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震災8年、3つの視点への疑問

被災地・岩手県大槌町に駐在した記者が警告する風化

東野真和 朝日新聞編集委員

2019年3月11日早朝、町幹部らが身元不明の遺骨を収めた納骨堂の前で祈った
 復興が遅い。税金の無駄。心の傷。東日本大震災を報道する視点は、だいたいこの3種類だ。

 「震災○年」などという区切りの日前後にしか、他のニュースに優先して報道する機会がないので、どうしてもそうなってしまうのだが、それでは震災の記憶はどんどん風化してしまう。

 私は甚大な被害を受けた岩手県大槌町に震災直後から3年間駐在し、その後も月に2、3度は滞在して経過を取材し続けている。震災8年を経て、注目すべきは、むしろこれからの被災地なんだ、ということを強く思う。

 NHKのバラエティ番組「チコちゃんに叱られる」風の小見出しとともに、大槌町を窓にして被災地をどういう視点で見るべきかをまとめてみた。

将来が暗いのは、目の前しか見なかったから

 今年の3月11日、大槌町は朝から雨だった。

 午前7時半、大槌町職員や町議会議員らが、高台にある身元不明者の納骨堂に献花した。眼下に見える市街地は、道路や区画の整備を終えたが、家より空き地のほうが目立つ。

2019年3月11日朝の大槌町市街地。町は家を建てれば100万円補助することにしたが、空き地が目立つ。

 人口の1割近い1286人が犠牲になった。うち3分の1がいまも行方不明で、町民の気持ちが前を向けない理由になっている。

 半数以上の住家が流出または全壊し、商店の9割が営業不能になった。市街地はほぼ全滅し、ゼロから町を創りなおさねばならなかった。平地はほとんど浸水したので、山間に48カ所に分けて2100戸の仮設住宅が建った。2月末現在で、まだ260戸が入居している。

 インフラの整備は終盤を迎えた。

 3月4日、平野公三町長が2019年度の当初予算案を発表した。復興後、当初ベースで最高645億円までに達した年間予算規模は、71億円まで下がった。震災前の2010年度は54億円だったのでそれよりはまだ多いが、復興事業がほぼ落ち着いてきたのを示している。

 その会見の場で、町は今後の財政見通しを発表した。暗い内容だった。

 人口減と産業の衰退で、町民税などの自主財源が震災前より約2割減り、依存する地方交付税も復興のための特別加算があと2年でなくなることなどから、毎年1億円ほど収支が合わない。このままでは基金(貯金)を取り崩さねばならないというのだ。

町が発表した収支の見込み

 記者会見で質問すると、平野町長は「産業の活性化で収入を確保し、歳出削減は、大きくは人件費」などと答えていたが、具体的な方針はなかった。歳出を削って行政サービスを低下させると、一層の人口減少につながる。となれば税収を増やすしかない。インフラ整備と並行して考えねばならないことだったが、この1年ほどでやっと着手したところ。しかも、箱物先行だ。

 復興の最初の4年間を指揮した碇川豊・前町長にも聞いてみた。「出遅れている」と認めたうえで、任期中での取り組みは「がれきの処理に2年かかるような状態では、人員的に無理だった」と振り返る。

 市街地がほぼ壊滅し、町長以下40人近い職員が犠牲になった大槌町は、市街地が残ったり、職員が無事だったりした自治体に比べ、どうしても対応が遅れた。他の自治体からの職員派遣も行われ、地元職員を上回る数の派遣職員が助っ人に来た時期もあったが、それはインフラ整備や被災者の生活支援が中心で、産業の振興や創造に携わる人員は少なかった。

 それでも新たに基幹産業の水産加工関連の6業者を誘致したが、他の被害がひどかった沿岸自治体同様、復興特需が終わり、深刻な事態を迎えつつある。

 陸前高田市でも今年2月、市長選があり、現職の戸羽太市長は3選されたが、新顔候補にわずか5票差まで迫られた。市幹部はその理由について「先を見通そうとした時、市民の心に『漠然とした不安』がわき起こったのではないか」と答えている。

 一方で、町が学識経験者や住民らを集めて開いた復興の「戦略会議」は、私が取材した限り、人口減を見据えた「縮む町」をイメージした議論に流れがちだった。参加した住民からは「人口減が前提の会議ならやる必要ない」という声さえ出た。

 自治体は、稼がなくても税収が入る。減ったら減ったなりのサービスをすればすむ。それにあぐらをかくことなく、被災してこの負のスパイラルを強くかけられた自治体は、強い意志を持ってそれにあらがい、税収増に躍起にならなければ、消滅への道が加速することになる。

 それは日本中の地方で起きていることで、なかなか知恵がないことだ。だからこそ、被災地の、しかも被害がとくに激甚だった大槌町はゼロベースで検討できるはずだったのだ。震災前の基幹産業だった水産加工業だけでなく、新しい展開も期待できた。

 例えば碇川氏は「防災を文化とした町づくりを」と「防災大学」のような研修プログラムを作ったり、外国人客を見据えて観光面を充実したりする構想をあたためていた。しかし4年前、そんな公約を掲げて2期目に向けた選挙を戦って敗れた。

