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小学3年生の私が授業で描いた「反共ポスター」

韓国の反共教育世代の胸に深く刻まれたレッド・コンプレックス

徐正敏 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

日本に留学して最も驚いたこと

 それから20年以上が過ぎた。筆者は、1985年に初めて海外旅行を経験し、1989年には日本に留学することになった。

拡大筆者が留学した京都の同志社大学=同志社大学HPより

 初めて韓国を離れた頃には、ほとんどの韓国人のパスポートが単数旅券だった。長期であれ短期であれ、政府の許可を受けてパスポートを作成し、旅行から戻ったらそのパスポートは廃棄されるのが決まりであった。

 そのうえパスポートを受けるには複雑な手順と審査が必要だった。ほぼ一日をかけて、ソウルの南山にあった「自由センター」に行って徹底した事前教育を受けなくてはならないのだ。

 そこでの教育は、国の安全情報関連機関が主導していたと思われる。海外に出たときに北朝鮮のスパイのアクセスから身を守る方法や、いくつかの地域で共産主義者と出会ったときにそれを上手にやり過ごす方法を教えることなどが主な教育内容だった。

 また、日本を旅行する者たちには、当時は北朝鮮のスパイ同然にみられていた朝鮮籍の同胞、つまり朝鮮総連(在日本朝鮮人総聯合会)に所属する同胞たちとの交流に気をつけることが強調された。さまざまな手口を講師が講義するだけでなく、映像資料なども交えて、繰り返し繰り返し警戒が呼びかけられた。

 筆者をはじめとして、当時韓国を離れて外国に出ていく韓国人には、北朝鮮のスパイに対する漠然とした不安があり、またいまとなっては申し訳ないことながら、朝鮮総連への恐怖感があったこともまた事実である。

 1989年、筆者は留学生として日本に来た。日本での生活を始めた京都の街で、筆者の目にもっとも奇異に感じられたもののひとつが、街角のポスターにある「日本共産党」という文字であった。

 日本では「共産党」も政党であり、そこに所属する国会議員がいるという事実に、筆者は最初かなりの違和感を感じた。やがて「日本共産党」の存在と日本の政治における役割について理解ができるようになったのだが、それでもなお、徹底した反共教育を受けて育った筆者の世代には、「共産党」という文字自体がいわく言いがたい拒否感を伴うものであった。

 このように当時の筆者は、何度かにわたって朝鮮総連に所属する同胞たちとの交流を禁止する教育を受けたが、いざ留学生活が始まってみると、すぐに彼らとの出会いは日常のものとなった。大学内では、民団出身の学生も総連出身の学生も気兼ねなく隣り合って勉強し、そこに筆者たち韓国からの留学生も加わった。時には一緒にスポーツイベントや野外活動を楽しみ、打ち解けた酒宴も開かれたのである。

 そこには、イデオロギーの対立や理念の葛藤はなく、自他の帰属に起因する「コンプレックス」なども無用の世界であった。

 結局のところ、筆者たちの世代が受けてきたドグマティックな反共教育は、むしろ韓国内部の政治的目的を達成するために持ち出されてきたものであったということができる。そして同様の意味で、北朝鮮社会での理念教育、すなわち韓国と米国を主たる対象とする敵対的な教育なども同じ脈絡で理解することが可能であろう。

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筆者

徐正敏

徐正敏(そ・じょんみん) 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

1956年韓国生まれ。韓国延世大学と大学院で修学。日本同志社大学博士学位取得。韓国延世大学と同大学院教授、同神科大学副学長、明治学院大学招聘教授、同客員教授を経て現職。アジア宗教史、日韓キリスト教史、日韓関係史専門。留学時代を含めて10年以上日本で生活しながら東アジアの宗教、文化、社会、政治、特に日韓関係を研究している。主なる和文著書は、『日韓キリスト教関係史研究』(日本キリスト教団出版局、2009)、『韓国キリスト教史概論』(かんよう出版、2012)、『日韓キリスト教関係史論選』(かんよう出版、2013)、『韓国カトリック史概論』(かんよう出版、2015)、『東アジアの平和と和解』(共著、関西学院大学出版会、2017)など、以外日韓語での著書50巻以上。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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