星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト
1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
平成政治の興亡 私が見た権力者たち(12)
「改革なくして成長なし」
「私の内閣の方針に反対する勢力はすべて抵抗勢力だ」
髪を振り乱して叫ぶ小泉首相の姿に世論は喝采を送り、内閣支持率は8割に達した。「小泉劇場」のはじまりである。
そんな熱気のなかで迎えた7月の参院選。小泉首相の地方遊説を取材したが、首相の行くところ、どこでも多くの聴衆が集まった。演説自体は「既得権にメスを入れる」「民間にできることは民間に」といった一般論に終始し、具体的な政策論ではなかったが、有権者の視線は温かかった。
東京都内の演説会場で聞いた中年男性の反応が印象に残る。「小泉首相の登場で、遠い存在と思っていた政治が身近に感じられるようになった。世の中を変えてくれるのではないかと期待している。おそらく、期待通りにはならないのだろうが……」
7月29日の投票日。121議席のうち、自民党は改選の61議席を上回る64議席を獲得した。改選の過半数を得たのは1992年以来9年ぶりだ。民主党は26議席止まり。以下、公明党13、自由党6、共産党5、社民党3という結果だった。
「自民党をぶっ壊す」と叫んで登場した小泉氏だったが、結果的には自民党を救ったのである。
1955年に結党された自民党は、危機に陥ると、トップの顔をかえてしのいできた。大きな転機は3回あったと思う。
一回目は1960年だ。日米安保条約の改定強行に反対するデモで社会が騒然とする中、自民党は首相(総裁)をタカ派の岸信介氏からハト派の池田勇人氏に切り替えた。池田新首相は、政治課題を「安保改定」から「所得倍増」に転換し、「寛容と忍耐」の政治姿勢を示すことで世論の支持を回復した。劇的なペースチェンジだった。
二回目は1974年。金脈問題で首相辞任を表明した田中角栄氏の後継首相(総裁)に三木武夫氏を選んだ。「金権」と批判された田中氏から「清廉」なイメージの三木氏への交代は世論に歓迎された。
そして、三回目が森喜朗氏から小泉氏への交代だろう。支持率がひと桁に落ち込んだ森政権が続いていたら、自民党が参院選で大敗を喫することは明らかだった。自民党三役を経験し、永田町政治の権化のような森氏とは対照的に、自民党の要職経験がほとんどなく、永田町の論理に無頓着な小泉氏。同じ派閥に所属し、根っこは同じなのに対極にいるように見える二人の交代劇は、多くの国民には自民党の「変化」と受け止められた。
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