官邸主導政治を束ね安倍内閣を仕切る高圧的な官房長官は「冷徹なポピュリスト」だ
2019年03月03日
「笑わない官房長官」「最強参謀」「影の総理」――。
様々な呼び名を与えられる菅義偉・官房長官。官邸主導政治のグリップを握り、安倍内閣の運営に、決定的な影響力を保持しています。
一方で、テレビに映し出される記者会見での高圧的な姿には、これまで度々、厳しい批判が投げかけられてきました。
最近では東京新聞社会部の望月衣塑子記者を指すとみられる「特定の記者」が、定例会見で「問題行為」を行っているとして、記者クラブに対して「問題意識の共有」を求める文書を送っています。これは「恫喝」や「排除」に当たるとして、日本新聞労働組合連合(新聞労連)や日本ジャーナリスト会議が抗議声明を出し、問題になりました。
米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設作業について、「粛々と進める」とくり返し述べたことで、沖縄から「上から目線」との反発を招き、「不快な思いを与えたということであれば、使うべきじゃない」と表明するまでに追い込まれました。
しかし、一方で大衆の欲望には敏感で、後で述べるように、返礼品が手に入る「ふるさと納税」や沖縄へのUSJ(ユニバーサルスタジオ・ジャパン)・ディズニーランド誘致、さらにNHK基本料金値下げや携帯電話料金値下げなど、ポピュリズム的政策を打ち出すことを得意としています。読売新聞朝刊で連載中の「人生案内」には必ず目を通し、市井の動きや感情に、常に目を光らせていると言います。
菅義偉という政治家は、いかなる考えの持ち主なのか? どのようなヴィジョンを抱いているのか?
菅さんの著書(『政治家の覚悟-官僚を動かせ』文藝春秋企画出版部、2012年)やインタビュー、論考などを追いながら、その実像に迫りたいと思います。
まずは、簡単にその足跡を振り返っておきたいと思います。
若き日の菅さんを語る際に、よく語られるのが「たたき上げ」「苦労人」というキーワードです。彼は世襲議員ではなく、地方から上京し、裸一貫で国会議員になった経歴をもっています。
秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現在の湯沢市秋ノ宮)の農家の長男として生まれた菅さんは、比較的裕福な家庭に育ちます。父は「秋の宮いちご」のブランド化に成功したことで地元有力者となり、雄勝町議会議員や湯沢市いちご生産集出荷組合会長などを務めました。
菅さんは、存在感の大きな父に反発し、高校卒業後、農家を継ぐことなく上京します。
最初にはじめたのが板橋区の段ボール工場での住み込みの仕事。「東京に出さえすれば、将来の展望が開ける」と思っていたものの、現実は厳しく、「ここで一生を終わるのかと思うと暗澹とした気持ちになった」と言います。(豊田正義「根性を忘れた日本人へ(3)世襲禁止を目指す"反骨漢" 衆議院議員・菅義偉」『新潮45』2009年5月)
大学に入って人生を変えようと考え、段ボール工場を辞めます。築地市場でアルバイトに従事しながら、学費が安かった法政大学に入学。卒業後、衆議院議員・小此木彦三郎さんの秘書となり、政治の世界に足を踏み入れました。
小此木さんは第二次中曽根内閣で通産大臣になると、菅さんを秘書官に抜擢し、外訪などの重要な仕事に同席させるようになります。38歳の時に横浜市議会議員選挙に立候補し、当選。ここで頭角を現し、「影の市長」とまで言われる実力者にのし上がりました。
1996年、導入されて初めての小選挙区比例代表並立制の衆議院選挙に、神奈川二区から出馬し、当選。小渕派に入ったものの、小此木さんの親友だった梶山静六さんを敬愛し、橋本龍太郎内閣の退陣後の総裁選では、小渕さんの対抗馬だった梶山さんを応援しました。
