平成政治の興亡 私が見た権力者たち(13)
2019年03月30日
「小泉首相が9月17日、北朝鮮を訪問して金正日総書記と会談する」
2002(平成14)年8月30日、福田康夫官房長官の突然の発表にメディアは騒然となった(「破壊者か救世主か?小泉首相の劇場政治が開幕」)。朝日新聞でも政治部、外報部などの記者でつくる検証チームが立ち上がり、私がまとめ役となった。
文字どおりの電撃訪問は、どうやって実現したのか? 福田官房長官や外務省幹部らを取材し、経緯を検証した。その過程で、三人のプレーヤーの思惑や持ち味が浮き彫りになった。
第一に、小泉純一郎首相の政治的野心である。1年半前に政権に就いた小泉氏は、直後の参院選は乗り切ったものの、宿願の郵政民営化には着手できていない。さらに、02年の年明け早々の田中真紀子外相更迭で内閣支持率は低下していた。歴代首相が触れられなかった北朝鮮との外交が動き出せば、政権浮揚に直結する。そうなれば、郵政民営化への道も開ける――と計算していた。
第二に、福田官房長官の調整能力だ。父の福田赳夫氏が外相や首相の時に秘書官を務め、外務政務次官も経験した福田氏は、日本外交の要所を押さえていた。北朝鮮との国交正常化は、日本外交が乗り越えなければならない壁であり、支持率の高い小泉政権でチャンスが到来したと考えた。ことがことだけに、情報は首相官邸と外務省の一部に限定することが大事だと思い定めていた。
第三に、田中均・外務省アジア大洋州局長の外交戦略である。田中氏は1969年、外務省入省。北東アジア課長として韓国・北朝鮮との外交を担当し、北米局審議官として米軍普天間飛行場の返還交渉も進めた。日本が東アジアで役割を果たすにはどうすればよいのか。その戦略を考え続けてきた外交官だった。
田中氏は「あなた方の意向は小泉首相に伝える」と話しかけたが、先方は半信半疑。外務省の局長が日本のトップと直接、話ができることが信じられなかったのだ。田中氏は妙案を思いつく。
日本の新聞には首相が面会した人と時間を詳しく報じる「動静」欄がある。田中氏は月に2、3回は小泉首相と個別に面談する。その新聞を見せれば、先方も納得するだろう。効果はてきめんだった。ミスターXは「あなたは首相とこんなに頻繁に会えるのか」と驚いたという。北朝鮮側は本音を漏らし始めた。
福田官房長官と田中氏は情報管理を徹底した。田中氏が北朝鮮と接触する時に同席するのは、外務省の平松賢司・北東アジア課長と通訳だけ。田中氏らが得た極秘情報を上げるのは小泉首相、福田長官、古川貞二郎官房副長官、野上義二(後に竹内行夫)外務次官に限定。田中真紀子(後に川口順子)外相にも詳細は伝えられなかった。
2002年1月、ブッシュ米大統領が一般教書演説で、大量破壊兵器の開発に絡んで、北朝鮮をイラク、イランと並ぶ「悪の枢軸」と非難した。米国との対立が深まることに危機感を募らせる北朝鮮側は、日本との関係正常化を通じて対米関係を打開したいと考えていると確信した田中氏は、その旨を小泉首相に伝えた。
8月、小泉首相は北朝鮮の金正日総書記に宛てて、「日本側は国交正常化や経済協力問題、在日朝鮮人の地位向上問題などに真摯に取り組む。貴国も拉致問題や核・ミサイル問題などの解決に真剣に取り組んで欲しい」という親書を出す。北朝鮮側は「小泉首相の訪問を歓迎する」と反応した。
8月21日、外務省の事務次官室。竹内次官と関係局長らによる幹部会が開かれた。
竹内氏が小泉首相の北朝鮮訪問について切り出した。「秘密に進めてきて申し訳ないが、小泉首相の指示だった」と釈明。続いて、田中氏が訪朝時に合意する予定の「平壌宣言」の概要を説明した。谷内正太郎総合外交政策局長が、拉致問題に詳しく触れていない点をただすと、田中氏は「別途、協議を進めている」と答える。海老原紳条約局長が「安全保障に関わる内容だ。米国と調整しているのか」と指摘すると、これも田中氏が「別途やっています」とかわした。出席者の一人は「訪朝の日程や共同宣言の内容は小泉首相、福田官房長官とすでに固めている」と感じた。
米側との話し合いも極秘裏に進行していた。8月27日、来日中のアーミテージ国務副長官とケリー国務次官補が福田、田中両氏から説明を受けた。アーミテージ氏はパウエル国務長官に伝達。情報はパウエル氏からブッシュ大統領に上げられた。米側の説明によると、「大統領はジュンイチロウを信頼するとの反応だった」という。同時多発テロとの戦いで、ブッシュ大統領支持をいち早く表明した小泉首相との信頼関係が役立った。
そして8月30日、福田官房長官が小泉訪朝を発表。これを機に、政府の準備が本格化した。
9月5日、私は政府関係者から小泉訪朝時に発表する「日朝共同宣言」の概要を聞いた。それは以下のような内容だった。
①日本による植民地支配への謝罪は「アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」とした1995年の村山首相談話を踏襲する
