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候補者は外国籍の得喪情報を公表する必要があるか

違憲の疑いが濃い日本維新の会の公職選挙法改正案。「国籍得失履歴」公表の真の狙いは

米山隆一 衆議院議員・弁護士・医学博士

 Niyazz/shutterstock.comNiyazz/shutterstock.com

維新の公選法改正めぐり非難の応酬

 日本維新の会の足立康史衆院議員が、「国政選挙の立候補者は『国籍』情報をきちんと公開すべきだとして、外国籍の『得喪情報』(履歴)も選挙公報などで公表する」という内容を盛り込んだ「公職選挙法改正案」を議員立法で提出して話題を呼んでいます(「zakzak」2019年3月8日)。

 立法の中身は以下の通りです。

 概要パネル 詳細

 これに対してネット上で批判の声が盛り上がると、今度は同じ維新の穂高衆院議員が、

「貴方が文面やアイコンの通り小学生か、将又実際の中身はおっさんの方かツイートからは分かりませんが、例えば判例上の政治家等公人と一般の皆さんの違いをご存知ですか?当然に区別あり、帰化ならその旨を堂々明らかにすべきで国籍取得時期を隠して議員になる方がむしろ問題。他国でもその扱い当然で。」
「ワロタ。この意味不明さは、私人と異なる憲法上の公人の権利制約への無理解が原因。14条の一つ前13条公共の福祉から、公人はプライバシー権も制約される過去判例を勉強下さいな。そもそも、例え国会議員であろうと全く同等に扱われるべきと述べながらその一行目で違いについて述べる矛盾に気付いて!!」

と反応して、非難の応酬が行われています。

 維新議員の方々の、反対する人の批判を鼻にもひっかけない反応とは裏腹に、私はこの法案は違憲の疑いが強いと思いますので、解説させていただきます。

プライバシー権の問題ではない

 まず、最初にお断りさせて頂きますが、ある法律が違憲か合憲かは、一般の方々が考えるほどに確定的に定まるものではありません。憲法というのは、ある種崇高な理念を定めたものであり、違憲か合憲かは法律がその理念の趣旨に合致するか否かで判断されるのですが、そこにはどうしても人間の判断や、微妙な線引きが入ってくるからです。

日本国憲法の原典日本国憲法の原典
 すでに判例が確定していたり、議論が成熟して通説が形成されていれば別ですが、本件のようにまったく議論されたことがない法案についての違憲、合憲の議論は、残念ながら「その可能性が高い」という主張に留まってしまいます。

 それを前提として議論を始めますが、まず丸山氏は、この法案を「公人に対するプライバシーの制限」のみでとらえています。プライバシー権は通常、憲法13条で定められていると解されます。選挙の時には国会議員はその身分を失っていますので、全員が「候補者」で、「公人」と言い切れるかは微妙です。よって、そもそも丸山氏の議論は最初から怪しいのですが、それはさておき私は、この件で問題となるのはプライバシー権ではないと考えます。

「法の下の平等」に抵触

 では、何が問題となるのか?私は、憲法14条で明確に定められる「法の下の平等」だと思います。すなわち、国民の基本的権利のうちで最も重要なものの一つである参政権(被選挙権)について、門地(出自)による差別的取り扱いがなされることになるか否か、こそが問題なのです。

憲法14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 これに対しては、「法律ですべての候補者に外国籍の得喪履歴の公開を求める以上、法の下の平等に反する余地はない」という反論が予想されます。確かに形式的平等という観点からは、法律をつくってすべての人に適用すれば問題ないことになりますが、参政権というきわめて重要な人権に関しては、形式的ではなく実質的な平等が確保されるべきであると考えられます。

 仮にこの法案が通ると、選挙公報には、(1)日本人の父母から生まれた候補は「出生時に日本国籍を取得」と、(2)出生時は外国籍で帰化によって日本国籍を取得した候補は、「出生時は○○国籍であったが、○○年帰化により日本国籍を取得」と記載しなければならなくなります。

 現実問題として、人というものは、同じ出身地の人に好意を抱く傾向があります。いわゆる地縁というものです。たとえば、新潟県知事選挙なら新潟出身者が、大阪府知事選挙なら大阪出身者が圧倒的に有利なのは否めません。

 とすれば、(1)と(2)が選挙公報に並んでいたら、大半の有権者はどんな反応を示すでしょうか。(1)の候補が有利になり、(2)の候補が不利になることは、現実論として否定できないものと思います(そもそも、この法案もそれを狙っての立法でしょうし……)。

 それは実質的に、憲法14条の禁じる「門地(出自)」による被参政権の行使についての差別に該当すると解するべきだと思います。

特定情報の開示の強制こそが問題

 これに対しては、「そんなことを言ったら、候補者の情報すべてが出せなくなるではないか」という反論も、当然予想されます。候補者を選ぶうえで候補者に関する情報は重要ですので、私も、外国籍の得喪履歴を含む様々な情報を、候補者が任意に出すことについても、有権者やマスコミがそれについて尋ねることについても、なんの異論もありません。むしろ、完全に合憲だと思います。

 私が言いたいのは、特定の情報の開示を法律によって強制するのが、実質的に法の下の平等に反するということなのです。

 選挙についてのルールを定める公職選挙法167条は、選挙公報の記載内容を「氏名、経歴、政見等」とするのみで、氏名以外は、その内容を何ら具体的には定めていません。おそらく多くの方は、選挙公報には年齢や最終学歴を書かなければならないと思っておられるでしょうが、実はそんなことまったくなく、経歴、政見は、虚偽でさえなければ、書きたいものを書き、書きたくないものは書かなくていい。完全に候補者の自由に委ねられているのです。

 従って、年齢によって差別されるのが嫌な候補は、年齢は書かなくていい。学歴によって差別されるのが嫌な候補は、学歴はかかなくていいのです。極端に言って、「男(女)一匹ど根性」と一行だけ書いてある選挙公報でもなんの問題もありません。

 また、たとえば、本件で問題となる門地と関わる「出身」については、戸籍上の出生地は厳格に定まりますが、「○○出身」ということなら、その定義は候補者本人が自由に決められます。東京で生まれ、大阪で育った人が大阪府知事選に立候補するに当たり、「大阪出身」と書いてもいいし、書かなくてもよいのであり、仮に「大阪出身」と書いたからと言って、それを証明するためには、戸籍の出生地を開示しなければならないなどということもありません。

 有権者は、一般的に出すと有利であろう出身地や学歴、職歴が書いていないなら、おそらくそれを有してはいないのだろうと考えて投票行動を決めるでしょうし、疑問を持てばマスコミやネットの情報を調べるでしょう。候補者に直接聞くこともできます。候補者はそういたマスコミや有権者からの質問に答えることも、あるいは答えないことも可能で、それもまた、投票判断の材料となります。

 これらすべてが、候補者と有権者の自由に委ねられることによって、被選挙権の行使における法の下の平等が確保されているものと、私は理解しています。

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差別を煽って人気を得るのが狙い?

 外国籍の得喪履歴についても同じことです。公職選挙法では、立候補時点において日本国籍を有することが必要であると定められ、それが確認される以上、候補者全員が日本国籍を有していることは間違いありません。そうであるなら、

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