その後、宏池会に入会。加藤紘一さんをリーダーとして担いだものの、森内閣打倒を目指す「加藤の乱」に敗れて宏池会は分裂。その後は反加藤グループの堀内派に身を置きました。この頃、北朝鮮問題をめぐって安倍晋三さんと共鳴し、以後、行動を共にするようになります。
小泉内閣では、総務副大臣に就任。この時の総務大臣が竹中平蔵さんで、通信・放送分野の改革に従事します。竹中さんが自民党の部会で厳しく批判されると、その相手に対して怒鳴りつけるように反論し、竹中さんの信頼を獲得していきます。
第一次安倍内閣では総務大臣に抜擢され、NHK改革などで大鉈を振るうことになります。夕張の財政破たんにも直面し、監督官庁の大臣として対応に追われました。
この後、麻生太郎さんにも信頼され、麻生内閣時には「世襲制限」を打ちだします。支持率が低下する中、自民党への期待感を盛り上げようとしますがうまくいかず、2009年の選挙で民主党に大敗し、政権交代をゆるしました。
約3年間の野党生活を経て、第二次安倍内閣が成立すると、官房長官に任命され、現在に至っています。
菅さんの特徴は、何といっても「人事」。官僚などの人事権を握ることで巧みに誘導し、忖度を生み出すことで、政治的成果を得ようとします。
菅さんは、このことに自覚的で、自らの著書の中で次のように述べています。
人事権は大臣に与えられた大きな権限です。どういう人物をどういう役職に就けるか。人事によって、大臣の考えや目指す方針が組織の内外にメッセージとして伝わります。効果的に使えば、組織を引き締めて一体感を高めることができます。とりわけ官僚は「人事」に敏感で、そこから大臣の意思を鋭く察知します。(『政治家の覚悟-官僚を動かせ』)
ここでのポイントは、人事こそが大臣の「メッセージ」であり、官僚はその意図を「鋭く察知」すると論じている点です。
直接的なメッセージを発するのではなく、人事を通じて相手に勘ぐらせることこそ、権力が最大の効果を発揮すると認識しているのです。
人事権を掴めば、人は服従する。人事権者に人の流れが集中し、情報が集まる。この権力のメカニズムを熟知し、行使するのが菅さんの特徴です。これは横浜市議時代に、人事こそが組織を掌握する肝であることを痛感した経験から生み出された「業」でした。
2014年5月、菅さんが主導する形で内閣人事局が創設されます。ここでキャリア官僚の人事を官邸が掌握する仕組みが出来上がり、菅さんの権力は揺るぎないものになります。官僚は官邸の意向を忖度し、行動するようになります。
のちに発覚するように、官僚の忖度による文書・データ改ざんなどは、安倍内閣を特徴づける事象となっていき、国民の行政に対する信頼の低下を招きました。
菅さんの人事は、メディアのコントロールにも発動されます。
総務大臣時代の2007年、南俊行・放送政策課長を強引に更迭し、3年後輩の吉田眞人・電気通信事業紛争処理委員会事務局参事官と交代させました。この人事により、菅さんはNHK改革の主導権を握り、放送法の改正に道筋をつけたとされます。
当時のNHKは、職員の不祥事が相次ぎ、受信料不払いに悩まされていました。これを解決する手段として、NHK幹部は支払いの義務化を目指し、総務省への働きかけを行いました。
これに反発したのが菅さんでした。菅さんは、受信料の2割値下げを要求し、橋本元一・NHK会長と対立します。そして、自らの意向がなかなか反映されないことに強い不満を持ち、南課長の更迭人事を断行したと言います。
この時の雑誌記事には、次のような記述があります。
更迭理由について、菅氏は「NHK改革を加速させたい」と説明している。オブラートにくるんだいい方だが、NHK改革が遅々として前進しないのは総務省内にNHKの代弁者がいて、改革に抵抗しているからだ、それが南課長だといわんばかりだ。(「『たたき上げ大臣』菅義偉総務相の凄み――安倍首相が最も信頼する男」『月刊テーミス』2007年4月号)