②北朝鮮が求める「補償」は経済協力方式で実施する
③北朝鮮はミサイル発射実験の凍結を継続する
④拉致問題は「人道問題」として対処する
息せき切って記事を書き、翌日の朝日新聞朝刊の一面トップを飾った。
首相訪朝に向け、メディアの報道合戦は熱を帯びた。そんななか、拉致事件の被害者など詳細は明らかになっていなかった。
9月17日。小泉首相を乗せた政府専用機は羽田空港を飛び立ち、午前9時15分、平壌の順安空港に到着。日本の首相が初めて北朝鮮の地に降り立った。百花園迎賓館での首脳会談に先立ち、田中氏は北朝鮮外務省の馬哲洙アジア局長との局長級協議に出席。そこで北朝鮮側は拉致被害者の安否リストを手渡された。「5人生存、8人死亡」。衝撃の情報だった。
生存者は蓮池薫・富貴恵、池村保志・祐木子両夫妻と曽我ひとみさん。横田めぐみさん、有本恵子さんらは死亡したという。田中氏が小泉首相に報告すると、小泉氏は沈痛な表情で、しばらく目をつぶっていたという。
首脳会談が始まったのは、直後の午前11時。冒頭、小泉首相と金正日総書記が握手。金氏は「近くて遠い国という関係に終止符を打つために来てくれたことをうれしく思う」などと述べた。小泉氏は「日本は国交正常化に真剣に取り組む用意があるが、正常化を進めるには拉致問題をはじめ安全保障上の問題などに北朝鮮が誠意を持って取り組むことが必要だ」と強調。さらに「拉致問題で情報が提供されたが、8人死亡は大きなショックであり、強く抗議する」と述べた。
その後、昼食休憩に入り、日本側は対応を話し合った。同行していた安倍晋三官房副長官は「金正日が拉致を認め謝罪しなければ、共同宣言に同意すべきではありません」と進言した。
午後2時に再開した首脳会談の冒頭、金総書記は拉致問題に触れて謝罪。日本側の出席者の一人は「昼食休憩時のやりとりが盗聴されていた」と感じた。金総書記は「誠に忌まわしい出来事だ。この場で遺憾であったことを率直におわびしたい。70年代、80年代初めまで特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走った」と語った。北朝鮮の最高指導者が初めて拉致問題を認め、謝罪した瞬間だった。
これを受け、両首脳は平壌宣言に署名。宣言には①国交正常化の早期実現②「過去」に対する日本側の「痛切な反省と心からのおわび」③国交正常化後の経済協力④「日本国民の生命と安全に関わる懸案」についての北朝鮮側の遺憾表明⑤核・ミサイルに関わる国際的合意の遵守、などが盛り込まれた。
小泉首相は記者会見で、拉致問題について「帰国を果たせず亡くなった方々のことを思うと痛恨の極みだ」と述べた。小泉氏は17日深夜に羽田空港に戻る。国交正常化交渉は再開されたが、拉致被害者の死亡という衝撃の事実が明らかになった、長い一日だった。朝日新聞の検証記事は「歴史が動き悲劇が残った」と報じた。
一方、「死亡」と伝えられた8人については、北朝鮮側の説明に不自然な点が多く、被害者家族から「納得できない」という不満が噴出した。
北朝鮮をめぐる問題は、その後、核開発の動きが再び発覚。南北朝鮮と日米中露の6カ国による協議が重ねられた。それでも、北朝鮮の核・ミサイル開発は続き、トランプ米大統領と金正恩・朝鮮労働党委員長との首脳会談による打開が模索されている。拉致問題は2004年5月に小泉首相が再度訪朝し、拉致被害者の家族が帰国したが、その後は目立った進展がないまま膠着(こうちゃく)状態が続いている。
日朝関係が動いていた時期、ブッシュ米政権とイラクのサダム・フセイン大統領が神経戦を繰り広げていた。
同時多発テロを受け、ブッシュ政権はアフガニスタンのタリバン政権を崩壊させた後も、「テロリストをかくまう者はテロリストと同罪」と主張し、大量破壊兵器の査察を受け入れないイラクを非難。2003年2月、パウエル米国務長官は国連安保理の外相会合で、アメリカの独自情報として、イラクが大量破壊兵器を隠し持っていると断言した。
小泉首相はただちに「支持」を発表。野党は国連決議を経ない武力行使に反対を表明した。国際社会でも、フランス、ドイツが反発するなど反応は分かれた。それでも英米軍はイラク国内に攻め入り、開戦から21日後の4月9日に首都バグダッドが陥落。巨大なサダム・フセイン像が倒される映像が世界中に伝えられた。
私は朝日新聞本社の編集委員室で、その映像を見ていた。傍らで、中東事情に詳しい同僚の記者がつぶやいた。「これは降参ではない。兵士の帰宅だ」。イラク兵の多くは米英軍と戦うことを避けて、自宅に帰っている。米軍が進駐してきたら、彼らは隠し持った武器を持って反撃するだろう、というのがその記者の解説だった。
その後の展開は、この解説通りになった。米軍はイラクを占領したものの各地で反撃を受け、泥沼に陥っていく。
