星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト
1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
平成政治の興亡 私が見た権力者たち(13)
「小泉首相が9月17日、北朝鮮を訪問して金正日総書記と会談する」
2002(平成14)年8月30日、福田康夫官房長官の突然の発表にメディアは騒然となった(「破壊者か救世主か?小泉首相の劇場政治が開幕」)。朝日新聞でも政治部、外報部などの記者でつくる検証チームが立ち上がり、私がまとめ役となった。
文字どおりの電撃訪問は、どうやって実現したのか? 福田官房長官や外務省幹部らを取材し、経緯を検証した。その過程で、三人のプレーヤーの思惑や持ち味が浮き彫りになった。
第一に、小泉純一郎首相の政治的野心である。1年半前に政権に就いた小泉氏は、直後の参院選は乗り切ったものの、宿願の郵政民営化には着手できていない。さらに、02年の年明け早々の田中真紀子外相更迭で内閣支持率は低下していた。歴代首相が触れられなかった北朝鮮との外交が動き出せば、政権浮揚に直結する。そうなれば、郵政民営化への道も開ける――と計算していた。
第二に、福田官房長官の調整能力だ。父の福田赳夫氏が外相や首相の時に秘書官を務め、外務政務次官も経験した福田氏は、日本外交の要所を押さえていた。北朝鮮との国交正常化は、日本外交が乗り越えなければならない壁であり、支持率の高い小泉政権でチャンスが到来したと考えた。ことがことだけに、情報は首相官邸と外務省の一部に限定することが大事だと思い定めていた。
第三に、田中均・外務省アジア大洋州局長の外交戦略である。田中氏は1969年、外務省入省。北東アジア課長として韓国・北朝鮮との外交を担当し、北米局審議官として米軍普天間飛行場の返還交渉も進めた。日本が東アジアで役割を果たすにはどうすればよいのか。その戦略を考え続けてきた外交官だった。
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