ここでも菅さんが人事によって巧みに「忖度」を誘導し、政治的成果を得ていく様子が見られます。
同じ2007年には、『発掘!あるある大事典II』の捏造問題が発覚し、番組が打ち切りになるという騒動が起きます。菅さんはこの事態に巧みに介入し、問題のある番組放送への行政処分を強める放送法改正を主張します。
これは「権力による言論統制や検閲につながる」「総務省に番組内容への介入を許すことになる」と批判を受けますが、菅さんは意に介さず、改正法案を衆議院に提出します。結局、NHKと民放連はBPO(放送倫理・番組向上機構)の中に強い権限を持つ「放送倫理検証委員会」を新たに設けることで対応し、関西テレビを民法連から除名する処分を下しました。
この後、菅さんは放送局に対して電波利用料金の値上げを表明し、メディアに対するマウントポジションを形成していきます。菅さんはメディアの反対キャンペーンに対抗するために、民放社員の給与を徹底的に調べ上げたと言います。
私はこの値上げを表明するにあたり、民放各社の社員の給与など、放送業界の実情を調べて理論武装していました。四十歳の平均年収が二千万円という会社が複数あり、下請けとの給与格差は実に四倍にも達していました。どんなに批判されてもひるむつもりはありませんでした。(『政治家の覚悟-官僚を動かせ』)
放送局の給与が高水準にあることを世に知らしめ、大衆の感情に火をつけることで、メディアへの権力を行使しようとしました。
他にもNHK会長人事に介入し、安倍首相と思想を共有する富士フィルム社長(当時)の古森重隆さんを経営員会の委員に任命します。古森さんは委員の互選により委員長に選出され、会長を外部から起用することに道筋をつけます。
さらに古森さんは2008年3月、国際放送について「利害が対立する問題については日本の国益を主張すべきだ。国際放送をただ強化するだけでなく一歩踏み出せ」と発言し、問題になりました。これも菅さんの主張を受けたもので、総務大臣時代には北朝鮮拉致問題をめぐってNHKに命令放送の指示をしたことが話題になりました。
菅さんは、このような経験の積み重ねによって、メディアをコントロールする手法を確立していきます。人事や懲罰、値上げや値下げを通じて統制的ポジションを築き、忖度や自主規制を誘導することで、批判を抑えこんでいきました。
しかし、このような手法は、空気を読まない人間の乱入によってかき乱されます。それが東京新聞の望月記者をめぐる一連の騒動です。政治部記者ではなく社会部記者の望月さんが、菅さんによって構築された官房長官会見の「空気」を壊し、厳しい追及をはじめると、菅さんは露骨に嫌悪感を示し、圧力をかけるようになりました。ここに菅さんの政治手法の弱点があるといえるでしょう。
菅さんの推進する政策には、大衆の欲望に迎合するものが多くみられます。その典型が「値下げ」です。
この成功体験は、国土交通大臣政務官時代に手がけた東京湾アクアラインETC割引の実施にありました。
菅さんは東京湾アクアラインの料金が高すぎることに目をつけ、3000円の通行料を2000円に値下げすべきことを主張します。そして、ETC車に限って割り引くという社会実験を行い、成功に導きます。料金を下げた結果、全体の交通量が増加し、ETC利用率も上がりました。この結果を踏まえて、ETC普通車800円が実現することになります。
以降、この「値下げ」政策は、菅さんの切り札になっていきます。前述のように、NHK改革を断行する際には料金値下げを掲げて、世論を味方につけました。
さらに、最近は携帯電話料金の値下げを主張し、議論を巻き起こしています。彼は総務大臣時代にICT(情報通信技術)の国際戦略を立てたことで通信分野に精通し、詐欺的資金調達をくり返していた近未来通信への立入検査を通じて、電気通信事業法改正への道筋を付けた実績があります。
