「24時間戦える」女性、小池百合子さんとの因縁
元参院議員・円より子が見た面白すぎる政治の世界③ 日本新党の躍進と驚きの細川政権
円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長
講談社での出会い
当時、私は講談社の国際室にいて、「Encyclopedia of Japan」という英文の百科事典の企画に携わっていた。ハーバード大学のライシャワー研究所の所長だった元駐日米大使のライシャワー氏をアドバイザリィ・コミッティの委員長に迎え、日本側委員の梅棹忠夫さん、加藤秀俊さん、小松左京さんらと、どういう百科事典をつくるか、構想を練っていた。
四谷に「福田家」という、かつてよく政治家が利用していた料亭があった。そこでライシャワーさんと講談社のトップとの打ち合わせの会合があった時のことだ。全員に渡す資料を準備し、タクシーで定刻の20分ほど前に福田家に到着した私が玄関を上がろうとすると、料亭の女性が呼び止める。
「ああ、資料はそこに置いていいわよ。私がお持ちするから」。20代のペーペーの女の子の来る場所じゃないわよと言わんばかりである。構わず、
「私は担当者なので、上がらせていただきます」
と上がったが、後でその女性がライシャワーさんの隣で会議を仕切っていた私を見て驚いていたのを、いまもよく覚えている。
当時、女性はお茶くみだとか資料づくりをしていればいいと思われていた時代。私は、企画がメインで、有識者との会合、出張も多く、勤務時間も自由だった。
その国際室に、美術書をつくるため、エジプトの人たちを連れ、通訳としてやってきたのが、若き日の小池百合子さんだった。小池さんは室長にエジプト人を紹介し、すぐに別室に移動したから、直接言葉は交わさなかったが、彼女もただの通訳ではなく、彼女自身がその美術書の企画をして売り込みに来ているのがわかった。見た目は若くて可愛いが、当時から強い意志が顔に現れていたように思う。
アメリカでも好感されていた日本新党
余談だが、国際室の仕事で、私は「ジャパン・アズ・ナンバーワン(Japan, as No.1)」を著して有名になる前のエズラ・ボーゲルさんとも会っている。息子のスティーブさん(カリフォルニア大学バークレー校准教授)はまだ中学生の可愛い少年だった。

ハーバード大学の教授たちの前で講演した円さんとアンドリュー ゴードン教授(左)=1999年11月5日(筆者提供)
93年に参院議員になった直後、旧知のアンドリュー・ゴードンさん(ハーバード大学終身教授)とライシャワー研究所の招待でハーバード大学で講演をしたが、その夜、フィッシャーマンズ・ワーフのお洒落なレストランで歓迎会が開かれた際、エズラ・ボーゲルさん、彼の別れた妻スーザンさんと旧交を温めた。スーザンさんは日本の聖路加病院で働いていたことがあり、「ニコニコ離婚講座」を主宰し、評論家として様々なところで、執筆・講演活動をしていた私は、彼女とも会っていた。二人とも私が国会議員として活躍していること、特に細川さんの日本新党に所属していることを喜んでくれた。
アメリカでも細川さんと日本新党は好意的に迎えられていたのだ。ゴードンさんは私の参院選の選挙応援にも来てくれているし、一緒に細川護熙さんの湯河原の居宅「不東庵」を訪れてもいる。
話を戻すと、小池さんとは80年前半にも接点があった。二人とも日本テレビの朝のワイドショー「ルックルックこんにちは」に出演、私は離婚や家族がテーマを担当し、小池さんは竹村健一さんの時事解説のアシスタントをやっていた。その後、小池さんは「テレビ東京」の経済番組のメインキャスターとなり、私は一視聴者として彼女の活躍を見ていた。
立場や境遇は違うが、女性として自らの足で歩いていこうとしていた者同士。そんな意識もあったのだろうか、日本新党で一緒になった時も、他人とは思えなかった。