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“離婚を勧める女”が参院議員になって困ったコト

元参院議員・円より子が見た面白すぎる政治の世界② 石原慎太郎氏の切実な挨拶

円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

繰り上げ当選で参院議員に

 日本新党の結党に私が参加したのは1992年6月で、繰り上げ当選で参議院議員になったのは翌年1993年7月だ。

1993年7月繰り上げ当選したが、衆院選の最中で選対本部長でもあったため、8月に入ってやっと議員室の椅子に座る円より子さん拡大1993年7月繰り上げ当選したが、衆院選の最中で選対本部長でもあったため、8月に入ってやっと議員室の椅子に座る円より子さん(筆者提供)
 その頃、日本の政界は大揺れに揺れていた。6月18日、野党が提出した内閣不信任案が、自民党の一部が賛成したことで可決。宮沢喜一首相は衆院解散を断行し、衆院選に突入した。党の組織委員長の私は、衆院選の選対本部長も担うことになった。この年の夏は東京都議選もあり、文字どおり東奔西走、寝る間もないほど忙しい日々が続いた。

 たとえば、こんな具合である。

 6月27日(日)には東京都議選の投票があり、公認した20人が当選し、29日(火)にはその祝勝会。翌30日(水)には細川さんが熊本へ飛んで、衆院選への立候補を発表、代わりに私が党本部で衆院候補者の打ち合わせ会で挨拶。夕方には「女性のための政治スクール」第1期の10回目を党ホールで開催。翌日7月1日は大阪へ飛び、堺市で候補者と演説、2日は東京で衆院選の政策記者会見を海江田万里さん、武田邦太郎参院議員らと行い、3日(土)は再び大阪から愛媛県松山市へ。7月4日(日)は総選挙公示日で、愛媛県松山市で中村時広さんの出陣式に出たあと、広島、新神戸、尼ヶ崎とまわる――。

 選挙の応援演説やTV・新聞のインタビューなどで毎日忙殺されるなか、7月16日(金)に自治省から当選証書と議員バッチが付与され、初登院した。衆院選の最終盤で国会には議員は一人としておらず、マスメディアの姿もない、ひっそりとした初登院だった。

「ヤマザキジュンコって誰ですか?」

 新聞には、私の繰り上げ当選を報じる数行の記事が出たが、「山﨑順子氏が繰り上げ当選」と書かれているだけで、友人知人の誰一人、私が参院議員になったと気づいた人はいなかったのである。それは日本新党関係者も同じだ。細川さんですら、「このヤマザキジュンコって誰ですか」と事務局長だった永田良三さんに聞いたのだから。

 山﨑順子が、私の本名である。「順子」と書いて「ヨリコ」と読むのだが、子供の頃から「ジュンコ」と読まれることが多いため、1979年に初めての単行本を出す時、ペンネームを考え、円(マドカ)より子とした。「山﨑」は別れた夫の名字で、馴染みがないため、40数冊の単行本を出し、テレビや講演で活動している間も、一度も本名を公表しなかったから、「山﨑順子」は本人の私ですら他人のような感じだった。病院などで本名を呼ばれても、自分のことだと気づくのに、本などを読んで待っていると、ちょっと時間がかかる。

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筆者

円より子

円より子(まどか・よりこ) 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

ジャパンタイムズ編集局勤務後、フリージャ―ナリスト、評論家として著書40冊、テレビ・講演で活躍後、1992年日本新党結党に参加。党則にクオータ制採用。「女性のための政治スクール」設立。現在までに100人近い議員を誕生させている。1993年から2010年まで参議院議員。民主党副代表、財政金融委員長等を歴任。盗聴法強行採決時には史上初3時間のフィリバスターを本会議場で行なった。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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