小泉首相の「支持」表明を受け、日本政府はイラクへの自衛隊派遣を決める。「非戦闘地域」への派遣なら、憲法が禁ずる海外での武力行使に当たらないという解釈で、6月にイラク派遣特別措置法案を国会に提出した。審議の過程で小泉首相は、「どこが非戦闘地域か、私に聞かれても分からない」「自衛隊のいる地域が非戦闘地域だ」といった「珍答弁」を繰り返したが、自民党が採決を押し切り、法案は7月26日に成立した。
11月、悲劇が起きる。29日、イラク西部のティクリット付近で在バグダッド日本大使館の奥克彦参事官と井ノ上正盛書記官が殺害されたのだ。
2004年2月には、特措法に基づき陸上自衛隊がイラクのサマワに派遣される。「大量破壊兵器」の存在が確認されないままの戦争であり、さらに「非戦闘地域」の内容も曖昧(あいまい)なままの自衛隊派遣である。「海外で武力行使をしない」ことを原則としてきた日本の外交・安全保障政策をなし崩しに転換したことは、大きな禍根を残した。
2003年9月、小泉首相は自民党総裁選に臨んだ。国会議員(357票)と地方党員(300票)の計657票で争われ、小泉氏は第一回投票で過半数(329票)を大きく上回る399票を獲得して圧勝。2位以下は亀井静香氏(139票)、藤井孝男氏(65票)、高村正彦氏(57票)だった。
小泉首相は自民党役員人事と内閣改造に着手。山崎拓幹事長を副総裁に昇格させるとともに、幹事長の後任に当時49歳の安倍官房副長官を抜擢した。安倍氏は総裁候補と目されることになった。
一方、野党は小泉首相の一人舞台とも言える政局が続くなか、反転の機会をうかがっていた。2003年7月、民主党の菅直人代表と自由党の小沢一郎党首は両党の合併で合意。基本政策の協議を経て、9月24日には自由党が民主党に合流する形で合併が正式に決まった。
自民党総裁選、民主・自由両党の合併という節目を経て、小泉首相は10月10日、衆院の解散・総選挙に踏み切った。選挙は10月28日公示、11月9日投票になった。自民党は「小泉改革」をアピール。民主党は本格的な政権交代を訴えた。学者や財界人が提唱してきたマニフェスト(政権公約)が取り入れられた選挙でもあった。
小選挙区制の導入から10年近くが経ち、目標だった二大政党制がようやく見えてきた総選挙だった。
年が明けて2004年、与野党は夏の参院選に向けて策を練っていた。そこに降ってわいたのが年金問題だった。閣僚らの年金未納・未加入が次々と発覚。5月7日には福田官房長官が未納の責任をとって辞任を表明した。もっとも、この辞任にはほかの事情も絡んでいた。
福田氏はもともと、小泉氏の靖国神社参拝やイラク戦争への「支持」表明に不満を抱いていた。さらにこの時期、小泉首相の側近である飯島勲政務秘書官が、外務省とは異なる朝鮮総連のルートで首相の北朝鮮再訪問を計画していたことへの抗議の意味もあった。福田氏の後任には細田博之氏が起用された。
年金問題は民主党にも波及した。菅代表にも未納があるとメディアが報じ(後に社会保険事務所の事務ミスと判明)、5月10日、菅氏は辞任を表明。後任には小沢一郎氏の就任が内定するが、小沢氏にも年金未納があることが明るみに出て辞退。急きょ、岡田克也氏が代表に選出された。
飯島秘書官の交渉の結果、小泉首相は5月22日、再び北朝鮮を訪問した。拉致被害者の家族8人の帰国を求め、池村夫妻の子ども3人と蓮池夫妻の子ども2人の帰国が実現した。一方、曽我さんの夫で元米兵のジェンキンス氏については、アメリカの軍法会議の判断が必要となり、2人の子どもを含む3人の帰国は延期された。結局、7月9日、3人はインドネシアのジャカルタで曽我さんとの再会を果たした。曽我さんが飛行機を降りたジェンキンスさんに駆け寄ってキスをするシーンはメディアで大きく取り上げられ、小泉外交の成果として参院選に好影響を与えるかと思われた。
この選挙で興味深かったのは、野党の民主党が年金財源に充てるために消費税を5%から8%に引き上げると訴えたのに対し、自民党は消費税率据え置きを公約したにもかかわらず、有権者の多くが民主党に軍配を上げた点だ。理を尽くして説明すれば、税負担の増加も受け入れられる。日本政治の成熟の道筋が見えかかった選挙だった。しかし、その後の消費税をめぐる政治の迷走は、この成熟した流れを壊してしまったように思える。
参院選の敗北に最も危機感を抱いたのが、小泉首相自身だった。このままでは郵政民営化は実現できない。強行突破しかないという思いを募らせた。それが、関連法案の提出強行、そして郵政解散・総選挙へとつながっていく。
次回は、小泉政治のクライマックス、郵政民営化をめぐる攻防と郵政解散を描きます。4月13日公開予定。
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