刑、無期懲役、懲役15年が適用されうるのです。

 従って、これを厳罰化するなら、軽い方の下限を上げて、例えば児童虐待罪に当たるとした瞬間に、10年以上の懲役、若しくは死刑等とするしかなくなります。

 しかし、大変恐ろしいたとえで恐縮ですが、「子供が傷害の結果死亡しても、20年の懲役を受ける可能性もあるけれど、5年の懲役ですむかもしれないから、傷害にしよう」と思った人が、「子供が傷害の結果死亡したら必ず10年以上の懲役となるから、やめておこう」と思いとどまることはありうるでしょうか?そんな冷静な計算をできるような人、出来るような心理状態なら、人はそもそも児童虐待はしないでしょうし、仮に冷静な計算をできるとしたら、現時点でも最大で死刑や無期懲役を含む重い刑罰を受ける可能性がある以上、児童虐待はしないはずです。

 以上から、私は厳罰化による児童虐待の抑止効果はほぼゼロに近いと思います。

福祉の観点からも非常に問題

 一方で、下限を上げて一律厳罰化することは、福祉の観点からは非常に問題があると思われます。先ほど「幸福な家庭は互いによく似ているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」というトルストイの言葉を引用しましたが、児童虐待の家庭や親子関係は極めて多様かつ複雑であり、一概に親を厳罰に処せばいいというわけではないからです。

 最初に例に挙げた巨人の星やあしたのジョーほど極端ではないにせよ、長い子育ての過程で一度も子供に手を上げたことがない人というのは、むしろ稀(まれ)でしょうし、例えば子供が非行に走った時のように、一定の叱責が必要なことだってあるでしょう(体罰を肯定したいのではありませんが)。また、率直に言って親御さんに境界的な障害が認められ、親御さん自身の相談や治療が望まれることもあります。一律厳罰化は、そういった親御さんから相談や治療の機会を奪い、事態を隠蔽(いんぺい)させ、闇に潜らせることに繋がりかねません。

 また、実際に虐待が認定された後であっても、程度が軽微で親に改善の余地があり、親子関係の回復が見込まれ、その方が子供にとって望ましいケースもあります。それを一律厳罰にし、長期間にわたって親子関係を引き離してしまうことにしたら、むしろ非常に多くの新たな不幸を生んでしまうように私には思えます。

 ここでも、必要なのは、まずは児童相談所の職員が多種多様の問題点を抱える家庭からの相談に正面から向き合い、これを把握して適切な対応を取ることです。それでも警察が介入せざる得ず、犯罪として立件された事案については、児童相談所の職員をはじめ関係者が把握したあらゆる事情を裁判の場に提出して、情状も十分に考えた上で、比較的軽い刑罰から重い刑罰に至る広い選択肢の中から、「それぞれの不幸」に応じた適切な罪を選ぶことが肝要であると私は思います。

本気度は予算を伴う政策への態度に現れる

 ここまで、警察の積極的介入と厳罰化が児童虐待を防止し減少させるための効果は限定的であり、本当に必要なのは、爆発的に増加した相談件数に対応できる体制作りであると述べてきました。これは、一度でも行政に携わったことがあるものには、納得できることだと思います。

山下貴司法相(右)に児童虐待防止に向けた法改正を申し入れた塩崎恭久元厚労相(左)が=2019年2月19日山下貴司法相(右)に児童虐待防止に向けた法改正を申し入れた塩崎恭久元厚労相(左)が=2019年2月19日
 にもかかわらず、与党を中心に警察の積極的介入と厳罰化を求める声が強く上がっている理由は、
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