北の完全な非核化は非常に困難。ほどほどの対峙は両国にとって好都合
2019年03月01日
大方の予想に反し、まさかの「ノーディール」(ゼロ取引)となったベトナムの首都ハノイでの第2回米朝首脳会談。非核化の措置とその見返りの経済制裁の緩和をめぐって、交渉は決裂に終わったが、米朝両国は丸一日も経たないうちに、すでに協議を続けていく方針を示している。
これは、両国が当面、関係改善の流れを保ちたいとの表れとみられる。もちろん、米朝の今後の交渉には紆余曲折は予想される。だが、今回の首脳会談の舞台となったベトナムとアメリカがかつての敵対関係を正常化したように、朝鮮半島の「脱冷戦」の流れはもう後戻りにできない段階に入ってきている。
マーケット用語で「ゴルディロックス」(ぬるま湯)という言葉がある。「熱湯」でも「冷や水」でもなく、適温状況の下、相場が上昇して良好なパフォーマンスを生み出す状態のことだ。筆者は今回の首脳会談は決裂したものの、現在の米朝関係は両国にとって、そうした居心地の良いぬるま湯状況にあると思っている。
トランプ大統領は、目に見える短期的な将来において、北朝鮮に非核化させることは不可能と判断し、北朝鮮の核実験と大陸間弾道ミサイル(ICBM)試射を当面中断させるという、「核ミサイル実験のモラトリアム(一時的停止)」を得られれば基本的に良いと考えているのではないか。要は、北朝鮮が2017年の時のようにアメリカ相手に挑発的なことをしなければいいのである。ロシア疑惑などで内政的に窮地に陥るなか、それだけでも前任のオバマ大統領との違いを国内外にアピールできるからだ。
実際、トランプ大統領は、それを示唆する言動をしきりにみせている。たとえば、ハノイに向けて出発する前の2月24日には、「(核ミサイルの)実験がない限り、我々は満足だ」と述べている。また、今回の米朝首脳会談後の28日の記者会見でも、金正恩・朝鮮労働党委員長が会談でミサイル試射や核実験を今後も実施しないと約束したことを、二度にわたって強調した。
トランプ大統領が、北朝鮮の「完全なる非核化」に本気でこだわるならば、2017年8月の「炎と怒り」発言まではいかないまでも、制裁の強化などの強硬姿勢をちらつかせるはずだ。内政でも外政でも重要問題が山積するなか、手ごわい難敵の北朝鮮とはほどほどにのらりくらりと対峙(たいじ)し、機会と運にめぐまれればその時に外交ポイントを稼いだり、内政スキャンダルのはぐらかし材料に利用できたりさえすればいいと思っているのではないか。
こうしたトランプ大統領のスタンスは、金正恩氏にとっても悪くはない。非核化を実現しないうちは国際社会の経済制裁は続くものの、アメリカと交渉を続ける限り、2017年のように朝鮮半島周辺に米空母が3隻も集結するような軍事的な脅威を浴びずにすむ。大規模な米韓合同演習も中止され続ける。それが、金体制の維持に好材料なのは間違いない。
こうした状況を可能にするのは、先述したように、朝鮮半島でも脱冷戦が不可避だからに他ならない。筆者がそう考える背景は、アメリカ軍が今後、朝鮮半島のみならず、世界各地から徐々に撤退していく流れが止まらないとみるからだ。
アメリカ軍が現在海外に置いている基地は約600で、1945年のピーク時の三分の一以下。アメリカ兵の数は1987年段階には217万人だったのが、2017年には128万人となり、30年間で実に約90万人も減っている。
こうしたアメリカ軍撤退の流れを加速するのが、米連邦政府の公的債務残高の増加だ。3月1日時点で22兆648億ドルとなり、今も過去最大を更新している。とりわけトランプ政権下では、大型減税策で減少した税収を補うため多額の国債を発行したため、債務が膨らんでいる。
さらに、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と金正恩委員長の「民族愛」や「民族同士」をアピールした南北和解も、朝鮮半島の脱冷戦を後押しするであろう。
トランプ大統領は首脳会談後の記者会見でこう述べ、「バッドディール」より「ノーディール」を選んだと言明した。
