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沖縄の海兵隊の移転先グアムで起きている本当の事

島の多くを占める米軍基地。歴史、発展の過程が沖縄と似ているグアムは今……

山本章子 琉球大学准教授

segawa7/shutterstocksegawa7/shutterstock

グアムの道路が整備されている理由

 海岸と並行に伸びた、広いアスファルトの道路が、垂直に降り注ぐ太陽光で白く輝いている。アメリカのグアム島は、兵庫県淡路島とほぼ同じ大きさ。沖縄県の約4分の1の面積しかない。車を飛ばせば2、3時間で、青と白のコントラストが美しい海を横目に、島をふちどる舗装された道路を一周できる。

 グアムでの運転は国際ライセンスがいらないが、左ハンドル・右通行なので、レンタカーを借りる日本人は多くない。プライベートビーチつきのホテルとショッピングモールが集中する、中部のタモン地区で過ごす日本人を尻目に、自撮り棒を持って南部へドライブにくり出すのは、自国も左ハンドルの韓国人だ。

 左ハンドルの国でも、中国の観光客はあまり見かけない。安全保障上の理由から、米政府が、入国する中国人の数を規制しているのだという。というのも、グアムにはアンダーソン米空軍基地とアプラ米海軍基地があるからだ。小さな島の主要部分を網羅する舗装道路は、実のところ、観光客のためのものではない。グアム島の約3割を占拠する米軍が、島内移動のためにつくったのである。

 同じく沖縄の主要道路もまた、米軍がつくったものだ。沖縄戦で本島に上陸した米軍は、日本軍の飛行場を次々と制圧。嘉手納米空軍飛行場などの米軍基地として整備・拡張すると、基地と基地をつなぐ「軍道1号線」を建設する。那覇から始まって沖縄本島を南北に通る、現在の国道58号線である。

重なりあうグアムと沖縄の歴史

warunee singlee/shutterstock.com
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 グアムは米領土の中で唯一、戦争で外国軍に占領された場所だ。1941年12月8日、日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃した5時間後、グアム攻撃を開始。31カ月にわたってこの島を占領した。 砂糖価格暴落による「ソテツ地獄」を機に、南洋諸島に移住した琉球諸島のさとうきび小作人たちが、日本占領下のグアムで働いた。琉球から来た人々の中には、米軍がグアムを奪還する際、地上戦に巻き込まれて死んだ者も少なくない。

 米軍の戦死者約1400人に対し、日本軍の戦死者は約2万人という激戦でグアムを奪還した米軍は、将来の必要のためという理由で、この島の軍事要塞化にとりかかる。最大時には、島の面積の約6割が米軍基地になった。

 グアムの先住民であるチャモロ人は、漁業や農業を営む自給自足の生活を送っていたが、米軍に土地を取り上げられたうえ、米軍が持ち込んだ核兵器や化学兵器で海も汚され、米軍の雇用に依存し、缶詰のスパムなどを食べる生活に変わる。

 これもまた、沖縄戦以降の27年間、米軍に占領された沖縄と重なって見える歴史だ。

 天然資源も生産手段も持たないグアム政府は、1960年代に入り、米軍による部外者立入禁止令が解除されると、観光産業に活路を見いだそうとする。

 折しも、グアムの戦闘で死んだ日本軍兵士の遺族が、慰霊のためにグアムを訪れるようになった。グアム政府の協力で、「兼高かおる世界の旅」という日本の人気テレビ番組が、何度もグアムを紹介した効果か、新婚旅行にグアムを訪れる日本人も増えた。

 こうして、大勢の短期滞在者を受け入れる、日系の大型リゾートホテルがタモン地区に集中する、リゾート地グアムができあがった。このプロセスも、日本復帰後の沖縄とよく似ている。

米軍基地の先にある自然保護区

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 一本でつながったグアムの舗装道路の一部は、米軍基地の中にある。つまり、米軍だけが、島のすべての道路を使える。

