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元号という、上から指定される時代区分は不要

三島憲一 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

新しい元号が発表されても……拡大新しい元号が発表されても、社会が変わるわけではないのだが……

新元号をなんで秘密にするのだろうか?

 元号をめぐる言説が盛んだ。一番はしゃいでいるのは、例によってマスコミのようだ。昨年の後半からなにかというと「平成最後の……」と司会者が絶叫するのをなんど聞かされたことか。「平成最後の園遊会」はまだしも、「平成最後の大晦日」「平成最後の紅白歌合戦」と無意味かつひときわ大きな声には呆れるばかりだった。「平成最後のクリスマス」などもあったかもしれない。こうなったら「平成最後の中国全人代」もやればよかったのに。「平成最後の政治家逮捕」もまだありうる。もちろん、どこかの国の首相の「平成最後の嘘」と「平成最後の漢字の読み間違い」も。

 しかし、私のような元号無用論者から見て、まったく理解できないことがある。なぜ新元号をぎりぎりまでそんなに極秘にしておく必要があるのだろうか? 

 「安栄」でも「成安」でも「普楽」でも「普兵」でもなんでもいい、早く公開して、あるいはなんとなく「政府筋」から漏れてきてなんのまずいところがあるのだろうか。「コンピュータシステムの変更に不公平があってはならない」「来年のカレンダーの作成業者も皆で同時に知らなければ困るだろう」など、いろいろあるかもしれないが、十分早い時期に伝わってくれば問題ないはずだ。「おやめになる天皇陛下に失礼だ」。いや、そんなことはお人柄から言っても大丈夫だろう。

 日米開戦の日を最後まで少数の者だけの秘密にしていたのは、誰にもわかる。衆議院の解散をぎりぎりまで嘘をついて秘密にするのは、日本政治の慣習で、これも党利党略を前提にすればなんとか理解できないことではない。二つの公党や企業の合併も結構最後まで秘密にしているが、まあ無理すればわかる。しかし、元号をなんで秘密にするのだろうか?


筆者

三島憲一

三島憲一(みしま・けんいち) 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

大阪大学名誉教授。博士。1942年生まれ。専攻はドイツ哲学、現代ドイツ政治の思想史的検討。著書に『ニーチェ以後 思想史の呪縛を超えて』『現代ドイツ 統一後の知的軌跡』『戦後ドイツ その知的歴史』、訳書にユルゲン・ハーバーマス『近代未完のプロジェクト』など。1987年、フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞、2001年、オイゲン・ウント・イルゼ・ザイボルト賞受賞。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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