小学3年生の私が授業で描いた「反共ポスター」
韓国の反共教育世代の胸に深く刻まれたレッド・コンプレックス
徐正敏 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長
「なぜこんなにきれいに描くの?」
筆者の「反共ポスター」ならぬ「統一ポスター」が完成に近づくにつれて、筆者の胸は高鳴った。
ポスターに書き添える標語は、「反共を超えて私たちの願いは統一」と書いた。きっとまちがいなく先生は誉めてくれるだろうという期待に、子供心はときめいた。ちらと横目で見た友人たちの絵は、色も構図も粗雑だ。筆者は、先生が自分の席に来るのをいまかいまかと気をもみながら待ち受けた。
そして、ついに担任の先生が近づいてきた。
先生にしても、ほぼ初めて登校した筆者がどんなポスターを描くのか気になったのであろう。筆者ははや先刻完成していた絵に、もっともっときれいな色を塗り重ね、先生の称賛を内心待っていた。が、しばらくの後、先生はかなり不満気な顔で、筆者の絵を持ち上げながら、こんなことを言ったのである。
「ソジョンミンは反共ポスターがなんなのか知らないようだね。なぜ北朝鮮傀儡徒党をこんなにきれいに描くのだろう。またこの色はなんなのだ。学校に通うことができなくて、まったく勉強ができてないんだな。みんな、自分が描いたポスターをもう一度見てみましょう。ソジョンミンのように反共ポスターを描くのはダメだよ。わかった? さぁ、まだすこし時間があるから、ソジョンミンは新しい画用紙に描き直してみよう。いいかい、北朝鮮の傀儡はオオカミの群れのように描くんだよ、先生の言ってることわかる?」
筆者は涙があふれそうだった。もちろん反共ポスターをもう一度描き直す力も気持もなかった。長い間、机に突っ伏して大粒の涙をぽたぽた流した。先生が誉めてくれず、叱られたことがショックだったし、先生がなぜ人を狼のように描けというのかまったく理解できなかった。人を描くときにはできるだけきれいに、できるだけ笑顔で描くことが良いにきまっているではないか、それをなぜ、という疑問はいつまでも消えることがなかった。
家に帰ってきても母の前で再び泣いたし、夜は悪夢にうなされた。

1966年の反共ポスター=大韓民国歴史博物館HPより