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北朝鮮大使館襲撃に関与。「自由朝鮮」の正体とは

リーダーはエール大卒の韓国系アメリカ人で人権団体創設者。FBIとも情報共有

高橋 浩祐 国際ジャーナリスト

Es sarawuth/shutterstock.comEs sarawuth/shutterstock.com

ウエブサイトに公開された「声明」

 北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)政権の打倒を掲げる組織「自由朝鮮」が日本時間の3月27日朝、2月22日にスペイン・マドリードで起きた北朝鮮大使館襲撃事件への関与を認める声明をウエブサイトで公開した。

 声明では、この事件をめぐるこれまでの国際報道を真っ向から否定するかたちで、「襲撃(アタック)ではなかった」と主張。中にいた大使館員たちを殴ったりせず、武器も使用していないと述べた。そして、事件を起こした時にはどの国の政府も事件に関わっていないとしながらも、事件後には大使館から持ち出した情報を米連邦捜査局(FBI)と共有したことを認めた。

エイドリアン・ホン・チャン氏=「朝鮮インスティチュート」のホームページからエイドリアン・ホン・チャン氏=「朝鮮インスティチュート」のホームページから
 そもそも、この「自由朝鮮」はいったいどんな組織なのか。そして、それを率いている人物とはいったい何者なのか。

 筆者がオシント(オープン・ソース・インテリジェンス、公開情報諜報)等を活用して調べたところ、北朝鮮大使館襲撃の主犯格であり、かつ、この「自由朝鮮」を率いているのは、米カリフォルニア州サンディエゴ出身の在米韓国人2世で、名門エール大学を卒業した人権活動家、エイドリアン・ホン・チャン氏(以下、ホン氏)であることがわかった。

 ホン氏は長年、脱北者の救出や支援をしてきた人物で、北朝鮮の人権問題活動家の界隈ではよく知られてきた存在だ。年齢は30代後半だとみられる。

スペイン判事が捜査内容を公開

マドリード郊外にある北朝鮮大使館の入り口=2019年3月1日マドリード郊外にある北朝鮮大使館の入り口=2019年3月1日
 「自由朝鮮」やホン氏の正体に迫る前に、スペイン司法当局が公表したばかりの捜査状況をみておきたい。

 スペインの首都マドリードにある北朝鮮大使館に武装した覆面姿の男10人が押し入った事件の詳細については、前回の拙稿(「米朝関係悪化の一因?情報機関が注目するある事件」)で述べたため、ここでは最新の追加情報のみを記したい。

 スペインでは、高等裁判所が犯罪を捜査する権限を持ち、この事件の捜査を続けてきた。「自由朝鮮」の犯行声明発表に先立つ数時間前の3月26日、スペインの予審判事は、今回の事件がアメリカに住み、メキシコ国籍を有するホン氏をリーダーとする10人のグループによる犯行だったことを明らかにした。また、犯行グループのホン氏以外のメンバーとして、韓国系アメリカ人のサム・リュウ氏と韓国籍のウー・ラン・リー氏の名前を挙げた。

 ホン氏はもともとサンディエゴ出身の韓国系アメリカ人。しかし、AP通信によると、マドリードに滞在中、メキシコ大使館に行き、新たなパスポートを申請したという。さらに、逃走時に使った配車アプリ「ウーバー」には、「オズワルド・トランプ」との名前で登録していた。

 北朝鮮関連の専門ニュースサイト・NKニュースによると、ホン氏の両親がメキシコでの宣教者であるため、メキシコのパスポートが入手できたという。

 スペインの全国紙エルパイスなど現地メディアの最新の報道によると、スペインの予審判事はホン氏とリュウ氏の2人に対して、国際逮捕状を出した。不法監禁、強盗、脅迫、窃盗など6つの罪を問うている。

Alexander Lukatskiy/shutterstock.comAlexander Lukatskiy/shutterstock.com
 裁判所の資料によると、犯行グループは大使館員に対し、自らを「北朝鮮解放のための人権団体や人権運動のメンバー」と名乗ったという。犯行時、騒ぎを聞きつけて駆け付けた地元警察に対し、「何も問題は起きていない。通常通りだ」と応対したのは、金正恩氏のバッジを付けて現れたホン氏だったという。

 10人は大使館からコンピューターやハードディスク・ドライブ、携帯電話などを奪った後、4つのグループに分かれてスペインから脱出し、ポルトガルの首都リスボンに向かった。

 主犯格のホン氏はリスボンから飛行機に乗り、2月23日午後2時に米ニュージャージー州のニューアーク国際空港に到着した。そして、その4日後の2月27日にFBIと接触し、事件の情報提供に加え、大使館で得たとされるオーディオ(視聴覚)資料を差し出したという。

