“離婚を勧める女”が参院議員になって困ったコト
元参院議員・円より子が見た面白すぎる政治の世界② 石原慎太郎氏の切実な挨拶
円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長
「離婚を勧めるような変な女もいる党」
そんな石原慎太郎さんと私が初めて出会ったのは、日本新党が初挑戦した1993年衆院選のまっただ中、7月9日のことだった。日本新党代表の細川護熙さんの名代で、霊友会の集会に行き、挨拶をしたときのことである。私の直前に、自民党を代表して石原慎太郎さんが挨拶に立った。
その挨拶で、「へえっ、石原さんはこういうことを言う人間なんだ」と笑ってしまうような言葉が飛び出したのである。
「皆さんね、熊本県知事だった細川クンが作った党があってね、この細川クンっていうのは私が参院の全国区で取った票をやったおかげで参議院議員になれた男なんだけど、彼のつくった党には離婚を勧めるような変な女もいるんだが、この党に勢いがあってさ、杉並の俺の息子の伸晃が危ないんですよ。山田宏って男に負けそうなんだ。伸晃を助けてくれ。みなさん、ぜひ伸晃をお願いしますよ」

「ニコニコ離婚講座」が話題だった円より子さん=1982年
離婚を勧める変な女? どうやら私のことらしい。
1979年から私は「ニコニコ離婚講座」を主宰していて、月に1回、東京原宿で開く講座には全国からすでに1万人以上の女性が参加していた。離婚の暗いイメージを吹き飛ばすためにつけた「ニコニコ」というネーミングが、保守層からは離婚を勧めると揶揄されていたのだ。
各党の代表者は壇上の椅子に並んで挨拶の順番を待つものだが、その時は一人一人壇上に呼ばれるまで控室で待つよう言われ、私はそこで石原さんの演説を聞いていた。私が呼ばれたとき、彼はすでに帰っていて顔を合わせなかった。そういうかたちにしてくれと石原さんが頼んだらしかった。
大ウケだった集会のあいさつ
さて、私の挨拶の番である。日本新党の細川代表の名代であり、党の組織委員長として紹介された。会場は1000人以上の聴衆でいっぱいだが、大半は40代以上の女性たち。当時、私は毎日のようにテレビの主婦向けワイドショーなどに出ていた。ならば円より子が何者か、ほとんどの人が知っているに違いない――。腹がすわった。
いきなり「石原さんのご挨拶は控室のテレビで聞かせていただいておりましたが、離婚を勧める変な女のいる日本新党の代表として参りました」とやったら、会場中が大笑い。いける! 私は続けた。
「人は愛し合って結婚し、助け合わなきゃと思っていても、失業や倒産など思いもよらないことがあると、身内だからこそ、鬱屈した思いを露骨にぶつけ合って関係が破綻してしまう。残念ながら人はそんなに強くないんですね。だから弱さから離婚に至るケースもあれば、子どもを一人ででも立派に育てようと強い意志で離婚に踏み切る人もいる」
「日本新党は、一人一人の人々の生活を守る生活者主権、地域の声を聞き、地域の主体性を守る地方主権を旗印に政治活動を行なう政党ですが、どんな家に生まれようとどういう生き方を選ぼうと差別されず、尊重されて生きられる社会をめざしています」

1993年衆院選、東京4区で初当選を決め、喜ぶ日本新党の山田宏氏=1993年7月18日
「立派な文学賞を授与され、政治家として運輸大臣まで務められた方が差別と言えるような発言をなさるなんて、まあ、息子さんに対するかわいさ余っての、焦りのご発言と見て笑い飛ばすことにいたしましたが、私のような女に差別意識など一切なく、結党に誘って下さり、女性の政治家を増やすことにも熱心な細川護熙氏と日本新党をぜひご支援くださいますようお願いして名代としての挨拶とさせていただきます」
割れんばかりの拍手をいただいた。
ちなみに、この衆院選(中選挙区制)で日本新党から出た山田宏さんは、東京杉並でトップ当選を果たし、石原伸晃さんは最下位の5位で当選。慎太郎さんが心配するのも無理がないほど、日本新党に勢いがあった。