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移民当事者だから見える多様化後進国・日本の実情

4月にスタートする外国人労働者の受け入れ拡大は前途多難

T.W.カン 国際経営コンサルタント グローバル・シナージー・アソシエツ代表

pikepicture/shutterstock.compikepicture/shutterstock.com

政府閉鎖、非常事態宣言……対立続くアメリカ

 アメリカのトランプ大統領が選挙公約を果たすため、メキシコとの国境に「壁」を増強するための予算に固執したため、昨年暮れから政府の一部機関が1カ月以上閉鎖された。筆者もサンフランシスコ空港に到着した際、長蛇の列に遭遇した。

 その後、辛うじて再度の政府閉鎖は免れたものの、トランプ大統領は非常事態宣言を発するなど、2020年の大統領選に向けてアメリカ国内では対立が続いている。

 この「壁」に関する綱引きの主役は、共和党のトランプ氏と民主党のペロシ下院議長である。ちなみにペロシ氏は、進歩的な気風が強いサンフランシスコ選出の議員だ。

「移民の国」米国に漂う移民への不安感

ホワイトハウスで非常事態宣言をするトランプ米大統領=2019年2月15日ホワイトハウスで非常事態宣言をするトランプ米大統領=2019年2月15日
 「移民の国」であるアメリカが、国境に「壁」を築き、不法移民が対象とはいえ、人の流入を阻止しようと大騒ぎしている。なぜ、こうなってしまったのか?要因として考えられるのは、保守的な白人の間に漂う「不安感」であろう。

 最近、米メディア界の長老で、長年看板キャスターをつとめたトム・ブロコウ氏が日曜日の評論番組で「ブラウン・ベビー(茶色い赤ちゃん)を孫に欲しいとは思わないと言う人もいる」と発言し、ウェブで炎上。謝罪するはめになった。アメリカにおいて、多数であったはずの白人が過半数を下回る可能性に対する違和感の現れであろうか。

 また、トランプ氏が壁を増強する根拠のひとつに挙げた、中米を中心に活動するギャング・グループMS-13をテレビがドキュメンタリーで取り上げた。仲間にならない者や標的にされた者を森の中でナイフや小型の斧で殺す凶悪なMS-13は、いまやニューヨーク・ロングアイランドにも住み着いているという。移民が増えると犯罪も増加するという保守の危機感が透けてみえる。

 一方、ペロシ氏の地盤、サンフランシスコ・ベイ・エリアに目を転じると、すでに白人は少数派になっている。最近話題のGAFA (Google, Amazon, Facebook,Apple)のような企業体では、インド、中国、中東など出身の社員が机を並べ、シリコン・バレーの中華料理店には英語では注文できないところもある。また、メキシコからの不法移民がいなくなれば、建設現場などまわらなくなることは、数年前の不法移民大量摘発の際のストライキの影響からも住民はよく知っている。

 移民に対する不安。移民なしでは成り立たない社会。いずれも、永年、多様化に向き合ってきたアメリカの実態だとあらためて感じる。

後手にまわる改正入管法への対応

 興味深いのは、「移民の国」アメリカが、外国から来る人をめぐり大揺れなとき、移民の経験が少ない日本は、外国から多くの人を受け入れようとしていることだ。

外国人労働者の新たな在留資格について説明を受ける静岡県内の事業者ら=2019年2月25日、静岡市外国人労働者の新たな在留資格について説明を受ける静岡県内の事業者ら=2019年2月25日、静岡市
 具体的には、昨年暮れに成立した改正出入国管理法に基づき、4月からスタートする外国人労働者の受け入れ拡大に向け、さまざまな準備が進められている。ただ、今後5年間に最大約34万人の外国人を受け入れるという日本の労働政策の歴史的な大転換にもかかわらず、対応は後手に回り、社会にどんな影響がでるか、依然として不透明である。

 私事で恐縮だが、私の父は朝鮮戦争の最中、文字どおり一文無しで日本に渡来し、最初は単純労働で生き延び、後に国際貿易業を営んで、妻と子どもの5人家族を養った。その一人である私は日本で育った後、アメリカに留学し、マサチューセッツ工科大学(MIT)とハーバードで学位を取ることができた。

 その後、私は大手半導体メーカー・インテルの本社と日本支社で幹部をつとめたが、日本支社では同じ職場にいる外国人と日本人が引き起こす摩擦に悩まされた。日本の大手上場企業の社外取締役も経験したが、その際には日本企業が異文化と遭遇した場合の摩擦の現場を目の当たりにした。

 こうした経験からすると、外国からの移民に長く警戒心を抱き続けてきた日本の社会が、大量の外国人を急ピッチで受け入れられるか疑問を禁じ得ない。本稿では、そうした立場から、外国人労働者問題について考察を加えてみたい。

目指す国が明確でない日本

 ある日本の入管局長経験者によれば、出入国管理法(入管法)とは、国のあり方を決める大切な法だという。そして、日本は今、中国の台頭を前に、いかなる国を目指すかの岐路にあるのではなかろうか。