 当時の住民には、まだ町の将来を考える余裕はなかった。それより住宅再建やインフラ整備が遅れていく現状への不満がたまっていた。碇川氏の部下だった平野氏は、その不満の受け皿となり、復興事業の加速化だけを訴えて支持を集め、新町長になった。

 ただ、平野氏は、自分でも認めるように、創造的復興のアイデアを持っていなかった。

過疎が進むのは、理念に沿ってないから

 被災自治体の多くは、人口数千人から数万人で、震災前から過疎化が進み、基幹産業の水産業や水産加工業はじり貧だった。そんな場所に多額の公共投資をする必要があるのかという意見はあるだろう。もちろん「ぴかぴかの過疎地」を作るために税金を投じるのはおかしい。

 答えは、震災3カ月後に施行された東日本大震災復興基本法にある。同法の「基本理念」にはこう記されている。

 単なる災害復旧にとどまらない活力ある日本の再生を視野に入れた抜本的な対策(中略)により、新たな地域社会の構築がなされるとともに、二十一世紀半ばにおける日本のあるべき姿を目指して行われるべきこと。この場合において、行政の内外の知見が集約され、その活用がされるべきこと(後略)

 素直に読めば、元に戻すことが復興ではなく、日本全体の未来を切り開くような創造的な復興をみんなで知恵を絞ってやろうということだ。新しい産業や制度を試しにやってみるなどの「実験」の場とも解釈できる。縮小一辺倒で「身の丈に合った復興をしましょう」という方針ではないのだ。

 ただ、実際は防潮堤をはじめとする巨大ハード事業に巨額の税金が投入される一方で、生業については、水産加工や製造業のような旧来的な産業の再生を後押ししたものの、法律にあるような質的な転換には、十分な知恵やお金が投入されなかった。

 その結果、大槌町を例とする被災自治体の暗い将来像を描く結果となっている。このままでは過疎が何十年か早く進んだだけになる。

工事が進む海抜14.5メートルの防潮堤

 高齢化や孤独死ばかり大きく報道されがちだが、東京23区だけで年間7500人が孤独死しているのに比べ、被災地では共助の精神が強い。マスコミ報道も手厚く、政府も支援を打ち切ることはないだろう。

 一方で、復興事業による雇用がなくなり、働く世代が都会へと移り、残った高齢者は静かに一生を終える。

 被災地は「安楽死」への道を進んでいるように見える。

町ができないのは、制度が合わないから

 最近の震災報道で目立つのは、巨額をかけて整備した土地に住む人がいない、という指摘だ。その主原因は、土地区画整理事業という従来からある制度をそのまま適用したことにある。

 道路を太く、まっすぐにしたり街区を整理したりする事業だ。地権者は土地を一定比率供出することになるが、資産価値があがるし、建物を壊すことになるので補償費用が出て、家を新築できるなどのメリットがある。

 津波対策で、国は「多重防災」を基本にした。防潮堤だけでなく、土地をかさ上げすることで浸水を防ごうとした。従来の制度では、区画整理事業なら国費で土地のかさ上げができたから導入されたので、きれいな区画にするのは、むしろ付随的なことだった。

 一方で、区画整理は時間のかかる事業だ。すでに更地になっていたので、建物の解体や一時的な立ち退きをする手間はないが、一筆一筆、地権者に承諾を取って土地の線引きをし直す。それが何千筆とある。

 本来なら何十年もかけて行う事業だ。多くの人員を投入して異例の速さで進めたが、どの被災地も区画が決まるまで2、3年はかかった。

 そこから広大な土地に盛り土をする工事を始めると、盛り土が終わって地権者が住宅を建ててよくなるまでには、5年以上の歳月が流れる。その頃には、別の場所での生活から戻らないと決めた人が増えていた。より安全になったとはいえ、津波への恐怖から、元に戻らなかった人もいる。

 もともと空き家だった場所もある。アパートが津波で流されたが、新築しても部屋が埋まらないだろうと、再建しない家主も多い……。そんな様々な理由が重なって、更地が広がる結果となったのだ。

 最初から利用計画のある土地の地権者だけを集めてその分の面積を確保し、かさ上げすればこうはならなかったが、区画整理はそんな手法ではない。

 かと言って、「税金の無駄だから、次の津波からは好き勝手に再建してもらおう」というわけにはいかない。

 前出の戸羽・陸前高田市長も、膨大な土地区画整理制度の手続きに悩まされた。「東日本大震災で行われたハード事業を全般的に検証し、今後起きるかもしれない震災からの復興に備えて、柔軟に対応できるしくみを整えておくべきだ」と語る。また、被災が予想される自治体では、地域別の復興計画をあらかじめ作っておくべきだろう。

震災が風化するのは、かわいそうだとしか思われないから

 これまで指摘してきた地方の再生や制度の整備は、いずれも震災を「明日は我が身」と考えて着目することだが、もう1点、心の復興に対する報道が「人ごと」のように見られていることへの違和感も、被災地の住民は感じている。

 震災後、週刊の「大槌新聞」を一人で取材・編集・発行している菊池由貴子記者は、毎年3月11日前後になると、新聞1面に、海に立つ遺族の大きな写真とともに「家族を失った心の傷は癒えない」「でも前を向いて生きる」というような報道が前面に出ることに、むなしさを感じるという。

「そんな判で押したようなお涙ちょうだい報道ばかりしているから、逆に風化が進むんです」

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