東野真和(ひがしの・まさかず) 朝日新聞編集委員
1964年生まれ。社会部、政治部、編集センター、特別報道センターなどを経て、東日本大震災後に岩手県大槌町で3年間、熊本地震後に熊本県南阿蘇村で2年間、それぞれ民家に下宿。現在も震災復興・地方自治の編集委員として取材を続ける。著書に「駐在記者発 大槌町 震災からの365日」(岩波書店)、「理念なき復興」(明石書店)など。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
被災地・岩手県大槌町に駐在した記者が警告する風化
被災自治体の多くは、人口数千人から数万人で、震災前から過疎化が進み、基幹産業の水産業や水産加工業はじり貧だった。そんな場所に多額の公共投資をする必要があるのかという意見はあるだろう。もちろん「ぴかぴかの過疎地」を作るために税金を投じるのはおかしい。
答えは、震災3カ月後に施行された東日本大震災復興基本法にある。同法の「基本理念」にはこう記されている。
単なる災害復旧にとどまらない活力ある日本の再生を視野に入れた抜本的な対策(中略)により、新たな地域社会の構築がなされるとともに、二十一世紀半ばにおける日本のあるべき姿を目指して行われるべきこと。この場合において、行政の内外の知見が集約され、その活用がされるべきこと(後略)
素直に読めば、元に戻すことが復興ではなく、日本全体の未来を切り開くような創造的な復興をみんなで知恵を絞ってやろうということだ。新しい産業や制度を試しにやってみるなどの「実験」の場とも解釈できる。縮小一辺倒で「身の丈に合った復興をしましょう」という方針ではないのだ。
ただ、実際は防潮堤をはじめとする巨大ハード事業に巨額の税金が投入される一方で、生業については、水産加工や製造業のような旧来的な産業の再生を後押ししたものの、法律にあるような質的な転換には、十分な知恵やお金が投入されなかった。
その結果、大槌町を例とする被災自治体の暗い将来像を描く結果となっている。このままでは過疎が何十年か早く進んだだけになる。
高齢化や孤独死ばかり大きく報道されがちだが、東京23区だけで年間7500人が孤独死しているのに比べ、被災地では共助の精神が強い。マスコミ報道も手厚く、政府も支援を打ち切ることはないだろう。
一方で、復興事業による雇用がなくなり、働く世代が都会へと移り、残った高齢者は静かに一生を終える。
被災地は「安楽死」への道を進んでいるように見える。
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