菅さんは、現代社会における通信費の増大が庶民層の家計を圧迫している点に注目し、「大手の携帯電話料金は、今よりも四割程度下げる余地がある」と主張しています。菅さんが注目するのは、国際社会との比較です。日本の料金は世界的にみると最も高い部類に属し、世界全体の携帯料金が下降傾向にあるにもかかわらず、それに準じていないと言います。
この原因はどこにあるのか。菅さんの見るところ、通信業界が大手三社の寡占状態になっていることにあります。しかも、携帯端末を販売する代理店の役割も担っていることから、「端末費」と「通信費」の区別がつきにくい契約システムが一般化しています。そのため、利用者は項目の細かさと複雑さに閉口し、何にいくら支払っているのか把握できないという不満を持っています。さらに、契約内容が複雑で分かりにくいため、手続きに時間かかかり、苛立ちが増大します。
菅さんは、大手の寡占状態を解消し、競争原理を働かせることで「選択の自由」を保証すべきと訴えます。そのための環境づくりを政治的に行うことで、複雑な契約を解消し、料金値下げを実現しようとしています。(菅義偉「携帯通信通話料金は絶対に四割下げる」『文芸春秋』2018年12月号)
沖縄県民がアメリカ海兵隊の普天間基地を名護市辺野古に移設する計画に反対すると、USJ・ディズニーランド、カジノなどの大型リゾート施設の誘致に動き、揺さぶりをかけました。これもポピュリズム的特徴を持つ一連の政策と言えるでしょう。
このような「値下げ」政策などには、大衆迎合という側面と共に、既得権益解体という構造改革の意思が反映されています。
菅さんの打ちだす政策は、基本的に「自助」という自己責任を基調とする「小さな政府」路線に基づいています。民主党政権時代には、自民党のスタンスを明確にするため、「小さな中央政府」を目指すべきことを強調し、さらに「歴史、伝統、文化、地域を大事にし、誇りに思うような教育方針を打ち出す」べきとして、次のように言っています。
安倍内閣のころから小泉改革の軌道修正をする動きが出て、福田内閣になって「逆にしよう」という雰囲気になってきた。その辺りからおかしくなったのではないかと思います。私どもは「改革」を掲げて議席をいただいたわけですから、党として金科玉条のごとく推進すべきだった。(菅義偉、田原総一朗「連続インタビュー 自民党ならこの危機をどう救う?-失業者減は「成長」なくして実現しない」『Voice』2010年2月号)
菅さんは小泉構造改革を断固として継続すべきという立場をとってきました。規制緩和を徹底することによって新しい産業を興していくというヴィジョンは、大臣就任以前からの持論でした。(「手負いの獅子に諫言する--自民党若手座談会」『文芸春秋』2002年4月)
国家戦略特区を推進し、農協改革によって自由競争を推進する。法人税を減税し、大企業の国際競争力を高める。
一方、政府の側も行政改革によるスリム化・効率化を図り、官邸主導によるスピード感を実現する。地方分権を推進し、地方自治体に競争原理を導入することで自助努力を促す。公務員の人件費は削減し、首長の高額退職金にもメスを入れる。
一方、「価値の問題」についてのスタンスですが、基本的には「パターナル」な姿勢をとっていると言えます。
2000年7月には『月刊自由民主』に「政策提言 横浜と湘南の国旗国歌問題」という論考を掲載し、国旗国歌を重んじる姿勢を教育すべきと訴えました。ここで論じられているのは、国旗国歌の推進に協力的な学校が多い地域は自民党が強く、逆にこれに従わない学校が多いのは、労働組合が強い地域だということです。国家方針に従順ではなく、既得権益化した労働組合を敵視する姿勢が表明されています。
そもそも安倍首相と親しくなったきっかけは、北朝鮮拉致問題でした。
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