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[127]68年、赤瀬川原平のぶっ飛んだ想像力

金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

福島第一原発1、2号機の中央制御室=2019年2月15日福島第一原発の中央制御室=撮影・朝日新聞社

2月26日(火) 朝から福島第一原発構内の取材。同僚の丸山ディレクターに加えて、Rディレクター、Oカメラマン、VEさんと一緒なので、本当に助かる。個別取材の場合は、先方の対応もとても丁寧だ。

 いつものように東電側の説明を受けながらのバス移動&取材地点での降車を基本とした取材だが、今回は収穫が格段にあった。特に3号機のオペレーションフロアが内部まで取材が許可され、さらには3、4号機のコントロールルーム(中央制御室)内部をみることができた。制御盤もほとんど当時のままで生々しい。かなり薄暗い。事故当時はもっと暗かったのだろう。ここに十数人が詰めて手探りの状態で作業にあたっていたとは、今でも恐怖を感じる。と同時に、職員らの職務に対する絶望的な努力のようなものを想像しないわけにはいかない。それらの人々は今、何を考えているのだろうか。健康状態は大丈夫なのだろうか。

 一方で、実際は制御不能に限りなく近い状況だったのだろうから、その際の事実をしっかりと後世の人々のために伝え残しておくべきだと思う。燃料デブリの調査はまだ緒についたばかりだ。この先の廃炉に至る長い歳月を思うと、今の政権の、原発政策の後戻りを認めない、つまり「反・脱原発主義」とでも言ってよい姿勢には今さらながら唖然とする。

 16時18分のJR特急に乗って東京へと戻る。そのまま明治大学の教室で開かれている岩下明裕教授による北方領土問題に関するレクチャーへ。頭の15分ほどが欠けたが、内容が濃い。帰りしなに以前お会いした出版社の編集者と一緒になり、久しぶりに神保町のYにて、しばし歓談。

嘘つきは戦争の始まり

2月27日(水) 午前中、スポーツクラブに。まだわき腹に違和感を覚えて泳げない。つらいなあ。今日からベトナムのハノイで米朝首脳会談の第2ラウンド。第1回のシンガポールの時と同様に日本からは大取材団が派遣されている。特にアメリカからは大勢のトランプ同行取材の記者たちがハノイ入りしているようだ。静岡のビキニデーの集会の講演準備。嘘つきは戦争の始まり。戦後日本の核政策の歴史を振り返ると、このコピーが頭に浮かんできた。現政府は核兵器使用や保持を明確に否定しない。

ハノイのホテルで記者会見に臨んだトランプ米大統領ハノイのホテルで記者会見に臨んだトランプ米大統領

2月28日(木) 早起きして、朝、スポーツクラブへ。まだ泳げない。本当にストレスがたまってどうしようもない。ボーっとして生きてんじゃねえよ。と思っていたら、15時40分、ハノイで動きがあった。米朝サミットは、非核化を巡り合意に至らず、文書の署名式や昼食会もキャンセルされ、トランプ大統領の記者会見が前倒しで日本時間の午後4時から始まるという。NHKがニュース速報を打っている。このような形で決裂するとは僕も想像していなかった。ただずっとCNNをみていると、アメリカ本土では議会公聴会のコーエン元顧問弁護士の爆弾証言が延々と報じられていた。こういう状況のもとでの大甘な合意は帰国後のリアクションを考えれば、文書の署名にまでは進めなかったのではないか。

 トランプ大統領の記者会見生中継をテレビでみていた。要するに、ヨンビョン核施設の永久放棄の代わりに制裁の全面解除を求めてきたのでのめなかったと言っているのだが、本当のところはどうなのだろう。目を引いたのは、ポンペオ国務長官が記者会見に並んで同席していたこと。トランプは多弁だった。計24人もの記者たちの質問に答えていた。本国の議会で「racist=人種差別主義者」などと顧問弁護士に言われたことを聞いた記者もいた。アメリカはもちろん、韓国や中国の記者も果敢に質問していた。イスラエルの記者までいて、ネタニヤフ首相の危機について聞いていた。トランプ大統領は、嬉々として答えていた。一体何があったのだろうか。取材をしなければ真相はわからない。

 日本の記者からの質問はなかった。夕方から夜にかけての日本のテレビのニュースをみていたが、率直に言えば、何か「決裂」を「歓迎」しているかのような興奮気味のリポートをしている記者たちが散見された。何だかなあ。深夜1時過ぎ、リ・ヨンホ北朝鮮外相が急遽、記者会見を行ったという。日本のメディアは締め出されたようだ。

『1968年』展が面白くて、面白くて!

3月1日(金) 朝早くから沖縄県知事の動向の情報収集。玉城デニー知事は、今日は朝一番の便で上京して、正午すぎから総理官邸で安倍首相に面会するとのこと。そちらに取材に向かうことも考えたが、前からの約束で今日は静岡に行く予定になっていた。微妙な時間帯で、沖縄関連取材はあきらめた。実は今日はビキニデーなのだった。ビキニデーで「被災65周年3・1ビキニデー全国集会」が静岡で開かれ、そこで講演を頼まれていたのだった。こういう大事な集会では約束を守ることが大事なのだ。

 とにかく、米朝首脳会談の決裂について、ビキニデーとの関連で話すことにした。つまり、日本人にとって北朝鮮の非核化を求めるとは、いかなる歴史的、政治的な意味合いがあるのか、という自分たち自身への根源的な問いかけである。というのも、きのうから今日にかけての日本のメディアの米朝会談決裂のニュースの報じられ方をみていて、本当にこれは危険だな、と思うことが多々あったからだ。はっきり言えば、「決裂」を「歓迎」しているかのような論調が大方のメディアを覆っていた。最もおぞましい解説のひとつは、NHKの

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