 基地の外にあって、現在、舗装工事中の道路がある。北部の米政府自然保護区につながる、穴ぼこだらけの砂利道だ。両側にひたすら空軍基地のフェンスが続く道だが、終着点が米軍には不要な自然保護区だったので、整備されていなかった。

 自然保護区にはたとえば、グアム固有種の、チャモロ語でココ(英語でグアム・レイル)と呼ばれる鳥が生息している。沖縄固有種のヤンバルクイナと同じく、飛べない鳥で地上に巣をつくる。

 米軍が島外から持ち込んだ、ブラウン・ツリー・スネイクという蛇がココ鳥の卵を食べ、絶滅させかけたことがあった。絶滅危惧種を保護するアメリカの法律にもとづき、今はグアム政府がココ鳥保護プロジェクトを実施、捕獲したココ鳥を繁殖させている。

 ココ鳥などが住む自然保護区へと続く砂利道が舗装されることになったのは、自然保護区に隣接した実弾射撃場が建設されるからである。沖縄からグアムに移ってくる、米海兵隊の訓練場だ。米軍に必要になれば、道は整備されるのだ。

在沖海兵隊のグアム移転に高まった批判

米軍ヘリが墜落した直後の沖縄国際大学=2004年8月14日、沖縄県宜野湾市米軍ヘリが墜落した直後の沖縄国際大学=2004年8月14日、沖縄県宜野湾市
 日米両政府は2006年、普天間米海兵隊飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古沿岸(名護市)への移設完了を条件に、在沖海兵隊の司令部要員、約8000名と、その家族、約9000名のグアム移転に合意した。2004年8月、普天間飛行場と隣り合う沖縄国際大学に、イラク戦争への出撃訓練中の米軍ヘリが墜落・炎上する事故が発生。沖縄県の抗議を受けた小泉純一郎内閣が、アメリカに対して「沖縄の負担軽減」を求めたことに伴う措置だ。

 チャモロ人の若者たちが、一方的に決められた日米合意に怒りの声を上げた。海兵隊用に新規接収予定の軍用地に、自然保護区内のチャモロ人の文化遺跡も含まれていたのだ。グアムの人口の約一割にも相当する海兵隊関係者が移り住めば、ただでさえ脆弱(ぜいじゃく)な島内の水道と電気がもたないという危惧も加わり、現地の批判は高まった。

 米議会も、移転費用の約6割を日本政府が負担するという、この日米合意を信用しなかった。2008年にリーマンショックが起きると、議会はバラク・オバマ政権(2009~16年)に対して、軍事予算の削減を求める。そして、在沖海兵隊のグアム移転で米側が負担する、軍用地の接収費用や水道などのインフラ整備費用が、実際には米軍の見積もりの倍以上になる恐れがあるとして、議会は関連予算を凍結した。

 さらに米環境保護庁も、海兵隊移転がグアムで引き起こす深刻な環境破壊を懸念し、計画の修正を要求した。

 ただ、議会や環境保護庁のこうした判断は、現地の民意がもたらした結果とはいいきれない。グアムは州ではない「未編入領土」であり、米大統領選挙の投票権や下院選出議員の議決権が認められておらず、政治的な配慮をする必要は必ずしもないからだ。あくまで予算管理や環境保護などの職務に沿ったものともいえる。

移転計画の内容が変更

 米議会の予算凍結措置に直面して、民主党の野田佳彦内閣のもとで、2012年に新たな日米合意が結ばれる。その結果、辺野古移設の進展にかかわらず、在沖海兵隊の戦闘部隊、約4000人をグアムに、その他5000人と家族を米領ハワイ州やオーストラリア、東南アジアに分散するという内容に変わった。グアムに来る海兵隊は、当初合意の約4分の1に減り、海兵隊基地は新たに土地を接収するのではなく、アンダーソン空軍基地の中につくられることになった。

 安全保障を専門とする齊藤孝祐氏の研究によれば、辺野古移設と在沖海兵隊のグアム移転が切り離された理由の一つは、中国の台頭や北朝鮮の指導者交代によって、グアムの米軍基地強化が急がれたこと。もう一つは、米議会が

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