スペインと連携したFBI

 それにしても、なぜこれほどまでにスペイン捜査当局は、ホン氏の事件後の動向をつかめたのか。

 今回の事件をめぐり、FBIは声明で、「FBIは、スペインの法執行機関と強力な提携関係を有している」と述べている。このため、ホン氏に関するスペイン捜査当局の問い合わせに対し、FBIが2月27日のホン氏との接触までの情報を提供した可能性がある。

 しかし、スペイン当局は2月27日以後のホン氏の足取りはつかめていない。

 ロイター通信によると、スペイン当局は犯行グループ全員がアメリカに渡ったとみて、彼ら容疑者のスペインへの引き渡しを求める方針だ。28年の服役に課せられる可能性があるとされる。

エイドリアン・ホン・チャン氏とは

 ホン氏は名門エール大学を卒業後の2004年3月、脱北者を支援し、北朝鮮人権運動を行う非政府組織(NGO)の「LiNK」(Liberty in North Korea=北朝鮮に自由を)を仲間とともに設立した。

 朝日新聞の元主筆、船橋洋一氏は「週刊朝日」2006年3月24日号で、「LiNKは2年前、エール大学を卒業したばかりのエイドリアン・ホンが始め、瞬く間に全米の大学キャンパスを中心に、200の支部が生まれた」と書いている。

 2007年に米バージニア工科大学で韓国人学生が銃乱射事件を起こし、当時の駐米大使が謝罪した際、ホン氏は韓国系米国人大学生の団体「ミレ(未来)基金」の事務局長として、ワシントン・ポストに寄稿し、「民族的な問題を代弁した行動ではない」「大使が謝罪をするのは不適切だ」などと批判した。

 2014年12月には、アメリカの政治専門サイト「ポリティコ」への寄稿の中で、04年から08年までLiNKの共同創設者兼事務局長を務めていたことを明らかにしている。06年12月には、脱北者6人が中国の瀋陽にあるアメリカ領事館に保護を求めているのを、LiNKの仲間2人ともに支援しているさなか、中国の公安当局に拘禁され、その後、国外追放された。

motioncenter/shutterstock.commotioncenter/shutterstock.com
 2007年6月には、グーグルのTech Talksに登壇し、「北朝鮮の人権危機」との題目で講演している。この時の動画はYouTubeでも見れるが、1時間にわたってよどみなく熱っぽく話し続ける姿からは頭の回転の速さがうかがわれ、「さすがエール大卒のエリート」という印象を受ける。

 2008年には、ソウルにある梨花女子大学校で外部講師として人権問題などを教えた。

 LiNKの活動をやめた後は、「ペガサスプロジェクト」という別のNGOを始めた。2009年には世界各国の革新家が名を連ねる「TEDシニアフェロー」にも選ばれ、その後は何度もTEDのイベントで登壇している。

 2012年9月には、アメリカのシンクタンク・ハドソン研究所のシンポジウムに、自らが救出支援した男性脱北者とともに登壇。「北朝鮮は単に人権の問題だけではない。そこは、現代文明のブラックホールと言えるような場所だ」と述べた。16年にはカナダの上院人権委員会で北朝鮮の人権問題について証言している。

 NKニュースによると、ホン氏は2015年にニューヨークに拠点を置くシンクタンクの「朝鮮インスティチュート」を開設した。「北朝鮮の急速に差し迫る劇的な変化を踏まえて、政策的な調査企画を行う」組織であることが公式サイトではうたわれている。

 NKニュースは、この「朝鮮インスティチュート」のミッション声明が、「自由朝鮮」の前身として知られる亡命政府団体の「千里馬(チョンリマ)民防衛」のそれと似ていると指摘している。千里馬とは、翼を持ち1日に千里走るという朝鮮の伝説の馬だ。

金正男氏の息子ハンソル氏を保護

金正男氏の息子キム・ハンソル氏とみられる男性=ユーチューブの動画から 金正男氏の息子キム・ハンソル氏とみられる男性=ユーチューブの動画から
 この「千里馬民防衛」は、2017年2月にマレーシアで金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄、金正男氏が殺害された後、正男氏の息子のハンソル氏とその母親、妹の3人をマカオから安全な場所に移動させたことで、一躍世界の耳目を集めた。

 この時、移動を支援したオランダ、中国、アメリカと、匿名のもう1カ国の計4カ国の政府に対し、「千里馬民防衛」は感謝の意を示している。

 今年3月1日には、日本統治下で起きた最大の抗日独立運動「3・1節」の100周年を記念する式典がソウルでおこなわれた際、「自由朝鮮の建立を宣言する」としたうえで、団体名を「自由朝鮮」に変更し、自らを「臨時政府」と名乗った。

 今回は、スペインの予審判事が北朝鮮大使館襲撃事件の主犯格がホン氏と公表するなか、その数時間後に「自由朝鮮」は犯行を認める声明を出した。

 NKニュースは、関係者の証言から、「朝鮮インスティチュート」が「千里馬民防衛」のカバー(隠れ蓑)組織となっており、その中心人物はホン氏だと結論づけている。これまで述べてきたように、ホン氏は

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