星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト
1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
平成政治の興亡 私が見た権力者たち(11)
当時、各地を取材したが、自民党と公明党が連立を組んで初めての国政選挙とあって、お互い、戸惑いながらの選挙戦だった。地方では、自民党候補の後援会が公明党・創価学会とはしっくりいかず、冷めていた選挙区が多かった半面、都市部では、創価学会員が自民党の選挙事務所に入り、一体となった運動を繰り広げている選挙区が見られた。自公の選挙協力はその後、回数を重ねるごとに深化していく。
定数480(選挙区300、比例区180)を争った総選挙の結果は、自民党が233議席で単独過半数(241)には届かなかったが、公明党(31議席)と保守党(7議席)を合わせると与党は271議席と過半数を確保した。一方、民主党は127議席、自由党22議席、共産党は20議席だった。森首相は開票後の会見で「引き続き政権を担当せよというのが民意だ」と述べ、政権は継続した。
総選挙後の組閣で森首相は、宮沢喜一蔵相、河野洋平外相、堺屋太一経企庁長官ら主要閣僚を続投させた。官房長官は青木幹雄氏から森首相側近の中川秀直氏に代わった。
総選挙とサミットを乗り切った森首相だが、政権の勢いは依然、弱いままだった。10月には中川官房長官の「女性問題」が週刊誌で報じられ、辞任に追い込まれる。後任に小泉純一郎氏が浮上するが、本人が「俺は女房役には向かない」と固辞。同じ森派の福田康夫氏を推し、福田氏が就任した。これが、半年後の「小泉首相」誕生の伏線となる。
中川官房長官の辞任で森政権が揺らぐ様子を、政権取りのチャンスと虎視眈々(たんたん)とうかがっていたのが加藤紘一氏である。
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