とはいえ、実際には、トップ外交のひずみが今回の首脳会談の決裂をもたらしたのも確かだ。前回2018年6月のシンガポールでの首脳会談には、米朝の緊張緩和をもたらした功績はあった。だが今回は、実務者協議での下からの合意の積み上げがないトップ外交のリスクをもろに露呈した形だ。
北朝鮮関連専門の英字ニュースサイト「NKニュース」の2月27日の報道によると、今回の首脳会談では、シンガポールでの会談で合意された①新しい米朝関係の構築②朝鮮半島の平和構築③朝鮮半島の完全な非核化④朝鮮戦争で行方不明になったアメリカ兵の遺骨返還――の4項目に加えて、北朝鮮の経済発展を後押しする「明るい将来」の新たな項目が合意文書に含まれる予定だったという。
これを裏書きするかのように、トランプ大統領やポンペオ国務長官、ビーガン国務省北朝鮮担当特別代表は首脳会談直前まで、北朝鮮に対して体制の保証を約束。非核化をすれば、経済的にも繁栄し、素晴らしい未来が待ち受けているとしきりに強調してきた。今回の首脳会談では、そうした信頼醸成措置の一環として、朝鮮戦争終戦宣言の合意や相手国での連絡事務所の設置も取り沙汰されてきた。
ところで、今回の首脳会談で明らかになったことが二つある。一つは「非核化」をめぐる定義やその方法をめぐり、両国の間でいまだに深い溝があること。もう一つは、経済制裁が喉(のど)に刺さったトゲのように苦痛になっていることを北朝鮮が事実上認めたことだ。
トランプ大統領は28日の記者会見で、北朝鮮が寧辺(ヨンビョン)の核施設の廃棄と引き換えに、すべての制裁解除を求めたと説明した。これに対し、北朝鮮の李容浩外相は、トランプ大統領との会談で要求したのは国連安保理制裁11件のうち、2016、17の両年に採択された国民生活に影響が及ぶ五つの制裁の解除だけだと反論した。制裁解除の範囲や制裁解除条件となる非核化をめぐり、両者の説明は食い違っている。
アメリカ国務省の北朝鮮との実務協議責任者であるビーガン特別代表は1月31日、アメリカのスタンフォード大学の講演で、米朝の間で非核化の定義の溝が埋まっていないことを認めていた。そのうえで、お互いが受け入れ可能な結果を得るために必要な手段について、まず合意すべきだと訴えていた。
トランプ大統領も28日の記者会見で、金正恩委員長と非核化についてのビジョンが、一年前よりも差が縮まったものの、今もずれていることを認めている。
東京都小平市にある朝鮮大学校の李柄輝(リ・ビョンフィ)准教授(朝鮮現代史)は2月23日に都内で行われた講演会で、「朝鮮にとって寧辺は国宝だ。プルトニウム再処理やウラン濃縮はすべて寧辺でやってきた。これを廃棄することは、核を今後バージョンアップするための源泉をも破棄することになる。当面、すでに完成した核は持ち続けるかもしれないが、アメリカもロシアも古くなった核は廃棄していっている。朝鮮が当面核を持ち続けたとしても、10年後、20年後にはそれは使いものにならない」と述べている。
ただ、北朝鮮には寧辺の核施設以外にも、平壌近郊の千里馬で秘密裏に建設したとされるウラン濃縮施設「カンソン」がある。また、米中央情報局(CIA)によると、北朝鮮の核施設は100カ所にのぼる可能性がある。北朝鮮を観察しているアメリカの北朝鮮分析サイト「38ノース」は、北朝鮮内には核兵器開発の関連施設が100~150カ所あると報告している。また、アメリカのシンクタンク「CSIS」(戦略国際問題研究所)は、北朝鮮には公表されていない弾道ミサイルの基地が20カ所あると推定している。
今回、トランプ大統領やポンペオ国務長官が寧辺の廃棄だけでなく、こうした他の核ミサイル施設や核弾頭、核兵器、申告リストの提出にまで踏み込み、北朝鮮と安易に妥協しなかったのは、将来の「完全なる非核化」に向け、希望を残すものとなった。北の核ミサイル実験の中止、つまり核ミサイル開発のフリーズ(凍結)で金正恩委員長と手を打っていたならば、ウラン濃縮施設「カンソン」などは手つかずに温存されていたからだ。いずれにせよ、何をどのように非核化するのかは今後も米朝間の大きな問題であり続ける。
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