 司馬遼太郎氏がかつて示唆したように、中国が台頭した時代には周辺国は試練を迎えるという。換言すれば、日本を含む中国の周辺国は、中国に対抗するか、中国に呑み込まれるか、いずれかの選択を迫られるという局面にあると考えることもできるのではないか。

 私は、明治維新を経ていち早く先進国の仲間入りをした日本は、中国に劣らぬ魅力的な国になることを望んでいる。しかし、今回の入管法改正をめぐる対応を見ると、外国人労働者受け入れの数値目標を掲げ、法とインフラ整備に努めるだけで、いかなる国を目指すかが明確ではない。このままだと、入管法改正後の日本は魅力的な国になれないどころか、社会そのものが混乱に陥るリスクさえある。

 どこが問題なのか。さらに詳しく述べることにしよう。

日韓の成功者が少ないシリコンバレー

シリコンバレー・マッピング( zimmytws/shutterstock.com)シリコンバレー・マッピング( zimmytws/shutterstock.com)
 アメリカのシリコンバレー、かつて半導体メーカーがひしめいていたことからそうした名前になったこの地で今、目に付くのは、インド人や中国人だ。集積回路の略である「IC」は、インド人、中国人の頭文字と言われるほどである。これに対し、日本人や韓国人の成功者は少ない。

 いろいろな理由が考えられるが、私が特に問題だと感じるのは、日本や韓国が多民族社会が抱える問題にもまれていない点だ。

 言うまでもなく、インドと中国は自国内で多民族社会の現実に向き合わざるを得ない。シリコンバレーに集まるベンチャーには、アメリカ国内市場に焦点を絞り、ローカルなビジネスを営もうとする発想はほとんどない。あるのは、普遍的な価値を世界市場に向けて投入しようとする発想である。先述のGAFAもしかり。そして、こうした発想は、異民族の存在を軽視するような国では生まれにくい。

 日本は技術立国といわれるが、裾野はけっして広くない。素材、部品そして自動車などの分野において、世界規模で頭角を現していることは間違いないが、技術的なソリューションを牛耳るプラットフォームやシステム設計については、弱いと言わざるを得ない。

 要するに、ガラパゴス的、すなわち自国重視の環境から湧く発想からは、世界の仕組みに影響力を与えることは極めて困難なのである。GAFAで、多様な国籍の社員が自国の「当たり前」や「常識」を問い直し、新たなビジネスモデルを創造しているのを見るにつけ、その思いを強くする。

 「多様化後進国」の日本と韓国

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 経済先進国(たとえばOECDやG20加盟国)の中で、単一民族意識が支配的な国は日本と韓国ぐらいである。日韓関係がうまくいかない根本要因は、歴史問題というより、お互いの単一民族意識にあるのでは、というのが私の持論だが、この議論は別の機会に展開したい。

 入管法の改正を受け、日本では最近、たとえば台湾やシンガポールの政策や状況との比較をときどき目にするが、台湾は少数民族を認めており、シンガポールはその民族構成から必然的に多様性を尊重する政策を取らざるを得ない。「移民の国」アメリカはもとより、こうした国々と比べても、日本や韓国は「多様化後進国」と呼んでも過言ではあるまい。

 具体的に述べよう。アメリカの小学校では、近くに住む移民体験者に移民の動機や体験を“取材”し、教室でそれを発表するという宿題を出す。こうした学びを経て、子どもの頃から移民の視点から物事を見る訓練をする。別な言い方をすると、複眼的な能力を身に付けるのである。日本や韓国でこうした宿題を出している学校が、はたしてどれくらいあるだろうか。

 単一民族的な国の場合、中長期的な人口減少や労働力不足の問題を是正するため、受け入れ体制などの「質的」な課題を充分考えず、「量的」な数合わせのために外国人を呼び込むと、間違いなく問題が生じるであろう。法やインフラの整備は必要条件だとしても、それだけでは充分ではない。

空気は読めるか?目で盗めるか?

 日本の一部の論客には、外国人が日本に来るのだから、「郷に入れば郷に従う」べきであり、受け入れ側の日本が歩み寄るのは「他文化強制社会」に繋がると主張する向きがる。誤解のないようにあえて言うが、私は日本や韓国が、アメリカのように移民を受け入れる国になるべきだとは思っていない。ただ、外国人定住者に、100%日本に同化しろという主張には、無理があるのではと問いたいのである。

 とりわけ気掛かりなのは、外国人定住者を受け入れた後の、職場や生活の場での摩擦である。そして、それと関連して、日本が持ついい意味での特殊性・優位性や美徳が失われてしまうのではという心配である。

 先述したように、私は日本の外資系企業において異文化摩擦の現場を数多く経験したが、ここでは二つの例を挙げておこう。

 まずは、企業や他の組織の意思決定に外国人が参加する場合だ。日本の「空気を読む」、あるいは「相槌を打つ」という習慣に、外国人はついていけるだろうか。

 最近日本の電車の中で、日本人がこう話しているのを耳にした。

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